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田中悠一

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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田中 悠一(たなか ゆういち、1985年3月14日 - ) は、将棋棋士関根茂九段門下。棋士番号は270。

概要 田中悠一 六段, 名前 ...

長野県長野市出身[1]長野県長野高等学校[2]立教大学理学部数学科[3]卒業。

人物

  • 立教大学出身では初のプロ棋士。
  • 得意な戦法は中飛車[3]
  • 金井恒太とは小学生の時からの知り合いで、一緒に観劇などに行く仲[注 1]
  • 2024年時点で長野県諏訪郡下諏訪町の在住であることを公表している[4]

棋歴

将棋を覚えたのは小学4年の時。友人の対局を見て興味を持った。父にルールを教わって間もなく、将棋道場「長野王将クラブ」で腕を磨いた[5]

中学1年の時全国中学生選抜将棋選手権に出場し3位。翌年奨励会に入会。1級から初段への昇段と初段から二段への昇段にそれぞれ1年半を費やすなど、苦労したものの、2004年4月に三段に昇段し、2004年度後期(第36回)から三段リーグに参戦。2期目の2004年度後期では4勝14敗と不振にあえぎ降段点を喫するも、その後持ち直し2007年度後期(第42回)において、稲葉陽に次ぐ2位の成績(13勝5敗)で四段昇段(プロ入り)[6]。長野県出身者としては、木下浩一以来20年ぶり。

プロ入り後

プロ入り初参戦の第67期(2008年)順位戦では3勝7敗と不振も、剣が峰で降級点を回避した[注 2]。その一方で、第2回朝日杯将棋オープン戦では、二次予選入り。1回戦で高橋道雄に勝ち、決勝で木村一基に敗れるまで勝ち残る活躍を見せた。

第58期(2009年)王座戦一次予選第1回戦で、石橋幸緒に敗北。同棋戦では第55期より女流棋士の一斉対局が行なわれていたが女流棋士への白星献上第一号となってしまった。また若手女流棋戦の第4回白瀧あゆみ杯争奪戦に角落ちの手合で出場し、優勝した。

同年、第22期竜王ランキング戦6組の3位決定戦(2009年10月23日)を制し、同棋戦参加1年目にして5組昇級を勝ち取る。

2012年度は第70期順位戦C級2組において、デビュー以来初めてとなる勝ち越し(7勝3敗)に成功した。しかし、第25期竜王戦では3連敗を喫し、6組へ降級となった。

2013年度は全成績(年度単位)で、21勝13敗の成績を収めた(現在まで唯一の20勝以上の勝ち星となっている)。

2014年度は第22期銀河戦で活躍。本戦ブロックを6連勝で突破すると、決勝トーナメントでも1回戦で豊島将之に勝利する金星[注 3]を見せ、ベスト8まで進出した(佐藤天彦に敗戦)。

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昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1998年09月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 2004年04月00日 : 三段(第36回奨励会三段リーグ〈2004年度後期〉から三段リーグ参加)
  • 2008年04月01日 : 四段(第42回奨励会三段リーグ成績2位) = プロ入り
  • 2014年10月23日 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝106敗)[7]
  • 2023年10月12日 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝255敗)[8][9]

主な成績

非公式戦優勝

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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