トップQs
タイムライン
チャット
視点
水野良樹
日本のミュージシャン (1982-) ウィキペディアから
Remove ads
水野 良樹(みずの よしき、1982年12月17日 - )は、日本のミュージシャン、作詞家、作曲家、ギタリスト、小説家。小説家としてのペンネームは清志 まれ(きよし まれ)。いきものがかりのリーダーで、ギター(主にエレクトリック・ギター)を担当している。株式会社MOAI代表取締役。神奈川県海老名市出身。既婚。
神奈川県立厚木高等学校卒業、明治大学政治経済学部中途退学、一橋大学社会学部卒業。
Remove ads
来歴
生まれは静岡県浜松市で、5歳まで東京都昭島市で過ごし、その後神奈川県海老名市へ移住[3]。
幼稚園から高校までピアノを習っていた。ギターは、小学校の担任がピアノを弾けずギターで音楽の授業をしていたことから「かっこいいなぁ」と興味を持ち演奏するようになった[4]。小学6年生のお別れ会の時に「CROSS ROAD」(Mr.Children)をギターで弾き語りした時が自身の初舞台である[5]。
中学校では野球部に所属、3年生で部長になったが、顧問の教師とぶつかって退部した[6]。
山下穂尊とは小学・中学・高校まで同じ学校に在籍していたが、同じクラスになったのは小学1年生時と中学1年生時だけ(中学1年生時に同じクラスであったことは両者ともに覚えていなかった[7])で高校入学まであまり接点がなかったが、高校生になって同じ中学出身で実家が近かったこと、2人とも部活動に参加していなかったことから一時的に一緒に帰宅するようになる[8]。その頃はデビューしたばかりのゆずが注目された影響で路上ライブが流行っていたこともあり、ゆずにはまった山下が水野に話を持ちかける形でいきものがかりを結成した[9][10]。結成後、水野の高校2年の11月に加入した吉岡聖恵は、2人の同級生の妹である。
高校時代はいきものがかりとは別に6人編成のバンド「Groovy★Jack」(グルービージャック)を率いており(担当はサイドギター)、2000年のヨコハマ・ハイスクール・ミュージックフェスティバルで準決勝まで進んだ[11][12]。いきものがかりで発表された楽曲のうち、「うるわしきひと」「流星ミラクル」「君と歩いた季節」の3曲はGroovy★Jack時代に制作した曲に改良を加えたものである[5]。
大学受験では現役で明治大学政治経済学部に合格し、一旦進学するも、「一度立てた目標を中途半端にするのが嫌だった」という理由で仮面浪人という形で再度受験勉強をして、明治大学を中途退学し、当初の志望であった一橋大学社会学部に入学した[13]。大学では労働問題の依光正哲ゼミに所属し、卒業論文では「音楽産業における権利」を研究。2006年に卒業し一橋大学社会学学士の学位を取得[14]。
2013年8月17日、いきものがかり公式ファンクラブサイトにて一般女性と結婚していたことを発表[15]。「ひとりの人間としては、より背筋を伸ばし、ひとりのソングライターとしては、より優しく、より強い歌が書けるようになれればと思います」とコメントしている[15]。
Remove ads
音楽活動
- いきものがかりのメインソングライターとしてメジャーデビュー以降「SAKURA」「ブルーバード」「じょいふる」「ありがとう」など数々のヒット曲を世に送り出しており、吉岡が作詞・作曲を担当した「キミがいる」「GOLDEN GIRL」、山下が作詞・作曲を担当した「いつだって僕らは」「ハルウタ」を除くすべてのシングルA面曲の作詞・作曲は水野によるものである。
- ライブではストラトキャスターやテレキャスターなどのフェンダー製ギターや[20]、20歳頃に購入したレスポール、2010年のツアー中に購入したギブソン・ES-335などを使用する[21]。特にデビュー時からメインで使用しているストラトキャスターの使用率は高く、2010年の年末にはファンと公言するジョン・メイヤーモデルのストラトを購入し翌年以降のライブで使用している[22]。
- ある一定の範囲の音楽が、政治的な主張とともに成り立ってきた事を理解しつつも「ポップミュージックをひたすら信じてる」という立場から自身が楽曲に政治的な主張や社会的なメッセージを込めることには否定的な考え方を持っている[23]。また、2011年3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生後に多数のミュージシャンが復興支援のための楽曲を制作していたが、「安易に作ると普段の曲作りの意義があやふやになってしまう」という理由から制作しない考えを示しており、事実いきものがかりから復興支援を目的とした楽曲は制作されなかった[24]。ただし、『東日本大震災復興祭』など復興支援を目的としたイベントには出演している。
Remove ads
その他
- 自身で初めて購入したCDは「祭りのあと」(桑田佳祐)である[25]。
- 仮面浪人をしていた期間を含め、大学時代は東名高速道路の海老名サービスエリアでアルバイトをしていた[26]。午前4時に起床、サービスエリアで9時までバイト、明治大に2限目から講義を受け、予備校の授業を2コマ受け、学習室で勉強、終電で帰宅という生活であった[6]。親には大学をやめ予備校にかよい、また私大に4年かようより、私大に1年、国立大に4年かようほうが学費が安いと言い、予備校学費はバイトでまかなうと約束した[6]。
- 手相は両手ともにますかけ線がある[27][28]。
- メジャーデビュー後に体重が増加し一時期は70kg以上になったこともあったが、ダイエットを敢行し10kg以上の減量に成功している[29]。その後は増減を繰り返しているようで、2010年のライブツアー時には自身のTwitterで体重の測定結果を公表していたことがある。
- 大のインターネット好きで、Googleなどの検索エンジンで自分の名前やバンド名などを検索して作品の評判などを見たりしている。本人曰く「世間に向かって作品を投げていくのだから、基本的に目をそらしてはならない」との考え方から批判的な意見にもしっかりと目を通している[30]。
- 自らのブログで「イキペディア」(「いきものがかり」と「ウィキペディア」のかばん語)を紹介していたことがある[31]。
- 「誰でも知っている曲でありながら作り手の姿がほとんど見えておらず、曲が曲として存在し続けている部分がすごいと思う」という理由から、憧れている曲に「上を向いて歩こう」(坂本九)を挙げている[32]。
- 親戚がアラスカに住んでおり、アンカレッジ国際空港に勤めていた叔母がかつて放送されていたテレビ朝日系『ニュースステーション』の取材を受けたことがある[33]。また、その親戚から送られてきたマイケル・ジャクソンのビデオを観たことが音楽に目覚めたきっかけになったとのこと[4]。
- いきものがかりのリーダーにも拘らず吉岡や山下に比べあまり目立たない事に関するエピソードがいくつか存在する。
- レコード会社やテレビ局の入口で警備員に止められたりコンサート会場でスタッフに間違えられることは日常茶飯事で[34]、NHK紅白歌合戦のリハーサルでNHKに行ったときも初出場時は入口で止められ、2回目の出場時には「いきものがかりです」と説明したところ「(あなたは)いきものがかりさんの何ですか?」と係員に質問されたことがある[35]。4回目でやっとスムーズに通してもらうことができたが、これに対して吉岡からは「ギター、持ってたからじゃない?」と懐疑的な見方をされていた[36]。
- 毎日新聞まんたんウェブに2010年の紅白リハーサル時の記事が掲載された際に吉岡の左隣に水野ではなくNHKのスタッフが写った写真が使用されていた[37]。
- 新宿駅周辺で行なわれた「なくもんか」のPV撮影時にマネージャーが雑踏の中にいる会社員姿の水野を本気で見失ってしまったことがある[38]。
- いきものがかり結成当初は水野もハーモニカを吹こうと思っていたことがあったが、山下に「俺のポジションがなくなる」と言われて以降は一度も吹いたことがない[31]。
- 『うたばん』(TBS)に初出演したときに石橋貴明から「横顔が雅山に似ている」と言われたことがある。また、ファンから容姿が村上健志(フルーツポンチ)に似ているとたびたび指摘されており、本人曰く「121回くらい言われた」とのこと[39]。
- 虫が苦手で、ラジオ番組のMCで虫のことが話題になるまでカメムシのことを知らなかった。
- 好きなお笑い芸人はオードリーで、『Music Lovers』で共演した際に若林正恭とメールアドレスを交換した。その後、2011年5月29日放送の『笑っていいとも!増刊号』で若林はまだ2人だけで会ったことがないと語ってたが、2013年の『いきものがかりの水野良樹ラジオ』でようやく再会を果たした。
- バンド「Groovy★Jack」に女性のキーボードが加入する事になり、リーダーだった水野は他メンバーに「恋愛禁止」と忠告したにもかかわらず自身はその女性が好きになり、5回告白したが全て断られ、5回目は笑われた[5]。
メディア出演
本節では水野単独での出演を記載する。いきものがかりでの出演はこちらを参照。
テレビ
ラジオ
- いきものがかりの水野良樹ラジオ(NHK-FM、2013年8月18日(第1弾)、2014年1月4日(第2弾)、2015年1月4日(第3弾)、2016年1月3日(第4弾))
- SATURDAY NIGHT J-POP(FMヨコハマ、2015年4月4日 - 2016年3月16日)
- SONAR MUSIC(J-WAVE、2016年10月6日 - 2019年3月)- 毎週木曜日担当のナビゲーターとして出演。[43]
- SPARK(J-WAVE、2019年4月 - ) 毎週月曜日担当のナビゲーターとして出演。
- TOKYO NIGHT PARK(J-WAVE、2020年4月 - 2021年3月)- ナビゲーターとして出演。
- Samsung SSD CREATOR'S NOTE(J-WAVE、2024年7月 - )[44]
Remove ads
楽曲提供
要約
視点
Remove ads
書籍
小説
- 幸せのままで、死んでくれ (2022年3月10日 文藝春秋)
HIROBA
要約
視点
HIROBA(ヒロバ)は、いきものがかりのリーダー水野良樹のソロプロジェクト。所属レーベルはソニー・ミュージックレーベルズ内のエピックレコードジャパン。
概要 (HIROBA)
自分自身の手でつくりあげるパーソナルプラットフォームを模索していく新たな試みとして始動した新プロジェクト。
来歴 (HIROBA)
2019年
- 4月1日、公式サイトでプロジェクト始動を発表。
- 4月17日、シンガーソングライター・小田和正とのコラボで、デビューシングル・「YOU (with 小田和正)」を発売。
- 8月14日、シンガーソングライター・高橋優とのコラボで、第2弾となるシングル「僕は君を問わない (with 高橋優)」を発売
2021年
- 10月28日、『OTOGIBANASHI』を講談社より刊行。
5人の作家が集い、5つの歌と、5つの小説を1冊(楽曲はCDとして封入)にして発売。
2022年
2023年
- 2月15日、フルアルバム「HIROBA」発売[59]。
音楽番組
- ミュージックステーション(テレビ朝日)
- 2021年11月12日「光る野原」HIROBA with 伊藤沙莉
ディスコグラフィー (HIROBA)
アルバム
書籍封入楽曲
水野良樹(HIROBA)『OTOGIBANASHI』講談社、2021年10月28日、80頁。ISBN 978-4065257838。
イベント
- HIROBA FES 2022×2023 第2弾「KATARI×BA」(2023年1月9日、オンラインライブ)
- 出演者:
- 大塚愛
- 水野良樹
- HIROBA FES 2022×2023 -FINALE! UTAI×BA−(2023年3月18日、LINE CUBE SHIBUYA)
- 出演者:
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads