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第13師団 (陸上自衛隊)
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第13師団(だいじゅうさんしだん、JGSDF 13th Division)は、中部方面隊隷下にあった師団のひとつである。3個普通科連隊を基幹とし、中国地方の防衛警備を担当していた。廃止後は第13旅団が編成されている。
沿革
要約
視点
乙師団
- 1962年(昭和37年)1月18日:陸上自衛隊の師団制への改編に伴い、第3管区隊を主な母体として中国5県(山口県、広島県、岡山県、島根県、鳥取県)および四国4県(香川県、愛媛県、徳島県、高知県)、兵庫県淡路島を担任する定員7,000名の乙師団として編成完結。3個普通科連隊基幹。
- 1965年頃の主要編成
- 第8・第15・第17普通科連隊、第13特科連隊、第13戦車大隊
甲師団
- 1970年(昭和45年)3月10日:師団改編(甲師団化:定員9,000名)。4個普通科連隊を基幹とする。
乙師団
- 第15普通科連隊が第2混成団隷下に編入。
- 第13戦車大隊第4戦車中隊を第2混成団戦車隊に改編。
- 第13特科連隊第4大隊および第5大隊第12中隊を基幹とし、第6大隊から1個高射中隊を新編して、第2混成団特科大隊を新編[4]。
- 1990年頃の主要編成
- 第8・第17・第46普通科連隊、第13特科連隊、第13戦車大隊
甲師団(近代化改編)
- 1991年(平成 3年)3月29日:師団近代化改編。
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廃止時の編成
廃止後の編成を併記する。
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司令部および歴代師団長
→詳細は「司令部 § 陸上自衛隊の師団の司令部等の構成」を参照
その他
1970年代には広島市内で観閲行進を行っていた。1970年(昭和45年)10月25日に自衛隊創立20周年を記念して実施し、革新系の諸団体が「軍国主義の復活」と抗議した[5]。1971年(昭和46年)10月31日に行った観閲行進では、広島城南側交差点から紙屋町交差点(前年度は広島市役所前)の間で、戦車15両、ヘリコプター10機、火砲90門、隊員1,500人の規模で行われた[6]。
翌1972年(昭和46年)10月29日の自衛隊創立22周年観閲行進は、日本社会党や日本共産党、広島県職員労働会議(県労)など革新系の10団体が山田節男市長に協力中止を申し入れたほか、10月12日に観閲行進と同時刻に同一コースでの反戦デモを申請。10月23日に広島県公安員会は時刻変更と一部の集会を不許可とする条件で許可したため、諸団体は主催を県労に一本化。広島地方裁判所に一部許可の取り消しと執行停止の申し立てを行ったが、10月27日に裁判所は「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」を理由に認めない決定を出した。10月25日には、10団体からなる国際反戦平和統一運動広島県実行会議が山田市長に「市中パレード観閲の拒否」を申し入れたが、山田市長は個人的には自衛隊を是認していないとしつつ「国家機関の実施する儀礼的な行事をボイコットするわけにはいかない」と回答した。結局、前年より規模が縮小され、航空機6機、戦車14両を含む車両200両、隊員1,100人が広島県庁前で観閲行進が実施された[7]。
1973年(昭和48年)10月29日にも、自衛隊創立22周年の観閲行進を戦車25両、砲11門、航空機11機、隊員1,000人の規模で広島県庁前で実施。約4万3,000人の観衆があったが、反対派は6,000人規模の集会を実施した[8]。
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脚注
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