トップQs
タイムライン
チャット
視点

第13師団 (陸上自衛隊)

ウィキペディアから

第13師団 (陸上自衛隊)
Remove ads

第13師団(だいじゅうさんしだん、JGSDF 13th Division)は、中部方面隊隷下にあった師団のひとつである。3個普通科連隊を基幹とし、中国地方の防衛警備を担当していた。廃止後は第13旅団が編成されている。

概要 創設, 廃止 ...

沿革

要約
視点

乙師団

  1. 海田市駐屯地において創隊式を挙行。
  2. 第13特科連隊姫路駐屯地において編成完結[1]
  3. 第13戦車大隊今津駐屯地において編成完結[1]
  4. 第8普通科連隊は海田市駐屯地から米子駐屯地へ移駐[2]
※ 編成(師団司令部、同付隊、第8第15第17普通科連隊、特科連隊、戦車大隊、施設大隊、通信大隊偵察隊対戦車隊、武器隊、補給隊、輸送隊、衛生隊)
1965年頃の主要編成
第8・第15・第17普通科連隊、第13特科連隊、第13戦車大隊
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月31日:日本原駐屯地が開設。第13特科連隊第2大隊が姫路駐屯地から日本原駐屯地へ移駐[3]
    • 6月30日:第13戦車大隊が今津駐屯地から日本原駐屯地へ移駐[3]

甲師団

  • 1970年(昭和45年)3月10日:師団改編(甲師団化:定員9,000名)。4個普通科連隊を基幹とする。
  1. 第46普通科連隊善通寺駐屯地に新編。海田市駐屯地に移駐。
  2. 第13特科連隊に第4大隊、第5大隊第12中隊および第6大隊第5射撃隊を新編。
  3. 第13戦車大隊に第4戦車中隊を新編。
  • 1971年(昭和46年)3月25日:第13特科連隊主力(第1・2大隊欠)が日本原駐屯地に移駐[2]
  • 1975年(昭和50年)8月1日:第13音楽隊を海田市駐屯地に新編。

乙師団

  • 1981年(昭和56年)3月25日:四国4県・淡路島の警備を担当する第2混成団新編による師団改編(乙師団化:定員7,100名)。
  1. 第15普通科連隊が第2混成団隷下に編入。
  2. 第13戦車大隊第4戦車中隊を第2混成団戦車隊に改編。
  3. 第13特科連隊第4大隊および第5大隊第12中隊を基幹とし、第6大隊から1個高射中隊を新編して、第2混成団特科大隊を新編[4]
1990年頃の主要編成
第8・第17・第46普通科連隊、第13特科連隊、第13戦車大隊

甲師団(近代化改編)

  • 1991年(平成03年)3月29日:師団近代化改編。
  1. 第8・第17・第46普通科連隊を自動車化連隊に改編。
  2. 第13武器隊、第13補給隊、第13輸送隊、第13衛生隊を統合し、第13後方支援連隊を新編。
  3. 第13特科連隊第6大隊を第13高射特科大隊として分離独立、師団直轄とする。
  4. 第13師団司令部付隊に化学防護小隊を新編。
  5. 第13偵察隊に電子偵察小隊を新編。
  • 1994年(平成06年)3月28日:中部方面航空隊から第13飛行隊を隷下に編入。
  • 1999年(平成11年)3月28日:陸上自衛隊で初の旅団編成となる第13旅団への改編に伴い、廃止。
Remove ads

廃止時の編成

廃止後の編成を併記する。

Remove ads

司令部および歴代師団長

さらに見る 代, 氏名 ...

その他

1970年代には広島市内で観閲行進を行っていた。1970年(昭和45年)10月25日に自衛隊創立20周年を記念して実施し、革新系の諸団体が「軍国主義の復活」と抗議した[5]1971年(昭和46年)10月31日に行った観閲行進では、広島城南側交差点から紙屋町交差点(前年度は広島市役所前)の間で、戦車15両、ヘリコプター10機、火砲90門、隊員1,500人の規模で行われた[6]

1972年(昭和46年)10月29日の自衛隊創立22周年観閲行進は、日本社会党日本共産党、広島県職員労働会議(県労)など革新系の10団体が山田節男市長に協力中止を申し入れたほか、10月12日に観閲行進と同時刻に同一コースでの反戦デモを申請。10月23日に広島県公安員会は時刻変更と一部の集会を不許可とする条件で許可したため、諸団体は主催を県労に一本化。広島地方裁判所に一部許可の取り消しと執行停止の申し立てを行ったが、10月27日に裁判所は「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」を理由に認めない決定を出した。10月25日には、10団体からなる国際反戦平和統一運動広島県実行会議が山田市長に「市中パレード観閲の拒否」を申し入れたが、山田市長は個人的には自衛隊を是認していないとしつつ「国家機関の実施する儀礼的な行事をボイコットするわけにはいかない」と回答した。結局、前年より規模が縮小され、航空機6機、戦車14両を含む車両200両、隊員1,100人が広島県庁前で観閲行進が実施された[7]

1973年(昭和48年)10月29日にも、自衛隊創立22周年の観閲行進を戦車25両、砲11門、航空機11機、隊員1,000人の規模で広島県庁前で実施。約4万3,000人の観衆があったが、反対派は6,000人規模の集会を実施した[8]

Remove ads

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads