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BONNIE PINK
日本の女性シンガーソングライター ウィキペディアから
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BONNIE PINK(ボニー・ピンク、1973年4月16日 - )は、日本の女性シンガーソングライター[4][5][6]。本名は浅田 香織(あさだ かおり)。京都市上京区の西陣地区出身[注 3]。所属マネージメント事務所はタイスケ。所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン[注 1]。公式ファンクラブ名は「Bonnie Link」。身長は160cm[7]。
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人物
「BONNIE PINK」という芸名は、それぞれの単語の響きと保守的でない印象の色の「Pink」から考案された[5]。もともとはBonnie Pinkという表記だったが、2001年某日から姓名判断により全て大文字のBONNIE PINKへと変更した。
カーディガンズをプロデュースし日本にスウェディッシュ・ポップを流行させたトーレ・ヨハンソン、シェリル・クロウやエルヴィス・コステロ等を手掛けたミッチェル・フルームら海外のプロデューサーを迎えたアルバムを制作。ほとんど英語詞のシングル「Heaven's Kitchen」を30万枚以上売り上げるなど、歌詞が英語では売れないという日本の音楽業界の常識を覆し、新たな女性シンガーソングライター像を確立した。近年は大ヒットしたシングル「A Perfect Sky」に関わったスウェーデンのBurning Chicken、ツアーでもバンマスを務める鈴木正人らの複数の音楽的ブレーンを曲ごとに起用し、多彩な彼女ならではのサウンドを深化させ続けている[8][9][10]。
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楽曲制作について
作詞に関しては、10歳の頃からデビュー前まで日記代わりに毎日"詩"を書くのが習慣だった[注 4]。子供の頃から洋楽ばかり聞いていたため、英語で歌うことに興味があったが、デビュー当時は英語で浮かんだ歌詞を無理矢理日本語に置き変えていた。しかしトーレ・ヨハンソンが英語詞のデモ曲を褒めてくれたことで英語の曲を書くことも事務所から認められるようになった。作曲の経験は全くなかったので、当初は他人が書いた曲を歌う予定だった。しかしアルバムの候補曲を聞いても歌いたい気持ちになれず、そのことを事務所の人間に正直に打ち明けたところ、自分で作ることを提案されて作曲を始めた[9][11]。
基本的には曲は家で作るが、メロディの断片的なものは乗り物で移動したり歩いたりと"体が揺れているとき"に頭に浮かぶことが多い。メロディと歌詞のどちらかが先にできることはなく、両方を同時に作りながら1曲を完成させる。ギターでコードを押さえながらコード感に合う映像をイメージしていくことで、言葉やメロディが導き出されていく。作詞のときに大事にしていることは、日本語でも英語でもその単語自体の言葉のアクセントを守ったままメロディに乗せることと、曲のグルーヴが止まらないように言葉のリズム感を大事にすること。詩の内容は八割方妄想だが、シンガーソングライターだから全て実際に経験していることだと思われるのが嫌で、人称も『君』と『僕』を使うなど、わざとひねった表現をしてストレートな言い方を避けていた。しかし年齢とともに少しずつ自分の女性性を受け入れられるようになり、『私』と『あなた』でも歌詞を書けるようになった[11]。
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主な使用機材
- Martin 00-21 NY(1963年製)- 主に作曲、レコーディングで使用。自分で初めて買ったギター。
- Fender USA Jaguar(1963年製)- プリンスの元ギタリストとして知られるWendy Melvoinが選んでくれたギター
- Taylor 614C - インディゴ・ブルーのエレアコ。主にライブで使用。
- Taylor 712(1989年製)
- Taylor T‐5 Custom - テイラー・ジャパンから永久レンタルされたチェリー・サンバーストの赤いエレアコ
- Gibson Hummingbird
- Roland RD-500
- Electro-Voice N/D967 - フラットヘッドが特長のマイク
ほか多数
来歴
要約
視点
6歳の頃にピアノを、小学校で合唱団に入って歌を始める[注 5][9][11]。
英語に触れたのは小学生の頃。3歳年上の兄が通っていた英語塾へ一緒に通うようになった。またその兄の影響でビートルズやプリンス、マイケル・ジャクソン、レニー・クラヴィッツなどの洋楽ばかりを聴くようになり、中でも特にプリンスがお気に入りだった。そして英語の曲を聞き取って自分で歌詞を訳し、その後に歌詞カードと照らし合わせて趣味のようにして英語を習得して行った[9][11]。
高校時代は同級生と結成したバンドでボーカルを務める[5]。
デビューのきっかけは大学の文化祭。「自由に使える部室が欲しい」という不純な動機で音楽と映画を研究するサークルを立ち上げたところ、文化祭で学校側に活動していることをアピールしなければならなくなった。仕方なく女性メンバーでバンドを組んで出演したところ、噂が友人を通じて事務所に伝わり、女性ボーカリストばかり集めたコンピレーションアルバムに参加することが決まった。「大学生活のいい思い出」程度に思っていたが、そのまま事務所にソロデビューを勧められ、音楽を一生の仕事にする覚悟も自信もないままデビューが決まった[9][12]。
1995年9月21日、自身の作詞・作曲によるアルバム『Blue Jam』でデビュー。そのアルバムからリカットした1stシングル「オレンジ」は全国38カ所のFMヘビーローテーションとなり、その歌唱力と作詞作曲センスに注目が集まる。その後、アルバム『Heaven's Kitchen』『evil and flowers』ではトーレ・ヨハンソンのプロデュース参加が話題となり[注 6]、シングル「Heaven's Kitchen」(1997年)が約30万枚を売り上げるヒットを記録した[4][9][10][12]。
1998年にアルバム『evil and flowers』を発表後、「BONNIE PINKと本来の自分とのギャップを感じる」ことを理由に単身渡米、活動休止に入った。それまで公私の区別もなくずっと仕事で疲れ果て、一定の評価を得ても専門的に勉強したことがないので自信が持てず不安は募る一方なのに表向きはBONNIE PINKとして毅然としていなければならず、音楽のことが嫌いになりかけていたことが理由だった。初めは休養と勉強のために3か月だけニューヨークに滞在する予定だったが、結局2年間を過ごすことになった。さまざまな経験を積んでいく中で自分に自信が持てるようになり、髪を赤く染めることも止めてよりナチュラルにふるまえるようになった。渡米の翌年にレーベルを移籍、2001年には芸名の小文字を大文字に変更した[5][9][11]。
2003年、「Tonight, the Night」で知名度が上がり、FMラジオなどを中心にリクエストやランキングのチャートインなどが増えて徐々に人気が出るようになった。
2004年5月、約6年振りとなるトーレ・ヨハンソンによるフル・プロデュースのアルバム『Even So』をリリース、ロングセラーとなる[4]。
2005年、デビュー10周年の9月21日にトーレ・ヨハンソン、Burning Chicken、Hod Davidの3組のプロデューサーが参加した8枚目のオリジナルアルバム『Golden Tears』をリリース。
2006年、映画「嫌われ松子の一生」で風俗嬢役で女優デビュー。さらに本人が劇中でソープ嬢に扮して歌う映画のテーマソング「LOVE IS BUBBLE」を5月にリリース。同じく5月に初の単行本『My life's in the bag〜出会いと思い出をカバンに詰めて〜』を講談社から発売。続く6月にはモデル蛯原友里を起用した資生堂「ANESSA」CMソング「A Perfect Sky」をリリース[注 7]。久々にオリコンチャートのトップ10入り(5位)を果たし、20万枚を越えるヒットとなる。7月には初のベストアルバム『Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)-』発売。こちらも初登場2位を記録し、70万枚を越えるヒットとなった。同年末には第57回NHK紅白歌合戦に初出場した[4][13]。
2007年、全国ツアーのファイナルで自身初となる日本武道館公演を行う。
2008年4月、WARNER MUSIC SWEDENよりアルバム『Thinking Out Loud』をリリースし、スウェーデンでCDデビュー。そのボーナストラックとして収録されたピーター・ビヨーン・アンド・ジョンのビヨーンのリミックスによる「A Perfect Sky (Björn Remix)」がスウェーデンのラジオ各局でヘビーローテーションされる。また同じく4月に全世界的な人気を誇るテレビゲーム「テイルズ オブ」シリーズのXbox 360用ソフト「テイルズ オブ ヴェスペリア」の海外用テーマソング「Ring A Bell」がiTunes Music Storeにて全世界同時配信される。6月4日にはこのTOVヴァージョン[注 8]のミュージック・ビデオが「iTunes ワールドプレミア」にて世界10カ国で同時配信された。また8月6日に国内版ゲームのテーマソングである日本語詞バージョン「鐘を鳴らして」をCDシングルとして発売。11月26日リリースのクレイグ・デイヴィッドのベスト・アルバム『GREATEST HITS』日本国内盤のスペシャル・ボーナス・トラックとして、彼のヒット作「ALL THE WAY」で彼女がコラボレーションした楽曲が収録される[注 9][4][5][14]。
2010年、デビュー15周年企画としてリレー式ショートムービー『フラレラ』が製作される。10月6日から特設WEBサイトにて15時間限定公開後、全6作品は1本にまとめられ、11月13日から19日までの1週間限定でユナイテッド・シネマ全国4カ所(東京:豊洲、埼玉:浦和、北海道:札幌、福岡:キャナルシティ13)で劇場公開された[15]。
2011年3月25日、東北地方太平洋沖地震の被災者に向けて書き上げた応援ソング「The Sun Will Rise Again」をチャリティーソング[注 10]として配信開始[4]。
2015年、デビュー20周年を迎える9月21日に東京・渋谷公会堂にてスペシャルライブ「BONNIE PINK 20th Anniversary Live "Glorious Kitchen"」を開催。このライブ中に、同年4月に結婚したことをファンに報告した[16]。
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ディスコグラフィ
シングル
配信限定シングル
ファンクラブ限定シングル
スタジオ・アルバム
ベスト・アルバム
その他のアルバム
アナログレコード
映像作品
参加作品
楽曲提供
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出版物
書籍
雑誌連載
Web
- POPEYE Web「TOWN TALK」(2022年6月度 - コラム掲載)
出演
テレビ
- スペースシャワーTV「YO-HO」(スカパー!・CSバーン - アシスタント 1996年4月 - 1997年3月)
ラジオ
- Artist Paradise Tuesday with Bonnie Pink(bayfm 毎週火曜深夜26:00 - 27:00、1997年4月 - 1998年3月)
- TOYOTA ROAD TO TOMORROW(J-WAVE 2011年9月マンスリーナビゲーター)
- Music Unlimited TOKYO VAGABOND(J-WAVE 2015年1月マンスリーナビゲーター、木曜担当)
- ポップ・リワインド90’s サマーナイト2015(NHK-FM 2015年8月15日ナビゲーター)
- 夜のプレイリスト(NHK-FM 2022年8月第1週ナビゲーター)
映画
- 嫌われ松子の一生(2006年 東宝) - 綾乃 役
- BONNIE PINK 15周年企画 リレー式ショートムービー「フラレラ」(2010年) - ソーセージ工場作業員 役
イメージキャラクター
- オンワード樫山「23区」(2005年8月1日 - 2006年1月31日)
コラボレーション
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タイアップ一覧
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ライブ
- 1997年
- Bonnie Pink "Heaven's Kitchen" TOUR
- Bonnie Pink 1997 学園祭Live
- Bonnie Pink LIVE FOR NEXT KITCHEN
- 1998年 - Bonnie Pink Tour "Goldfish"
- 2000年 - Bonnie Pink Tour "Let go"
- 2001年 - BONNIE PINK TOUR "Just a Girl"
- 2002年 - BONNIE PINK 2002 "学園祭LIVE"TOUR
- 2003年 - LIVE 2003 "Tonight, the Night"
- 2004年 - BONNIE PINK TOUR "Even So"
- 2005年
- BONNIE PINK 10th Anniversary SPECIAL EVENT
- BONNIE PINK TOUR "Golden Tears"
- 2006年 - BONNIE PINK Tour 2006 "Under The Perfect Sky"
- 2007年
- BONNIE PINK Tour 2007 "Thinking Out Loud"
- BONNIE PINK Tour 2007 "Thinking Out Loud" Final at 日本武道館
- 2008年
- BONNIE PINK LIVE 2008 "Pump It Up!"
- BONNIE PINK プレミアム・クリスマス・ ナイト at Billboard Live TOKYO
- HOLY WINTER 〜 SEASON OF LOVE J-WAVE 2008 - CHRISTMAS LIVE@TOKYO CITY VIEW
- FM NORTH WAVE HOLIDAY SPECIAL「NEW CHITOSE AIRPORT Fleur presents"WORLD CHRISTMAS」
- 2009年
- J-WAVE CAFE PARADISO PREMIUM〜BONNIE PINK 女性限定 LIVE & TALK〜
- BONNIE PINK TOUR 2009 "ONE"
- 2010年 - BONNIE PINK TOUR 2010 "Dear Diary"
- 2011年 - 恋するパワーガールズパーティ★ 〜女の子だけの秋まつり〜
- 2011年 - BONNIE PINK Acoustic Live Tour 2011 "@thebackroom"
- 2012年 - BONNIE PINK TOUR 2012 "Chasing Hope"
- 2013年
- BONNIE PINK with 新日本フィルハーモニー交響楽団
- "BONNIE PINK Coin Toss Tour" 「HEADS」&「TAILS」
- 2014年 - BONNIE PINK TOUR 2014 "Almost 20" & FINAL "Still 19"
- 2015年
- BONNIE PINK 20th Anniversary Live "Glorious Kitchen"
- BONNIE PINK 20th Anniversary TOUR 2015
- 2023年
- BONNIE PINK LIVE 2023 "Infinity"
主な出演イベント
- RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004 in EZO(2004年)
- ベリテンライブ(2004年、2009年)
- MIDEM(国際音楽産業見本市)(2005年)
- CMW2005(Canadian Music Week 2005)(2005年)
- SXSW(サウスバイサウスウエスト)(2005年)
- GIRL POP FACTORY(2005年、2007年)
- Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ(2005年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年)
- ap bank fes(2006年、2007年(中止)[注 14]、2008年、2011年)
- Live Earth(2007年)
- ロックの学園(2007年)
- WORLD HAPPINESS(2008年)
- お台場合衆国〜めざましライブ〜(2009年、2010年)
- めざまし LIVE ISLAND TOUR 2013 in 沖縄(2013年)
- やくしま森祭り(2009年)
- KOYABU SONIC(2010年、2011年)[注 15]
- HAPPY MUSIC FESTA(2010年、2011年、2012年、2013年)
- WARNER MUSIC JAPAN 40th.Anniversary 〜100年MUSIC FESTIVAL〜(2010年)
- テイルズ オブ フェスティバル 2012(2012年)
- JOIN ALIVE(2012年、2013年)
- OTODAMA ACO ROCK FES 2012(2012年)
- 音霊 OTODAMA SEA STUDIO 2013~SUNSET BEACH 2013~(2013年)
- 音霊 OTODAMA SEA STUDIO 2014~SOUND OF HER VOICE 2014~(2014年)
- 東京Meets Vol.7(2012年)
- Slow Music Slow LIVE(2012年、2013年、2014年)
- COUNTDOWN JAPAN(2012年)
- MIYAGI POKERUN(2014年)
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脚注
外部リンク
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