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箱根駅伝の記録一覧
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箱根駅伝の記録一覧(はこねえきでんのきろくいちらん)とは箱根駅伝にまつわる様々な記録の一覧である。
基本的には各項目上位10傑を掲載(項目によっては「最大」「最小」の記録のみ)。タイムは各区間と往路・復路・総合のみにとどめている。各記録は第101回大会(2025年)までのものを記述してある。
歴代本戦出場校一覧
※出場回数、初出場大会、優勝回数並びに最高順位の各項目の集計は第101回大会(2025年)でのもの。
※シード関連の記録は第32回大会以降のもの。
- 出場回数順で表記。同数の場合は初出場が古い順、総合成績の優勝回数順、最高位順で表記。
- 上記大学以外に選抜チームの一員として、以下の大学所属の選手が出場(出走)したことがある。
- 上記大学以外に以下の大学所属の選手が、実際の出場(出走)はしていないが、選抜チームのエントリーメンバーとして選手登録されていた。
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各校の特徴
- 出場回数順で表記。同数の場合は初出場が古い順、総合成績の優勝回数順、最高位順で表記。
- 中央大学
- →「中央大学陸上競技部」を参照
- 早稲田大学
- →「早稲田大学競走部」を参照
- 日本大学
- 優勝回数12回を誇り、戦前初の4連覇を果たした。この際に優勝旗を永久授与されたが、太平洋戦争によって焼失してしまい、竿だけが残ってしまった。戦後も中央大学と共に50年代から60年代にかけて覇権を争い、3大会連続でオリンピックマラソン代表となった宇佐美彰朗を輩出している。その後は第50回大会を最後に50年以上総合優勝から遠ざかっている。シード校の制度が導入された第33回大会から第72回大会までの間、第62回大会を除き全ての大会でシード権を獲得し続けてきたが、第73回大会では予選会で敗れ、連続出場が47回で途切れた。2004年からはケニア人留学生を起用し巻き返しを狙っているものの、第83回大会の2位を最後に上位争いから遠ざかっている。練習拠点は世田谷区の文理学部キャンパスだが、大学の学部が東日本各地に分散している。たすきの色は桜色。(日本大学陸上競技部 特別長距離部門)
- 法政大学
- これまでに往路優勝・復路優勝の経験が1回ずつあるが、総合優勝はまだなく、最高順位は第12回大会と第22回大会の3位。戦前に短距離選手ながら箱根駅伝を走った大木正幹は在学中にロサンゼルスオリンピック400m代表となった。60年代まではシード校の常連であったが、その後の出場成績は下位に沈むことが多くなり、予選会で敗退することも度々あった。元監督の成田道彦は第54回大会の2区で瀬古利彦を破って区間賞を獲得した経験がある。その成田監督の下で上位戦線を賑わした2000年代前半は、選手全員がスクールカラーのオレンジに髪を染めて出場したり、選手の多くがサングラスを着用するなど、派手なチームカラーを前面に押し出していたが、これは第76回大会1区区間賞、第77回大会2区2位の徳本一善の影響が大きかった。第78回大会では、徳本の走行中の怪我により2区で途中棄権しているが、スタート地点から28.3km(2区7.3km)での棄権は大会史上最短記録となっている。2020年東京オリンピックでは、5000mに坂東悠汰、3000mSCに青木涼真が出場した。練習拠点は町田市。たすきの色はオレンジに紺の縁取り。(法政大学陸上競技部)
- 東洋大学
- →「東洋大学陸上競技部」を参照
- 日本体育大学
- 初出場は1949年。前身である日本体育専門学校の出場回数(1)を含む。優勝回数は10回。70年代に5連覇を達成。この時代は学園紛争の時期にもあたり、その影響が少なかったことも追い風になった。応援団が行う優勝の雄たけび「エッサッサ」は有名。初出場からの連続出場記録を保持し、現在もなお更新中。また、上記の中央大学の連続出場記録のストップ以降、現在まで続いている連続出場記録としても最長となっている。80年代まで順天堂大学・早稲田大学と共に覇権を争った。第33回大会から第68回大会まで36回連続シード権獲得の最長記録を持つ。東京世界陸上マラソン金メダリスト・バルセロナオリンピック8位入賞の谷口浩美、1500mの元日本記録保持者石井隆士、ボストンマラソン優勝・ミュンヘン五輪マラソン代表の采谷義秋、ソウル五輪マラソン・ロサンゼルス五輪10000m・モスクワ五輪5000mの代表である新宅雅也、シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次、世界陸上シュトゥットガルト大会10000m代表の平塚潤など名選手が多く、大学が保健体育教員養成系の伝統校であることから体育教員(指導者)として全国各地にも多数のOBがいる。80年代は指導者(監督)不在で学生主導のチーム作りが行われた為に90年代の不振を招いたが、当時を知る世代がその後各大学の指導者として活躍。第89回大会で30年ぶりの総合優勝を果たした。練習拠点は横浜市青葉区の健志台キャンパスで、陸上競技長距離記録会のさきがけである日体大長距離競技会もここで行われる。たすきの色は白、花桜のシンボルマークと日本体育大学の青色刺繍文字。1969年の初優勝時に使われていた紺地で胸に花桜のシンボルマーク(Tのロゴマーク-Tは体育大学TAIIKUDAIGAKUのT)がついたユニホームは第65回大会で再び採用されたものの、第75回大会を最後に使用していない。現在のユニホームは白地に横じま青ラインに白抜きで日本体育大学の文字を使用。短パンは青色、右側縦書きで日体大の文字(全盛期の70年代から80年代までとほぼ同一のものだが、胸の文字のみ第82回大会で「日本体育大」から変更されている)。(日本体育大学駅伝部)
- 専修大学
- →「専修大学陸上競技部」を参照
- 東京農業大学
- 最高順位は第53回大会の2位で、往路優勝の経験がある。沿道で応援団が繰り広げる大根踊りは箱根駅伝の風物詩として有名。60年代後半や2000年代に空白の期間があるが、それ以外は継続的に出場していた。不出場明けの70年代は服部誠らの活躍で優勝戦線に食い込んだ。第86回大会では5位に入り、14年ぶりのシード権を獲得している。第90回大会の出場を最後に再び予選落ちが続いていたが、第100回大会で10年ぶりに本戦出場を果たす。練習拠点は世田谷区。たすきの色は長年松葉緑が採用されていたが、第100回大会では白地に金の縁取りが入ったものを使用する。(東京農業大学 農友会陸上競技部)
- 明治大学
- →「明治大学体育会競走部」を参照
- 順天堂大学
- 1980年代に4連覇を達成するなど、優勝回数11回を誇る。復路に強く『復路の順大』『逆転の順大』とも呼ばれている。また、医学部を擁する大学の特性を生かしてスポーツ医学を取り入れた科学的なトレーニングや調整方法を行っている。女子マラソンの有森裕子、鈴木博美、高橋尚子を育てた小出義雄も同校OB。黎明期のエースだった澤木啓祐はその後母校の監督として『澤木マジック』と言われる独自の調整法を築き、日本陸連の強化委員長としても腕を振るった。5校しかない大学駅伝三冠の1校であり、1960年代後半から2000年代にかけて優勝争いの常連校であった。初代・山の神と呼ばれた今井正人を擁して優勝した第83回大会を最後に優勝から遠ざかっているものの、2016年リオデジャネイロ五輪では当時在学中の塩尻和也が、2020年東京オリンピックでは在学中の三浦龍司とOBの松枝博輝がそれぞれ日本代表に選出されている。
- 練習拠点は印西市で、スポーツ健康科学部もここに存在する。たすきの色は白赤のツートーンだが、むしろユニフォームの茄子紺(深い青色)のイメージが強い。(男子駅伝 - 順天堂大学)
- 筑波大学
- →「筑波大学陸上競技部」を参照
- 駒澤大学
- →「駒澤大学陸上競技部」を参照
- 神奈川大学
- →「神奈川大学陸上競技部駅伝ブロック」を参照
- 国士舘大学
- 60年代から70年代にかけて何度も優勝争いを演じる。第39回大会から4年連続で1区区間賞を獲得するなど、往路前半区間でリードを奪う戦い方で『突進の国士舘』と呼ばれた。しかし要所でのブレーキに泣かされることが多く、最高順位は第40回大会と第43回大会の3位。80年前後から長く低迷が続き、90年代に入ってからは第69回大会予選会で敗退し36回続いた連続出場が途切れ、その後の予選会でもあと一歩のところで出場を逃し続けるなど苦戦してきた。第80回大会で10年ぶりに出場を果たし、その後は定期的に出場を続けている。練習拠点は多摩市。たすきの色は長年黄土色が採用されていたが、第88回大会からスクールカラーの青に赤の縁取りがされたものに変更された。(国士舘大学陸上競技部)
- 大東文化大学
- 出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝の大学駅伝三冠を初めて成し遂げた大学。日本大学OBの靑葉昌幸の指導で強豪校へと上り詰め、4回の優勝を誇る。練習拠点は東松山市にあり、近くの森林公園でクロスカントリーをトレーニングに導入している。その為伝統的に山のスペシャリスト養成に長けている。山の区間での快走が優勝に絡んでおり、『山の大東』と称される。中でも4年連続5区区間賞の大久保初男は有名。ソウルオリンピック代表の米重修一、アトランタオリンピックマラソン代表の実井謙二郎も同校出身者。90年代半ばに低迷期を経験するまでは長く上位入賞の常連だった。2000年代後半以降は上位争いから遠ざかっており、第84回大会で初の途中棄権。第87回大会は予選会で敗退し、初出場からの連続出場が43回で途切れた。たすきの色はライトグリーン。(大東文化大学陸上競技部)
- 東海大学
- →「東海大学陸上競技部」を参照
- 拓殖大学
- →「拓殖大学陸上競技部」を参照
- 山梨学院大学
- →「山梨学院大学陸上競技部」を参照
- 亜細亜大学
- 第43回大会で初出場。後に初優勝時の監督となる岡田正裕はこの時に主将として9区を走っている。以後、何度かシード権を獲得し、連続出場を続けていたが第54回大会で予選敗退。以後出場してもシード権を獲得出来ず、予選敗退も度々経験した。第72回大会ではエチオピアからの留学生(当初からの陸上目的ではなく、学業目的で来日した本来の意味での留学生であった)であるビズネ・ヤエ・トゥーラが1区区間賞を獲得し、20年ぶりのシード権を獲得するも、第74回大会予選会で再び敗退する。ニコニコドーで松野明美を育てたことで知られていた岡田が監督に就任後、夏合宿に酷暑の九州地方を選んでスタミナ養成をはかり、高校時代は無名の選手たちを成長させ、第78回大会で本大会復帰を果たすと、第82回大会で初優勝。14番目の優勝経験校となった。練習拠点の日の出町からは、部員たちが挨拶運動を行うなどして町から感謝状が贈られている。岡田の監督退任後は第86回大会を最後に予選落ちが続いている。たすきの色は緑に空色の縁取り。(亜細亜大学陸上競技部)
- 慶應義塾大学
- →「慶應義塾大学競走部」を参照
- 立教大学
- 最高順位は第33回大会の3位。60年代前半に山登りで活躍した浜崎真造が、第82回大会の5区コース延長によってクローズアップされている。第44回大会を最後に本大会出場から遠ざかっていたが、2002年に箱根駅伝出場を支援する組織である「立教箱根駅伝プロジェクト」が設立。2018年には第100回大会での復活出場を目指す「立教箱根駅伝2024」事業が開始され、中央大学OBで2009年ベルリン世界陸上5000m代表の上野裕一郎を監督に招聘した。第84回・第85回・第97回・第98回大会には関東学連選抜・関東学生連合のメンバーとして選手が出場していたが、第99回大会で歴代最長ブランクとなる55年ぶりの本大会出場。当初の復活目標であった翌第100回大会では予選会直前に上野が自身の不祥事により解任となったが、選手の奮闘により予選を通過。第101回大会では新監督となった髙林祐介のもと予選会をトップ通過し終盤までシード権争いに絡むなど、着実に成績を伸ばしている。練習拠点は新座市。たすきの色は江戸紫。(立教大学体育会陸上競技部男子駅伝チーム)
- 青山学院大学
- →「青山学院大学陸上競技部」を参照
- 帝京大学
- →「帝京大学陸上競技部」を参照
- 中央学院大学
- 順天堂大学OBの川崎勇二が1985年にイチから駅伝部を立ち上げ、1994年の第70回大会で初出場を果たした。最高順位は第84回大会の3位。4年ぶりの出場で初シードを獲得した第79回大会以降連続出場を続けていたが、第97回大会では19年ぶりの予選落ちを喫した。練習拠点は我孫子市。たすきの色は薄紫。川崎がテニスボールから着想を得て採用したフラッシュイエローのパンツ(2021年からユニフォームに採用、パンツは黒に変更)も有名である。(中央学院大学駅伝部)
- 城西大学
- 以前から箱根駅伝予選会には出場していたが、2001年に日本体育大学OBでシュトゥットガルト世界陸上代表の平塚潤を監督に、早稲田大学OBで1時間走日本記録保持者の櫛部静二をコーチに迎えて男子駅伝部を創設し、本格的に強化に乗り出した結果、2004年の第80回大会で初出場を果たす。創部3年目での箱根初出場は黎明期を除くと史上最短記録。櫛部は2009年から男子駅伝部監督に就任している。第82回大会でチーム初の区間賞を獲得したが、わずか10秒届かずシードを逃し、その後3大会連続で11位となった。第85回大会で途中棄権を経験するも、翌第86回大会で初のシード権を獲得した。しかし第87回大会では残り3枠をかけた4校の争いの中ゴール直前でコースを間違えた國學院大學の寺田夏生に抜き返されまたも11位。第89回でも再び途中棄権と安定したシード権確保には至らず予選落ちも増え始めるなど低迷期に入ったと見られていたが、ケニア人留学生を採用した第99回大会で予選を通過し再びシード権を確保すると、第100回大会では過去最高の3位に入った。練習拠点は坂戸市。たすきの色は黄色。(城西大学男子駅伝部)
- 日本歯科医学専門学校(日本歯科大学)
- 最高順位は第7回大会の3位。最後の本大会出場は第21回大会。第3回大会に初出場以来、草創期においては毎年のように出場していたが、平成以降は予選会への参加も無い。(日本歯科大学クラブ活動)
- 國學院大學
- →「國學院大學陸上競技部」を参照
- 横浜国立大学
- 前身である神奈川師範学校の出場回数(3)を含む。最高順位は初出場となった第23回大会の8位。第25回大会では、3区で箱根駅伝史上初となる途中棄権を経験している。最後の本戦出場は第32回大会。予選会への出場も第94回大会が最後となっている。2区・9区は地元にあたる。練習拠点は横浜市保土ケ谷区。たすきの色は青。(横浜国立大学陸上競技部)
- 上武大学
- 以前から箱根駅伝の予選会には出場していたが、2004年に早稲田大学OBの花田勝彦を招聘して陸上競技部から独立した駅伝部を創設、第85回大会で初出場を果たす。群馬県の大学では初の箱根駅伝出場となった。第86回大会では10区でチーム史上初の区間賞を獲得し、この年の14位が最高順位となっている。初出場以降第95回大会まで11年連続出場を果たしたが、以降は出場から遠ざかっている。練習拠点は伊勢崎市。たすきの色はプレミアムブラックに銀の縁取り。(上武大学駅伝部)
- 東京学芸大学
- 最高順位は第32回・第33回大会の11位。第31回大会から第37回大会まで連続出場。第60回大会で23年ぶりに本大会出場。以降、本大会の出場は無いが、関東学連選抜に選手が登録されている。練習拠点は小金井市。たすきの色は紺。(東京学芸大学陸上競技部)
- 横浜市立大学
- 最高順位は第31回・第32回・第33回大会の13位。平成以降は予選会への参加も無い。練習拠点は横浜市金沢区。たすきの色は赤。(横浜市立大学陸上競技部)
- 関東学院大学
- 予選会には第32回大会から参加しているが、本大会の初出場は日本体育大学OBの中田盛之が監督に就任した後の第70回大会になってからである。最高順位は第78回大会の12位で、まだシード権を獲得したことは無い。第80回大会を最後にチームとしての出場が無く、2000年代後半からは予選会でも苦戦が続いている。練習拠点は横浜市金沢区。たすきの色は金。(関東学院大学陸上競技部)
- 東京国際大学
- 総監督に横溝三郎、監督に大志田秀次と2人の中央大学OBを招聘し2011年に創部。創部2年目から関東学連選抜に選手を輩出し、創部5年目の第92回大会で初出場を果たす。翌第93回大会は予選敗退も、関東学生連合のメンバーとして出場した選手が参考記録ながら10区を最も速いタイムで走破。第96回大会で総合5位となり初のシード権を獲得した。第94回以降は6年連続で出場したが第100回大会で記念大会による増枠にもかかわらず7年ぶりの予選落ちを喫した。大志田はシードを逃した第99回大会後に退任、暫定的に監督となった横溝も2年ぶりの出場を決めた第101回大会予選会の直後に死去した。練習拠点は坂戸市。たすきの色は紺青に赤のラインが入ったものであったが、第96回から紺青に金の格子状のラインが入ったものに変更された。(東京国際大学駅伝部)
- 東大農学部実科(東京農工大学)
- 1935年東京高等農林学校として独立、東京農工大学の前身。東京農工大になってからの出場は無い。(東京農工大学陸上競技部)
- 創価大学
- →「創価大学陸上競技部駅伝部」を参照
- 関西大学
- 第9回・12回・13回大会に招待出場。最高順位は8位。(関西大学体育会陸上競技部)
- 防衛大学校
- 第37回・39回大会に出場、共に15位。第79回・第95回大会では関東学連選抜・関東学生連合で選手が出場している。(防衛大学校陸上競技部)
- 駿河台大学
- 1987年陸上競技部創部。2011年に法政大学OBの徳本一善を招聘し駅伝部が独立する。第91回大会以降毎年関東学生連合に選手を輩出、第98回大会で初出場・中継所での繰り上げスタート無く全区間を完走した。練習拠点は飯能市。たすきの色はアクアブルー・黒のツートーン。(駿河台大学駅伝部)
- 成蹊大学
- 第28回大会に出場、14位。(成蹊大学陸上競技部)
- 埼玉大学
- 第35回大会に出場、14位。第91回大会では関東学生連合に選手が登録された。(埼玉大学陸上競技部)
- 東京大学
- 第60回大会に出場、17位。「赤門軍団」として話題になった。以降は、第81回・第95回・第96回・第101回大会に関東学連選抜・関東学生連合で選手が出場している。たすきの色は淡青。(東京大学陸上運動部)
- 平成国際大学
- 第77回大会に出場、13位。留学生ジョン・カーニーなどの活躍で、創部からわずか5年で初出場を果たした。以後、チームとしての本大会への出場は無いが、関東学連選抜・関東学生連合で選手が出場している。練習拠点は加須市。たすきの色はフラッシュオレンジ・青のツートーン。(平成国際大学陸上競技部)
- 立命館大学
- 第40回大会に招待出場。オープン参加(11位相当)。たすきの色はえんじ。第80回大会では日本学連選抜で選手が出場した。(立命館大学陸上競技部)
- 福岡大学
- 第40回大会に招待出場。オープン参加(13位相当)。2区ではウィンザーマラソン優勝者の重松森雄が区間最高タイムを記録した(オープン参加のため参考記録扱い)。たすきの色は赤。(福岡大学陸上競技部)
- 関東学生連合チーム
- 第79回大会から、予選会に落選した各大学の個人成績優秀者が「関東学連選抜」としてチーム編成された。第80回大会は日本学連選抜が編成されたため関東学連選抜は出場しなかったが、第81回大会から再び編成された。第82回大会まではオープン参加。第83回大会から第89回大会まで正式参加。第84回大会では過去最高の4位に入った(予選会次点の青山学院大学監督である原晋が率いていた)。学連選抜時代は出場回数の制限がなく、梶原有高(松蔭大学)は4年連続で出場している。他に学連選抜および学生連合のみで出場経験のある選手としては後に市民ランナーやプロランナーとして活躍する川内優輝(学習院大学)やパリオリンピックマラソン代表の小山直城(東京農業大学)らがいる。第91回大会には名称が「関東学生連合チーム」に変更されたが、同時にチームとしての出場校が1校増えたことから再びオープン参加となった。また、選出条件も変更され、各校1名かつ本選出場経験のない選手のみとなった。なお、第90回・第100回など、出場校が当年のみ増枠となる節目の大会では編成されていない。たすきの色は白。
- 日本学連選抜
- 第80回大会に出場。オープン参加(6位相当)。個人成績は正式なものとして扱われ、筑波大学の鐘ヶ江幸治が5区区間賞の活躍で金栗四三杯を獲得した。たすきの色は赤。
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歴代出場校成績
歴代大会順位一覧
- 往路優勝・復路優勝については、それぞれ、☆=往路優勝、★=復路優勝 で表している。
- 順位の欄の「棄権」は途中棄権、「OP」はオープン参加、「無効」は記録及び順位の無効をそれぞれ表す。
- 途中棄権、失格、オープン参加、無効はいずれも順位なしの扱い。ただしオープン参加校の相当順位は( )で示している。
- ボールド体で書かれた大学名は次大会のシード権を獲得した大学を表す(32回大会以降)。
- △印は予選会からの出場でシード権を獲得した大学、▼印はシード権を失った大学を表す(33回大会以降)。
- シード権を得るのは各大学の代表チームである。選抜チームとして参加する関東学連選抜にはシード権を与えられない。
(第1回 - 第10回)
(第11回 - 第20回)
(第21回 - 第30回)
(第31回 - 第40回)
(第41回 - 第50回)
(第51回 - 第60回)
(第61回 - 第70回)
(第71回 - 第80回)
(第81回 - 第90回)
(第91回 - 第100回)
(第101回 - )
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順位
要約
視点
チーム
出場回数に関して
優勝回数に関して
連続総合優勝は4年以上の記録を記した。完全優勝は同一年度で往路・復路ともに制する優勝を指し、これまでに11校によって45回達成されている。総合・往路・復路の優勝校が異なる年度が9回発生している。
* 優勝当時は東京高等師範学校。
順位に関して
- 2位回数
- 1位 日本大学 …17回
- 2位 早稲田大学 …16回
- 3位 順天堂大学 …10回
- 4位 日本体育大学… 9回
- 4位 駒澤大学 … 9回
- 6位 中央大学 … 8回
- 7位 明治大学 … 6回
- 8位 山梨学院大学… 5回
- 8位 東洋大学 … 5回
- 10位 筑波大学 … 4回
- 3位回数
- 1位 中央大学 …14回
- 2位 日本大学 …13回
- 3位 早稲田大学 …10回
- 4位 順天堂大学 … 9回
- 5位 大東文化大学… 7回
- 5位 日本体育大学… 7回
- 7位 明治大学 … 6回
- 8位 筑波大学 … 5回
- 9位 東洋大学 … 4回
- 9位 駒澤大学 … 4回
シード権獲得回数に関して
- シード権獲得回数
- 1位 中央大学 …54回
- 2位 順天堂大学 …53回
- 3位 日本大学 …51回
- 3位 日本体育大学…51回
- 5位 早稲田大学 …50回
- 5位 東洋大学 …50回
- 7位 駒澤大学 …40回
- 8位 大東文化大学…35回
- 9位 東海大学 …29回
- 10位 法政大学 …27回
- 連続シード権確保(太線は継続中)
- 1位 日本体育大学…36回(第32回-第67回)
- 2位 順天堂大学 …32回(第39回-第70回)
- 3位 日本大学 …30回(第32回-第61回)
- 4位 中央大学 …28回(第61回-第88回)
- 5位 大東文化大学…24回(第45回-第68回)
- 6位 東洋大学 …20回(第82回-)
- 7位 青山学院大学…16回(第86回-)
- 8位 国士舘大学 …15回(第38回-第52回)
- 9位 中央大学 …13回(第32回-第44回)
- 10位 専修大学 …12回(第32回-第43回)
- 10位 順天堂大学 …12回(第72回-第83回)
- 10位 駒澤大学 …12回(第73回-第84回)
- 10位 早稲田大学 …12回(第83回-第94回)
- 返り咲き(xx年振りのシード権獲得)
- 1位 明治大学 …43年振り(第42回→第85回)
- 2位 青山学院大学…41年振り(第45回→第86回)
- 3位 亜細亜大学 …20年振り(第52回→第72回)
- 4位 拓殖大学 …19年振り(第55回→第74回)
- 5位 法政大学 …15年振り(第54回→第69回)
- 6位 東京農業大学…14年振り(第72回→第86回)
- 7位 筑波大学 …13年振り(第43回→第56回、前身の東京教育大学を含む)
- 7位 拓殖大学 …13年振り(第74回→第87回)
- 9位 東洋大学 …12年振り(第61回→第73回)
- 9位 専修大学 …12年振り(第71回→第83回)
- 9位 神奈川大学 …12年振り(第81回→第93回)
その他
- 同順位の連続(連続優勝を除く)
- 4年連続
- 4年連続5位 日本大学(第53回-第56回)
- 4年連続8位 東海大学(第64回-第67回)
- 4年連続9位 専修大学(第55回-第58回)
- 4年連続
- 前大会からのジャンプアップ
- 1位 日本体育大学…18位(第88回 19位→第89回 優勝)
- 2位 関東学連選抜…16位(第83回 20位→第84回 4位)
- 3位 亜細亜大学 …14位(第79回 17位→第80回 3位)
- 3位 青山学院大学…14位(第85回 22位→第86回 8位)
- 5位 法政大学 …12位(第79回 16位→第80回 4位)
- 5位 山梨学院大学…12位(第81回 14位→第82回 2位)
- 5位 城西大学 …12位(第90回 19位→第91回 7位)
- 8位 帝京大学 …11位(第75回 15位→第76回 4位)
- 8位 駒澤大学 …11位(第85回 13位→第86回 2位)
- 8位 法政大学 …11位(第92回 19位→第93回 8位)
- 8位 明治大学 …11位(第95回 17位→第96回 6位)
- (参考 神奈川大学 第72回 途中棄権→第73回 優勝)
- 前大会からのフォールダウン
- 1位 大東文化大学…14位(第85回 4位→第86回 18位)
- 2位 城西大学 …13位(第94回 7位→第95回 20位)
- 3位 早稲田大学 …12位(第78回 3位→第79回 15位)
- 3位 駒澤大学 …12位(第84回 優勝→第85回 13位)
- 3位 帝京大学 …12位(第84回 8位→第85回 20位)
- 3位 日本体育大学…12位(第90回 3位→第91回 15位)
- 3位 順天堂大学 …12位(第99回 5位→第100回 17位)
- 8位 東京農業大学…11位(第57回 4位→第58回 15位)
- 8位 亜細亜大学 …11位(第84回 5位→第85回 16位)
- 8位 日本体育大学…11位(第87回 8位→第88回 19位)
- 8位 中央大学 …11位(第99回 2位→第100回 13位)
- (参考 山梨学院大学 第71回 優勝→第72回 途中棄権)
- (参考 順天堂大学 第83回 優勝→第84回 途中棄権)
予選会
トップ通過回数
- 1位 専修大学 …6回
- 2位 東海大学 …5回
- 2位 東京農業大学…5回
- 2位 大東文化大学…5回
- 5位 亜細亜大学 …4回
- 5位 東洋大学 …4回
- 5位 早稲田大学 …4回
個人
区間賞
- 区間賞獲得回数
- 1位 中央大学 …142個
- 2位 早稲田大学 …120個
- 3位 日本大学 …116個
- 4位 順天堂大学 …79個
- 5位 日本体育大学…77個
- 6位 明治大学 …56個
- 7位 東洋大学 …46個
- 8位 駒澤大学 …45個
- 9位 大東文化大学…40個
- 10位 青山学院大学…39個
- 連続区間賞獲得年数(連続して開催されている第23回大会以降を対象。太線は継続中)
- 1位 中央大学 …24年連続(第23回 - 第46回)
- 2位 日本大学 …20年連続(第31回 - 第50回)
- 3位 順天堂大学 …18年連続(第53回 - 第70回)
- 4位 東洋大学 …12年連続(第85回 - 第96回)
- 5位 日本体育大学…11年連続(第51回 - 第61回)
- 6位 山梨学院大学…10年連続(第65回 - 第74回)
- 7位 国士舘大学 …9年連続(第39回 - 第47回)
- 8位 大東文化大学…8年連続(第48回 - 第55回)
- 8位 早稲田大学 …8年連続(第67回 - 第74回)
- 8位 駒澤大学 …8年連続(第74回 - 第81回、第84回 - 第91回)
- 返り咲き(xx年振りの区間賞)
- 1位 明治大学 …47年振り(第39回→第86回)
- 2位 東京農業大学…46年振り(第9回→第50回)
- 3位 国士舘大学 …35年振り(第49回→第84回)
- 4位 東海大学 …25年振り(第50回→第75回)
- 5位 法政大学 …22年振り(第54回→第76回)
- 6位 東洋大学 …21年振り(第59回→第80回)
- 7位 専修大学 …19年振り(第38回→第57回)
- 7位 筑波大学 …19年振り(第61回→第80回)
- 9位 早稲田大学 …18年振り(第37回→第55回)
- 10位 國學院大學 …16年振り(第79回→第95回)
- 4年連続区間賞[注 1] ※太字は4年連続同一区間区間賞
- 八島健三(明治大学)(第4回 - 第8回)※5年連続区間賞
- 北本正路(慶應義塾大学)(第11回 - 第14回)
- 黒木弘行(中央大学)(第24回 - 第27回)
- 田辺定明(中央大学)(第26回 - 第29回)
- 南木信吾(中央大学)(第26回 - 第29回)
- 土谷和夫(日本大学)(第41回 - 第44回)
- 山本吉光(東京農業大学)(第50回 - 第53回)
- 大久保初男(大東文化大学)(第50回 - 第53回)
- 大塚正美(日本体育大学)(第56回 - 第59回)
- 中島修三(順天堂大学)(第56回 - 第59回)
- 武井隆次(早稲田大学)(第67回 - 第70回)
- 榎木和貴(中央大学)(第70回 - 第73回)
- 柏原竜二(東洋大学)(第85回 - 第88回)
- 1大会最多区間賞獲得校
- 9区間 中央大学(第27回)
- 全区間区間賞獲得校
- 13校 慶應義塾大学・中央大学・日本大学・日本体育大学・法政大学・明治大学・早稲田大学・順天堂大学・大東文化大学・山梨学院大学・駒澤大学・東洋大学・青山学院大学
ごぼう抜き
- 1位 20人抜き
- 第85回大会 2区 ギタウ・ダニエル(日本大学)が22位から2位へ(参加:23チーム)
- 2位 17人抜き
- 第87回大会 2区 村澤明伸(東海大学)が20位から3位へ
- 3位 15人抜き
- 第79回大会 2区 中川拓郎(順天堂大学)が18位から4位へ(オープン参加の関東学連選抜を含む)
- 第84回大会 2区 ギタウ・ダニエル(日本大学)が19位から4位へ
- 5位 14人抜き
- 第97回大会 2区 イェゴン・ヴィンセント(東京国際大学)が14位から1位へ
- 第101回大会 2区 吉田響(創価大学)が17位から4位へ
(どちらもオープン参加の関東学生連合を含む)
各区間のごぼう抜き最多記録
- 2区 20人抜き
- 第85回大会でギタウ・ダニエル(日本大学)が22位から2位へ(参加:23チーム)
- 3区 13人抜き
- 第85回大会で佐藤悠基(東海大学)が18位から5位へ(参加:23チーム)
- 4区 8人抜き
- 第89回大会で田中秀幸(順天堂大学)が15位から7位へ
- 第99回大会でイェゴン・ヴィンセント(東京国際大学)が12位から4位へ
- 5区 11人抜き
- 第81回大会で今井正人(順天堂大学)が15位から4位へ
- 6区 6人抜き
- 第92回大会で秋山清仁(日本体育大学)が13位から7位へ
- 第93回大会で秋山清仁(日本体育大学)が13位から7位へ
- 7区 5人抜き
- 第63回大会で松本卓也(専修大学)が11位から6位へ
- 第87回大会で野本大喜(拓殖大学)が12位から7位へ
- 8区 5人抜き
- 第85回大会で園田稔(東京農業大学)が12位から7位へ
- 9区 5人抜き
- 10区 5人抜き
- 第79回大会で岩田豪(東洋大学)が11位から6位へ
- 第91回大会で湯川智史(國學院大學)が19位から14位へ
4年連続同一区間走行選手数
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タイム
要約
視点
総合タイムの変遷
コースの変遷はあるものの、一定の目安となるタイムを初めて突破した歴史は以下の通り。
- 15時間突破…14時間39分01秒4/5:明治大学 第2回(1921年)
- 14時間突破…13時間54分56秒:明治大学 第9回(1928年)
- 13時間突破…12時間47分53秒:早稲田大学 第14回(1933年)
- 12時間突破…11時間59分33秒:中央大学 第36回(1960年)
- 11時間突破…10時間59分13秒:山梨学院大学 第70回(1994年)
- 10時間55分突破…10時間51分36秒:東洋大学 第88回(2012年)
- 10時間50分突破…10時間49分27秒:青山学院大学 第91回(2015年)
- 10時間45分突破…10時間43分42秒:青山学院大学 第98回(2022年)
完全新記録優勝
往路・復路・総合の3記録を全て塗り替え、完全新記録優勝が達成されたのは延べ8回で、達成した大学は5校。達成された回数と大学は以下の通り。
- 第14回(1933年)早稲田大学
- 第27回(1951年)中央大学
- 第29回(1953年)中央大学
- 第40回(1964年)中央大学
- 第43回(1967年)日本大学
- 第60回(1984年)早稲田大学
- 第88回(2012年)東洋大学
- 第91回(2015年)青山学院大学
※ 第1回は往路と復路・総合の優勝校が異なるためこの表にはない。 ※ 第91回はコース変更によりそれ以前の優勝記録は参考記録とされた[13]が、青山学院大学がいずれの参考記録も上回ったためこの表に記載する。
各区間・総合最高タイム
現コース最高記録
- 往路(107.5km)
- 第1区(21.3km)…1時間00分40秒:吉居大和(中央大学)第98回(2022年)
- 第2区(23.1km)…1時間05分31秒:リチャード・エティーリ(東京国際大学)第101回(2025年)
- 第3区(21.4km)…59分25秒:イェゴン・ヴィンセント(東京国際大学)第96回(2020年)
- 第4区(20.9km)…1時間00分00秒:イェゴン・ヴィンセント(東京国際大学)第99回(2023年)
- 第5区(20.8km)…1時間09分11秒:若林宏樹(青山学院大学)第101回(2025年)
- 往路記録…5時間18分13秒:青山学院大学 第100回(2024年)
- 復路(109.6km)
- 第6区(20.8km)…56分47秒:野村昭夢(青山学院大学)第101回(2025年)
- 第7区(21.3km)…1時間00分43秒:佐藤圭汰(駒澤大学)第101回(2025年)
- 第8区(21.4km)…1時間03分49秒:小松陽平(東海大学)第95回(2019年)
- 第9区(23.1km)…1時間07分15秒:中村唯翔(青山学院大学)第98回(2022年)
- 第10区(23.0km)…1時間07分50秒:中倉啓敦(青山学院大学)第98回(2022年)
- 復路記録…5時間20分50秒:駒澤大学 第101回(2025年)
- 総合(217.1km)
- 総合記録…10時間41分19秒:青山学院大学 第101回(2025年)
歴代最高記録
- 往路
- 第1区…1時間00分40秒:吉居大和(中央大学)第98回(2022年・施行距離21.3km)
- 第2区…1時間01分58秒:武内修一郎(日本大学)第36回(1960年・施行距離20.5km)
- 第3区…59分25秒:イェゴン・ヴィンセント(東京国際大学)第96回(2020年・施行距離21.4km)
- 第4区…54分28秒:田村和希(青山学院大学)第91回(2015年・施行距離18.5km)
- 第5区…1時間09分11秒:若林宏樹(青山学院大学)第101回(2025年・施行距離20.8km)
- 往路記録… 5時間18分13秒:青山学院大学 第100回(2024年・施行距離107.5km)
- 復路
- 第6区…56分47秒:野村昭夢(青山学院大学)第101回(2025年・施行距離20.8km)
- 第7区…1時間00分43秒:佐藤圭汰(駒澤大学)第101回(2020年・施行距離21.3km)
- 第8区…1時間03分15秒:松波慎介(順天堂大学)第41回(1965年・施行距離20.2km)
- 第9区…1時間02分15秒:留野豊昭(中央大学)第36回(1960年・施行距離20.5km)
- 第10区…1時間03分17秒:土谷和夫(日本大学)第43回(1967年・施行距離21.7km)
- 復路記録…5時間20分50秒:駒澤大学 第101回(2025年・施行距離109.6km)
- 総合
- 総合記録…10時間41分19秒:青山学院大学 第101回(2025年・施行距離217.1km)
区間記録
ここでは各区区間記録の歴代10傑を扱う。同一選手が同一区間に複数の記録を含める場合は慣例に基づいて最高の記録を取り扱い、次点の記録は順位をつけずに示している[14][15]。
1区
2区
3区
4区
5区
6区
7区
8区
9区
10区
旧コースの区間記録
2区
4区
5区
6区
10区
備考(コースの変更・再計測と記録の扱い)
- 第82回大会(2006年)で往路小田原中継所の位置が変更され4区、5区の距離が変更となった際は、往路、復路、総合記録の扱いに変更はなかった[16]。
- 2014年2月7日をもって従来の通過点となっていた函嶺洞門が通行禁止となり、第91回大会(2015年)から函嶺洞門バイパスへとコースが変更となった[17]。2014年の5区・6区のコース変更により往路・復路・総合記録及び5区と6区の区間記録は第91回(2015年)からの記録が新規の記録として扱われる[17][13]。そのため、往路・復路・総合記録及び5区と6区の区間記録は第90回(2014年)以前の記録は参考記録となった[13]。なお、2014年9月のコース変更に伴う再計測の際に一部区間の距離に誤差があることが明らかとなったが走行コースに変化はないため5区と6区以外の区間記録は維持された[13]。再計測によって第91回以降の5区コースの距離が第90回以前の5区コースの距離より短縮されているように表記されるが、実際は函嶺洞門を迂回するようになり、それ以外の部分は中継所の位置も含めて変更がないため、僅かに伸びている。
- 第93回大会(2017年)より往路小田原中継所の位置が第81回大会(2005年)以前の位置に戻った際は、第81回大会以前と全く同じコースに戻った4区、函嶺洞門を迂回するため第81回大会以前のコースから変更が生じた5区ともに第81回大会までの区間記録を再度区間記録とはせず「目標記録」と位置付けられ、第93回大会の区間賞の記録を新コースの初代区間記録として位置づけられた。
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脚注
外部リンク
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