トップQs
タイムライン
チャット
視点

坂本冬美

日本の歌手 (1967-) ウィキペディアから

Remove ads

坂本 冬美(さかもと ふゆみ、本名同じ、1967年昭和42年〉3月30日 - )は、日本の演歌歌手[2]

概要 さかもと ふゆみ坂本 冬美, 出生名 ...

来歴

要約
視点

生い立ち

和歌山県西牟婁郡上富田町に生まれる[3]。春生まれであるが、肌が雪のように白かったため「冬美」と名付けられた[4]

中学生時代の作文で、将来の夢は演歌歌手と記していた。当時は石川さゆりのファンで、初恋の相手の影響でサザンオールスターズにも傾倒する[5]。中学・高校時代はソフトボール部に所属。ポジションはキャッチャーでチームのキャプテンも務めた[1]。よく野次る選手[6]、県大会で1回戦負けを喫したこともあった[7]

和歌山県立熊野高等学校時代は、アドベンチャーワールドでアルバイトをしていた。

会社員時代

1985年、和歌山県立熊野高等学校卒業後、大阪市所在のレストランオーナー会社に経理として入社するが約4ヶ月で退社。和歌山へ戻り、和歌山放送のディレクターの紹介で梅干し会社「株式会社ウメタ」に入社[8]。同社で勤務する傍ら、演歌歌手を目指してカラオケ教室に通っていた。

演歌歌手デビュー

1986年、素人向け音楽番組『勝ち抜き歌謡天国』(NHK総合[9]で名人となり「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝[1]。同番組出演者の猪俣公章の勧めで上京し、同年4月から約2年間、猪俣の内弟子となる[1]

デビュー直前、猪俣は冬美の「冬」の字を寂れたようなイメージだと嫌って「平仮名の芸名にしてほしい」と主張した。しかし既に各種印刷物など準備が進んでおり、刷り直すのに資金も手間もかかるため、スタッフが猪俣を説得し直して「坂本冬美」としてデビューすることとなった[10][11]

1987年に「あばれ太鼓」でデビュー。なお坂本は「この歌は売れませんね」と言ってしまい、猪俣から大目玉をくらったという[12]。しかし同曲は80万枚を超える売上を記録し『第29回日本レコード大賞』(TBSテレビラジオ)などで数々の新人賞を獲得するなど、いきなりブレイクを果たす[13]。猪俣の意向からプロダクション、レコード会社ともに坂本を大がかりに売り出したため、下積みは経験していない[14]

翌1988年には「祝い酒」のヒットにより『第30回日本レコード大賞』で金賞を受賞し『第39回NHK紅白歌合戦』で紅白初出場。1991年、芸術選奨新人賞大衆芸能舞踊部門を受賞。さらに年末には「火の国の女」で『第33回日本レコード大賞』最優秀歌唱賞(演歌・歌謡曲部門)を獲得した。そのほかにも1989年の「男の情話」や1992年の「男惚れ」など、初期は「男歌」を中心に歌唱していた。

1993年、師匠の猪俣が55歳で病逝。同年末の『第44回NHK紅白歌合戦』ではセーラーマーキュリーに扮して、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」を森口博子西田ひかるとともに歌唱した[15]

1994年、作曲家・三木たかし提供の「夜桜お七」がロングヒットを記録。同曲は同年末の『第45回NHK紅白歌合戦』を皮切りに、紅白にて通算8回歌唱している。2年後の1996年末の『第47回NHK紅白歌合戦』では、同曲で初の「紅組トリ」を務めた。

芸能活動一時休業

1997年に実父が交通事故死。「父の死を受け入れられず、人生の応援歌を歌うのが精神的に辛くなった」と、歌への情熱が薄れてしまったという。そのうえ虫垂炎で急遽入院。持病の膵臓炎の悪化など体調が優れないなかで、過密スケジュールをこなし続けた[16][17]

歌手活動15周年を迎えた2002年3月に芸能活動を休止する。自宅を猪俣の妻へ売却して、休養中は和歌山の実家に戻っていた。実家から全国各地の温泉などに赴いたが、旅行先ではまったく気づかれなかったという[18]。しかし、自宅売却などの身辺整理を行ってから故郷に戻ったために、重病説や死亡説、さらに隠し子を産んだ説まで、根拠のない噂話が飛び交った[19]

活動再開

歌手復帰のきっかけは、実家のテレビで二葉百合子の「岸壁の母」を聴き感銘を受けたことである[20]。坂本から歌のレッスンを申し込まれた二葉は「あなたも『歌の壁』にぶつかったのね」「その壁に気づくことは成長した証しなの。気がつかない人もいるんだから」と励ましの言葉を掛けたという[21][22]。休業から1年後の2003年4月1日、『NHK歌謡コンサート』にて芸能活動の再開を宣言した。

2008年、「和歌山県ふるさと大使」の第一号となった[23]

2009年、ビリー・バンバンのカバー曲「また君に恋してる」を発売。翌2010年にさらに売上げを伸ばし、坂本最大のヒット曲となった。

2011年5月22日、和歌山県田辺市新庄総合公園で行われた「第62回全国植樹祭」の記念式典で天皇皇后の前で国歌「君が代」を独唱する[24]

2016年、毎日芸術賞特別賞受賞。

2020年4月、「俺でいいのか」ギター伴奏バージョンの発売記念イベントが新型コロナウイルスの影響で中止になり、代わりに自宅での配信企画を自身のYouTubeチャンネルで行う[25]。同年11月、桑田佳祐作詞作曲の「ブッダのように私は死んだ」が発売され「いつか桑田に曲を書いてもらう」という夢を叶えた[25]

Remove ads

人物

要約
視点

交友関係

伍代夏子藤あや子は公私共に親しい。また「二葉組」と称して二葉百合子門下生で定期的に集まっており、藤あや子(あやちゃん)・原田悠里(ゆりねえ)・島津亜矢(あやや)・石原詢子(じゅんじゅん)・坂本(まめちゃん)とあだ名を付けて呼び合っている[26]。年下の石原については「色気がないから、私が兄で詢子ちゃんは弟だと言われている」とのこと[27]。藤・石原・坂本の3人でペンションを借りてゴルフ合宿をしたこともある[28]

マルシアは妹弟子で、東京でできた初めての友人である。マルシアは内弟子生活に耐えかねて1度だけ家出をしたが、家出先は坂本の家であった[29]。声優の水樹奈々とは阪神ファンという共通の趣味で意気投合した[30]

不祥事

2007年、出資法違反容疑などで摘発された株式会社エル・アンド・ジーによる、顧客獲得のための会員向けコンサートに出演していたことが発覚[31](円天事件[32])。被害対策弁護団が2度にわたって照会書を送付したが、坂本はいずれも回答しなかった[33][34][注釈 1]

2009年10月、インターネットショップ「冬美商店」の運営責任者を務める弟[37]が、野球賭博の疑いで暴力団組員とともに逮捕された[38][注釈 2]。坂本はこの件で所属事務所に寄せられたメールには全て目を通したと言い、以下の通り謝罪した[40][41]

身内の不祥事ですので、ファンの方々にはご報告をさせて頂きます。ご心配をおかけ致しまして誠に申し訳ございません。

今後どのようになるのか分かりませんが、この事実は家族全員の問題として、考えていかねばと思っております。

私自身、姉として二度と過ちを犯さないように、弟を厳しく指導しつつ、歌の道をおろそかにする事無く、前向きに頑張って参ります。

皆様には変わらぬご声援を宜しくお願い致します。

お騒がせ致しました事、深くお詫び申し上げます。
改めてファミリーの皆様の温かさにふれ、感激しております。

前にも申し上げました通り、反省すべき事は反省し、その上で前向きに頑張ってまいりますので、どうかこれからも変わらぬご声援を宜しくお願い致します。

この度はありがとうございました。

そして、本当に申し訳ございませんでした。
情けなく恥ずかしい気持ちでいっぱい。二度と過ちを犯さないよう、家族全員で厳しく指導して参ります

弟は2023年8月に55歳で病死、「派手に送ってほしい」という遺言を受けて、たくさんの供花やサザンオールスターズの楽曲と共に送り出された[42]

嗜好

高校卒業後、地元の梅干し会社「株式会社ウメタ」に就職し、梅干しの塩分等の検査に従事した経験があり[1][43]、梅干しの味にこだわりをもつ。本人は「(工場に勤務していたからではなく)生まれ育った紀州の風土によるもの」と説明し[44]、紀州南高梅以外の梅干しは一切食べないと述べている[45]。コンサート会場では薄塩・しそ・はちみつの3種類の梅を販売している[46]

梅干しのほかに寿司・イチゴ・みかん・パパイヤを好む。デビュー当時のプロフィールの好きな歌手の欄には、石川さゆりとサザンオールスターズの名をあげていた[47]

Remove ads

ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

さらに見る #, 発売日 ...


配信限定シングル

さらに見る 発売日, タイトル ...

デュエット・シングル

さらに見る 発売日, デュエット ...

企画シングル

さらに見る 発売日, 曲順 ...
さらに見る 発売日, 曲順 ...
さらに見る 発売日, 曲順 ...

アルバム

オリジナル・アルバム

さらに見る No., タ イ ト ル ...

カバー・アルバム

さらに見る No., タ イ ト ル ...

ライブ・アルバム

さらに見る No., タ イ ト ル ...

ベスト・アルバム

さらに見る No., タ イ ト ル ...

企画アルバム

さらに見る タ イ ト ル, 名義 ...

タイアップ曲

さらに見る 年, 楽曲 ...

映像作品

さらに見る No., タ イ ト ル ...
Remove ads

出演

要約
視点

ドラマ

テレビ番組

映画

NHK紅白歌合戦出場歴

坂本の紅白出場数・通算35回は、紅組歌手として石川さゆり(46回・2023年現在継続中)、和田アキ子(39回)に次ぎ、島倉千代子(35回)と並ぶ史上第3位タイである(白組歌手も含むと歴代8位タイ)。

さらに見る 年度, 放送回 ...
  • 前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

人生、歌がある

さらに見る 放送回 ...

ラジオ

  • 坂本冬美の初恋演歌
  • 坂本冬美 演歌で恋して

CM・企業イメージソング

  • 春日井製菓「のどにスッキリ」(2011年10月 - )
  • 中島町 イメージソング「白いかおりの島へ」
    • 作詞:池田充男・作曲:浜口庫之助
    • 1989年、旧中島町で開催された「中島ばんざいまつり」­­に坂本冬美を招き発表される。中島町は松山市に合併されたが、中島への定期船を運航する中島汽船では現在も各港への入出港時にこの曲を流しており「ブッダのように私は死んだ」が100万回再生を達成するまでは坂本にとって最も多く再生された曲であった。
  • アサヒビール「クリアアサヒ」(2024年3月 - )[57]
Remove ads

書籍

漫画

  • 炎歌(えんか)(2006年) - 坂本冬美をモデルに漫画化、『週刊漫画TIMES』で連載

連載

  • FLASH「坂本冬美のモゴモゴモゴ」→「坂本冬美のモゴモゴ交遊録」→「坂本冬美のモゴモゴ紅白」

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads