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渡邉晋
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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渡邉 晋(わたなべ すすむ、1973年10月10日 - )は東京都西多摩郡日の出町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(主にセンターバック)[1]。2003年、2004年の登録名は「渡辺 晋」[2][3][4]。
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来歴
駒澤大学から当時JFL所属のコンサドーレ札幌に入団、以後札幌、ヴァンフォーレ甲府、ベガルタ仙台で主力として活躍し、2004年限りで現役引退。仙台の巡回コーチを経て、2007年まで仙台ユースヘッドコーチ。2008年シーズンからトップチームコーチに昇格。
2014年はトップチームヘッドコーチに就任し、就任まもなくJFA公認S級コーチのライセンス取得が発表された。同年4月、グラハム・アーノルド監督の成績不振による退任に伴い、トップチームの監督に就任[5]。クラブ初のOB監督となった。 就任初戦となった第7節・横浜FM戦でシーズン初勝利を挙げると、W杯中断前には4連勝し、降格圏内からの脱出に成功した。中断明けには勝てない試合が続いたが、再び降格圏に陥ることはなく、第33節・徳島戦に勝利して、チームのJ1残留を決めた(最終順位は14位)。
2015年も引き続きチームを指揮し、第1ステージは7位と健闘するも、第2ステージは16位と苦戦を強いられた。それでも年間総合14位でJ1残留。翌2016年は年間総合12位(第1ステージ10位、第2ステージ12位)でJ1残留。2017年も前年と同じ12位でJ1残留。2018年は前年より1つ上の11位、天皇杯ではチーム初の準優勝に導いた。2019年も前年と同じ11位でJ1に残留させたが、シーズン終了後の12月9日、同年をもっての退任が発表された[6]。
2020年12月21日、J2のレノファ山口FCの監督に就任することが発表された[7]。しかし、2021年9月29日に本人申し出により監督を退任したことが発表された。退任時点でクラブは8勝8分15敗で15位という成績であった[8]。
2022年1月2日、サガン鳥栖の監督に就任した川井健太の後任として、モンテディオ山形のトップチームコーチに就任した[9]。
2023年4月4日、成績不振により同月2日付で解任されたピーター・クラモフスキーの後任として、トップチームの監督に就任した[10]。同年はチームを5位にまで押し上げ、J1昇格プレーオフ進出にまで導く(準決勝で清水と引き分け。レギュレーションにより敗退)。
翌2024年は順位を1つ上げ4位。前年に続き、チームをJ1昇格プレーオフ進出に導いた(準決勝で岡山に敗戦)。
2025年は開幕時から低迷が続き、6月15日に行われた古巣ベガルタ仙台とのみちのくダービーに3-4で逆転負けを喫して4連敗になったところで、6月16日付で監督契約を解除。同18日にその旨が発表された[11]。
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所属クラブ
個人成績
- Jリーグ初出場 - 1999年3月14日 J2第1節 大宮アルディージャ戦 (韮崎中央公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 1999年4月10日 J2第5節 川崎フロンターレ戦 (山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場)
指導歴
監督成績
- 2014年は第7節からの途中就任、順位はシーズン最終順位。
- 2015年、2016年のリーグ戦は2ステージ通算。
- 2021年は退任時点での成績。
- 2023年は第8節からの途中就任、順位はシーズン最終順位。
- 2025年は第19節までの成績
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タイトル
個人
書籍
- ポジショナルフットボール 実践論 すべては「相手を困らせる立ち位置」を取ることから始まる(カンゼン)2020年10月
脚注
関連項目
外部リンク
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