ドナルド・エドワード・ベイラーDonald Edward Baylor, 1949年6月28日 - 2017年8月6日[1])は、アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手外野手一塁手指名打者)、プロ野球指導者。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
ドン・ベイラー
Don Baylor
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コロラド・ロッキーズでのコーチ時代
(2010年4月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州オースティン
生年月日 (1949-06-28) 1949年6月28日
没年月日 (2017-08-06) 2017年8月6日(68歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手指名打者
プロ入り 1967年 ドラフト2巡目(全体39位)でボルチモア・オリオールズから指名
初出場 1970年9月18日
最終出場 1988年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
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経歴

現役時代

1967年MLBドラフトボルチモア・オリオールズに2巡目(全体39位)で指名され、プロ入り。後に移籍するオークランド・アスレチックスカリフォルニア・エンゼルスニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスミネソタ・ツインズで右の強打者として活躍。

1970年9月18日にオリオールズでメジャーデビューを果たすが、当時全盛期のチームにおいて当初出番は少なく、メジャーに定着するのは1972年以後のこととなった。

1975年には25本塁打を打って不動のレギュラーとなるが、その年限りでレジー・ジャクソンとのトレードで、アスレチックスに移籍。アスレチックス在籍も1年のみで、1977年にエンゼルスに移籍。

ここでは水を得た魚のように活躍し、1979年には全162試合に出場して打率.296、本塁打36、打点139(打点王)の活躍でア・リーグMVPに選出される。また、この年にはキャリア唯一のオールスターにも出場。チームも初の地区優勝を果たすが、古巣オリオールズに敗れワールドシリーズ進出はならなかった。シーズン139打点は、現在でもエンゼルスの球団記録である。

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ニューヨーク・ヤンキース時代

1980年には故障のため90試合の出場に終わり、以後のシーズンはほとんど指名打者としての起用となる。また、1979年までは1976年の52盗塁をはじめ240盗塁を記録する俊足であったが、1980年以後は45盗塁と減少。1983年にはヤンキースに移籍し、3年間指名打者として活躍。

そして1986年に移籍したレッドソックスで160試合に出場して打率こそ.238に終わったが、31本塁打、94打点と活躍し、チームのリーグ優勝に貢献。 自身初のワールドシリーズ出場を果たしたが、ニューヨーク・メッツに敗れる。

1987年のシーズン終盤には地区優勝争いを繰り広げていたツインズに移籍。ここでもリーグ優勝を果たしてワールドシリーズに進出。そして、自身唯一のワールドチャンピオンに輝いた。

1988年はアスレチックスに2度目の移籍。この年92試合の出場に終わるが、3年連続違うチームでのワールドシリーズ出場を果たす。 39歳の年齢もあってこの年限りで現役を引退した。

広岡達朗西武ライオンズの監督を務めていた頃、ベイラーの獲得を熱望していたことがある。前後するが、藤田元司読売ジャイアンツの監督(2度目)を務めていた1990年の春季キャンプで、臨時打撃コーチとして招聘され、背番号42をつけて指導していた。翌年1991年には福岡ダイエーホークスで臨時コーチを務めた。

監督・コーチ時代

現役引退後はまずミルウォーキー・ブルワーズの傘下マイナーで打撃コーチに就任。メジャーのコーチとなって、続いてセントルイス・カージナルスに移籍。 1993年には新設されたコロラド・ロッキーズの初代監督となり、1998年まで務める。 この間、1995年にはチームをワイルドカードでプレイオフに導き、ナ・リーグ最優秀監督賞を受賞する。 1997年までの5年間は363勝384敗で、これはメジャーで新設された球団の最初5年間の成績としては最高である。

1998年限りで解任され、翌1999年アトランタ・ブレーブスでコーチを務め、2000年にはシカゴ・カブスの監督に就任。 2002年のシーズン途中で解任され、2003年2004年はメッツでベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)を務め、2005年シアトル・マリナーズで打撃コーチを務めた。 監督としては、統率力・指導力はあったが選手をガミガミと叱るため一部の選手から不評で、特にサミー・ソーサとは対立した。

マリナーズのコーチ辞任後は、MASNの野球解説者を務めた。 2009年からかつて監督を務めたロッキーズ、2011年からはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの打撃コーチ。

2013年10月16日に古巣・エンゼルスの打撃コーチに就任し[2]2015年まで務めた。

2017年8月6日、癌のため死去。68歳没[3]

選手としての特徴

死球が多く、リーグの死球1位になること8回(1973年1975年1976年1978年1984年から1987年)、通算267死球はMLB歴代4位である(2017年終了時点)[4]。これほど多くの死球を浴びながら39歳まで活躍したのは特筆すべき点である。また、アスレチックス(1976年の20)、ヤンキース(1985年の24)、レッドソックス(1986年の35)の3球団でシーズン死球の球団記録を持っている。これほど死球が多いのはややプレートに覆い被さって構えるベイラーに対して相手投手がインコースを徹底的に攻めたために起こった現象であった[5]

打撃は長打力と巧打力を兼ね備え、守備も上手く、足も速かった。肩の弱さのみが欠点であった。しかし、肩の弱さはMLBでは致命的であった。幸いにも指名打者が採用されているアメリカンリーグでプレーしているために指名打者として多くの試合に出場することができた[5]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1970 BAL 820174400044110120030.235.300.2350.535
1971 1520000001000020110.000.600.0000.600
1972 10236332033811331113338242232909509.253.330.4160.745
1973 11845940564116204111775132906353134811.286.357.4370.794
1974 137549489661332211018759291234436105610.272.341.3820.723
1975 145598524791482162525676321744538136412.282.360.4890.849
1976 OAK 1576855958514725115219685212111584207211.247.329.3680.697
1977 CAL 154645561871412702524375261228627127616.251.334.4330.768
1978 1586775911031512603427999229012569187115.255.332.4720.804
1979 162722628120186333363331392212012716115110.296.371.5300.901
1980 903803403985122511651660524411329.250.316.3410.657
1981 10343237752901811716166330642175113.239.322.4270.749
1982 1576806088016024124258931040857776918.263.329.4240.754
1983 NYY 144597534821623332126485177284011135310.303.361.4940.856
1984 1345584938412929127241891113386236810.262.341.4890.830
1985 14256447770110241232059104110526249010.231.330.4300.760
1986 BOS 16068758593139231312579435056283511112.238.344.4390.783
1987 10840933964818016137575206403244710.239.355.4040.759
MIN 2058493141001560100504123.286.397.3060.703
'87計 12846738867959016152635306453285913.245.360.3920.751
1988 OAK 9231326428587078634010334212447.220.332.3260.658
MLB:19年 22929401819812362135366283383571127628512016115805912671069196.260.342.4360.777
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備
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一塁(1B)












1972 BAL 954215.982
1973 624522.935
1974 8421021.000
1975 2180011.000
1976 OAK 6962944940.987
1977 CAL 1814113214.987
1978 17118946.969
1979 150011.000
1981 4323021.000
1983 NYY 113210.938
1986 BOS 1365417.986
MLB 1481141832080.984
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外野守備
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左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































1970 BAL -390001.000470001.000
1971 --140001.000
1972 3960210.9841326010.9634565020.970
1973 109202540.981-220001.000
1974 114184150.97410000----26320001.000
1975 127252830.989412010.92364010.800
1976 OAK 2748120.961210001.00050103010.990
1977 CAL 4885240.95611160001.0001936110.974
1978 3977020.975--
1979 78161330.982-2040120.953
1980 3784320.978-1833120.944
1981 160001.000--
1983 NYY 220001.000-490001.000
1984 10010.000-580001.000
1986 BOS 360001.000--
MLB 625116725270.9783464020.970200343390.975
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

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年度チーム試合勝利敗戦勝率順位
1993COL1626795.4146 / 7
19941175364.4533 / 5
19951447767.5352 / 5
19961638379.5123 / 5
19971628379.5123 / 5
19981627785.4754 / 5
2000CHC1626597.4016 / 6
20011628874.5433 / 6
2002833449.4105 / 6
通算 1317627689.476
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  • 順位の太字プレーオフ進出
  • 2002年はシーズン途中解任。順位は最終順位。

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 23(1970年、1999年)
  • 25(1971年 - 1975年、1978年 - 1987年途中、1990年 - 1991年、1993年 - 1998年、2000年 - 2003年、2009年 - 2015年)
  • 20(1976年)
  • 12(1977年、1988年)
  • 18(1987年途中 - 同年終了)
  • 24(1992年)
  • 52(2004年)
  • 15(2005年)

脚注

関連項目

外部リンク

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