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指名打者(しめいだしゃ、英: designated hitter)とは、アメリカ・メジャーリーグの公式ルールや日本の公認野球規則(5.11)などにもとづき、野球の試合において攻撃時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをいう。DH(ディーエイチ、英称の頭文字をとった略)ともいう。
ソフトボールの試合においては、任意の野手に代わって打席に立つ打撃専門の選手として指名選手(DP:designated playerの略)が認められており、指名選手はどの守備位置の選手にも適用可能[注 1]である。対して、DHは投手以外の野手に代わることは認められない。
指名打者(以下DHと表記)は守備位置に一切就かず、本来投手が担うべき打撃を代行することで投手と攻守を分担する。したがって、DHは野手には含まれず、守備位置(ポジション)でもない[注 2]。後に先発投手とDHの兼任が可能となるルールも導入されている[1]。
試合開始前にスターティングメンバーを発表する際には、投手以外の野手とともに打順が定められる。先発出場したDHは、相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度、打席を完了(安打または四死球・失策等により走者となる、またはアウトになる)しなければならない。ただし、DHの打順が来る前に相手チームの先発投手が交代した場合はこの義務はなくなる。
チームは必ずしもDHを起用しなくてよい。ただし、起用しなかった場合には、その試合の途中からDHを起用することはできない。また、DHを試合中に解除して守備の9人のみにするというメンバー変更が可能である。このときも再度DHを起用することはできない。
世界的にはDH制を採用するルールが主流になりつつあり、アメリカのメジャーリーグベースボール(以下、MLB)、日本プロ野球(以下、NPB)のパシフィック・リーグ、韓国の韓国野球委員会(KBO)、台湾の中華職業棒球大聯盟(CPBL)、キューバのセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルなどのプロ野球リーグ、四国アイランドリーグplus・ベースボール・チャレンジ・リーグなどの独立リーグや社会人野球、日本の大学野球リーグ(一部の連盟を除く - 後述)、および日本中学硬式の「フレッシュリーグ」等で採用されており、国際試合においても採用されることが多くなっているが、それ以外の少年野球・高校野球・NPBのセントラル・リーグに属するチームの一軍主催試合においては採用されていない。
DHには守備力は不要であり、打撃技術は秀逸だが守備能力に難のある選手や、長打力から専ら打撃を期待される外国人選手などの打撃専業化を目的として起用されることが多い。そのためコンタクト、パワー、選球眼を含めたトータル・パッケージを求められるが、中でも打線の中軸を担えるだけの破壊力が必需である。具体例としては、MLBにおいては1シーズン30本塁打とOPS.900の両方をコンスタントにクリア出来れば一流と目される[2]。その他にも、負傷により守備力が落ちている選手、あるいは足腰に不安があるベテラン選手等の守備配置による体力消耗軽減を目的として起用されることも多い。特にMLBにおいては、レギュラー選手の疲労回避手段や軽負傷選手の負担軽減を目的として、普段は守備についている選手をDHとして起用する例がしばしば見られる。ただし、守備をこなしてから打席に入ることで打撃のリズムを作ることをよしとする選手は、DHとしての起用を嫌う場合がある。このことから、NPBにおいて、現役生活で長年にわたり指名打者で起用され続けた日本人選手は、門田博光、山﨑武司、石嶺和彦などわずかな例しか存在していない[注 3]。
また、DHに固定されることによって選手寿命が短くなるという議論がある。例えば、現役(MLB)当時の松井秀喜の契約更改に際して読売新聞の記事[3]では、「選手寿命を重視しての移籍もある。DHのみでは体のキレが衰えるからだ」と記載している。他方、松井当人は後にDH制のメリットとして「個人的にはDHがあったおかげで選手寿命が延びました。それは間違いないです」とコメントしている[4]
DHは打撃と走塁以外は試合に参加せずに済むので、打席が回るまで30分、時には1時間近く暇になることがある。そのため、選手によっては守備位置に付く場合よりも試合態度の悪さが浮き彫りになる場合がある。例として、ビル・マドロックやメル・ホールは日本球界時代にDHを経験したが、その際に打席が来るまでテレビゲームで時間を潰していたと伝わる。
1972年、過度な投高打低状態にあったアメリカンリーグ(ア・リーグ)では12球団のうち9球団が年間観客動員数が100万人を割る状態であった[5]。これを解消するためオークランド・アスレチックスのオーナーだったチャーリー・O・フィンリーらのアイディアによって、翌1973年よりア・リーグで初めてDH制が採用された[5][6]。つまりDH制は元来、商業的な理由によるローカルルールとして定められたものであり、投手の安全や健康を管理するという趣旨ではなかった。DHとして最初に打席に立ったのはニューヨーク・ヤンキースのロン・ブルームバーグであった[5]。
DH制制定以降のMLBではポール・モリター、エドガー・マルティネス、デビッド・オルティーズなどDHのスター選手が現れた[5]。2004年、長年DHとして活躍したマルティネスの引退の際にア・リーグはこれを称え、年間最優秀指名打者賞をエドガー・マルティネス賞と改名することを決定した[5](しかし2010年、マルティネスがアメリカ野球殿堂入りの対象者となった際には、野球記者の投票は36.2%しか集まらなかった[5])。同年1月に招集されたMLB特別委員会で、以後のMLBオールスターゲームではア・リーグ、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)のどちらの本拠地での開催であってもDH制を採用することが決定した[5]。尚ワールドシリーズでは1976年に初めて採用され、1985年まで隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられた後、1986年よりア・リーグ優勝チームの本拠地の試合で採用されている。なおDHとしてのワールドシリーズMVPはモリターが初であるが三塁手との兼任扱いとされるため、フルタイムでのDHによるMVPは松井秀喜が初である。
2020年はナ・リーグでも、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策として、DH制が導入された(2021年は再びDHなしに戻った)。
2022年3月10日にMLBと選手会の新労使協定が締結され、この中でナ・リーグにおけるDH制の導入(ユニバーサルDHの採用)が決まった。これにより2022年シーズンよりMLBは両リーグでDH制となった[7]。
また、2021年7月13日に行われたMLBオールスターゲームでは、ファン投票でア・リーグの指名打者部門1位・選手間投票では先発投手部門の5位となり、投手・打撃の「二刀流」で選出された大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)について特別ルールが適用され、先発投手として起用されながら打者としても「1番DH」扱いの打順で先発出場した[8](大谷翔平については後述)が、この「同一選手による先発投手とDHとの兼任」がルール変更により公式戦でも可能となり、2022年3月31日のオープン戦より実施された[9]。これにより「投手兼DH」として先発出場した選手は、投手として降板後もDHとして引き続き打席に立つことが可能となる。また逆に、DHとして代打・代走と交代した後も投手として投げ続けることができる。このルールは「大谷ルール」(Ohtani Rule)として日米のメディアで取り上げられている[10][11]。
当初、阪急ブレーブスの高井保弘が代打で多くの本塁打をマークし、1974年に毎日新聞にアメリカ人記者の「あれだけの選手というのはもったいない、日本もアメリカに倣い指名打者制度を導入すべき」という趣旨のコラムが掲載されたことがきっかけで議論され、人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグがア・リーグの成功を参考に1975年から採用した[12]。反対意見を考慮し、当初は試行期間を2年間としていた[13]。日本で最初にDHとして打席に立ったのは日本ハムファイターズの阪本敏三であった[12]。採用初年度はリーグの平均打率(.247→.254)と投手の完投数(197→302)がそれぞれ向上し、平均試合時間の5分短縮にも成功したが、肝心の人気向上には繋がらなかった[12]。
日本選手権シリーズでは1985年に初めて採用され、阪神タイガースの弘田澄男が初めてDHとして打席に立ったセ・リーグ選手となった[12]。このときは、隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられ、そのルールに従い、翌1986年は採用せずに実施された[12]。その後、パ・リーグ本拠地球場での採用を毎年続けることに規定が改められ、1987年よりパ・リーグ代表チームの本拠地の試合で採用されている[12]。2020年は新型コロナウイルス感染症流行拡大に伴う試合時間の短縮を目的とした特例措置として、1985年以来35年ぶりに全試合で採用されることになった。
オールスターゲームでは1983年に初採用されたが、セントラル・リーグが投手を打席に立たせて最後まで抗議の意思を示したため1年で中断[12]。その後セ・リーグが態度を軟化させて1990年からパ・リーグ所属チームの本拠地球場でのみ両リーグが採用するようになり、1993年から全試合に採用されている[12]。
2005年に始まったセ・パ交流戦では日本シリーズの例に倣い、当初からパ・リーグ所属チームの主催試合でのみDH制が採用されている。ただし、2014年についてはセ・リーグ球団が主催する試合ではDH制を採用し、パ・リーグ球団の主催試合ではDH制を採用しないという通常とは逆の方式が採用された(詳細後述)。
オープン戦は導入初年度の1975年は、パ・リーグ所属チーム同士の対戦でしか指名打者制は使えなかった(パ・リーグ所属チームの主催試合でも相手がセ・リーグ所属チームの時は使えなかった)が、2年目の1976年からは、パ・リーグ所属チームの主催試合であれば相手に関係なく使えるようになり、さらに1979年からはセ・リーグ所属チームの主催試合でも試合前に両監督の合意があれば、相手に関係なく(セ・リーグ所属チーム同士の対戦であっても)指名打者制が使えるようになった。ただし、指名打者制が採用されていないセ・リーグの公式戦では、投手が打席に立たなければならない。そのためセ・リーグ所属チームは公式戦開幕が近づくと、あえて指名打者を置かずに投手を打順に組み込んで試合に臨むことが多くなる。
ファーム(二軍)の公式戦では、かつて一軍と同様パ・リーグに所属するチームの主催試合のみ全球団全試合でDH制が採用されていた。その後、一軍がセ・リーグに所属するチームの主催試合について、DH制の採用の有無を試合毎にその主催チームが選択できることとなった。その結果、イースタン・リーグでは2009年からセ・リーグ主催試合も含めて全チーム全試合でDH制が採用され、ウエスタン・リーグでも2013年より阪神タイガース主催試合で、2015年から中日ドラゴンズと広島東洋カープの主催試合の全試合でDH制が採用された。このうち広島東洋カープのみ主催試合でDHを使わない方針をとっているが、2015年5月3日の広島カープ主催試合ではヘスス・グスマンを3番DHで先発起用するなど必ずしもDHを使わないということではない[14]。
二軍の教育リーグではオープン戦と同様にセ・リーグ同士のチームが対戦する場合も含めて採用されている。
日本の野球では、スコアボードに出場選手を表示する際、それぞれの選手に守備番号が付されるが、指名打者を起用する試合においては、投手は本来の「1」ではなく「P」と表示されることがある。また特にパネル式のスコアボードを採用している球場(2004年以前の宮城球場他)では、選手メンバー表の人数が9人しか掲示できないため、攻撃の時はその指名打者の選手、守備の時はその箇所に投手の氏名と表示を入れ替える場合がある他、過去の後楽園球場や平和台野球場のように、チーム名を表示する箇所に投手名を掲示するパターンもあった。
金田正一はDH制が採用された1975年にロッテオリオンズの監督を務めていたが「1975年にDH制が採用された時は嫌だったな。投手交代こそ采配の妙味だ。投手に打順が回った時の代打の使い方もな。自分はそれがうまかったんだが、DH制度では持ち味が消されてしまうんだ」と述べている[15]。
日本の学生野球では、全日本大学野球選手権大会が1992年からDH制を採用した。これを受け、1994年秋から東都大学野球連盟が採用した。以後大半の連盟がこれを採用するに至ったが、東京六大学野球連盟と関西学生野球連盟では採用されていない。また明治神宮野球大会では採用されていない。社会人野球では社会人野球日本選手権大会と全日本クラブ野球選手権大会がそれぞれ1988年から、都市対抗野球大会が1989年からDH制を採用した。
1991年から7年連続で開催された全日本アマチュア野球王座決定戦でも導入されていた。
日本の高校野球では、国民体育大会高等学校野球競技、選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会およびその予選の全てにおいて採用されていない。
1984年ロサンゼルスオリンピックで公開競技として野球が採用されて以来、競技除外前の最後の大会である2008年北京オリンピックまで、並びに追加種目として野球競技が行われた2020年東京オリンピックにおいてDH制が採用された[12]。また、アジアシリーズ、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、WBSCプレミア12、世界大学野球選手権大会、ユニバーシアード野球競技、アジア プロ野球チャンピオンシップ、1986年以降の日米大学野球選手権大会など、野球の国際大会では数多く採用されている。
また世界野球ソフトボール連盟(WBSC)主催大会では2022年7月より、先述の「大谷ルール」を採用している[16]。
野球規則(5.11)などにルールがある。
指名打者は、試合開始前に選ばれ、球審に手渡す打順表に記載する必要がある(野球規則5.11(a)(1))。
指名打者は打順表の中でその位置が固定されており、選手交代があってもその位置を変更することはできない(野球規則5.11(a)(7))。試合途中から指名打者になれるのは、代打または代走としてDHと交代して守備についていない選手のみである。
なお、ルール上の投手と選手登録における投手とは関係がない。野手登録の選手が投手を務めること[注 4]と同様に、投手登録の選手が野手やDHを務めることは可能である。
打順表に記載された(=先発出場した)指名打者は少なくとも一度は打席を完了しなければならないが、(それまでに)相手チームの先発投手が降板した場合には交代できる(野球規則5.11(a)(2))。
DH制のある試合であっても指名打者の指名は義務ではないが、試合前に指名しなかったときは、その試合で指名打者を使うことはできない(野球規則5.11(a)(3))。
しかし、前述でも記載があるように、DH制のある試合でDHを最初から使用しないことは一方的不利を免れないので、オープン戦以外では特殊な事情がない限りは起こりえない。公式戦で試合開始時からDHを使用しなかったのは、日本シリーズ対策として投手に打席を経験させるために消化試合でDHを使わなかった西武ライオンズの例、投手登録だが打力もあった大谷翔平が先発投手の試合でDHを使わなかった北海道日本ハムファイターズやロサンゼルス・エンゼルスの例がある。
通常は代打・代走を起用した場合、交代した選手と同じ守備位置を守る場合もそのイニング終了時に変更の申告が必要となる。しかし指名打者の代打・代走として出場した選手は交代時点で指名打者となり、イニング終了時の申告の必要はない。公式記録の表記を代打・代走とした後に指名打者とするか、最初から指名打者にするかは競技団体で対応が分かれている。ちなみに、日本プロ野球は前者である。
指名打者に代えて代打者を使った場合には、その代打者が以後指名打者となり、いったん退いた指名打者は再び試合に出場できない(野球規則5.11(a)(4))。
先述のように先発出場した指名打者は、相手の先発投手が交代しない限り、1打席完了しなければ交代できない。しかしその選手が怪我等によって退場する場合は特例として代打が認められる。
指名打者に代えて代走者を使った場合には、その代走者が以後指名打者を引き継ぐ。指名打者を代走者として使うことはできない(野球規則5.11(a)(6))。
指名打者を守備に就かせることもできる。指名打者が守備位置に就いたときは、それ以後指名打者の役割は消滅(野球規則5.11(a)(12))する。このケースは俗に「DH解除」と呼ばれている。
指名打者が消滅し投手が打順表に入る場合の打順は、原則として投手が退いた守備者の打順を引き継ぐ。ただし、(退いた守備者を含めて)同時に2人以上の交代が行われた場合、新たに守備に就く選手の打順は監督が指定する(どの打順に組み込んでもよい)(野球規則5.11(a)(5))。
おおよそ以下の3パターンで行われる。
サブロー・福浦和也・田中賢介・渡辺直人などが例に挙げられる。
上記の指名打者が守備に就くことには、指名打者が投手となる場合も含まれる。つまり、指名打者が投手として救援登板することもできる。
登板中の投手が投手以外の守備位置へ移った場合、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(8))ので、元投手および新たに登板する投手は打順表に入ることとなる。このとき投手が移る先の守備位置を守っていた野手が登板しない場合には2人以上がベンチに退くことになるので、上記ルール(野球規則5.11(a)(5))により元投手と新たに登板する投手の打順は監督が指定できる。
他の守備位置に就いていた選手が投手になれば、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(14))。
代打者(代走者も含む)がそのまま投手となった場合、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(9))。
登板中の投手が指名打者に代わって代打者または代走者となった場合、それ以後指名打者の役割は消滅する。その投手は指名打者に代わってのみ打撃し、または走者になることができる(野球規則5.11(a)(10))。
先発投手が指名打者を兼務することができる。この場合、監督は自分のチームの打順表に10人の選手を記載するが、そのうち先発投手と指名打者の2か所に同一の選手を記載することになる。この選手は、投手としては退いた(他の投手と交代した)としても指名打者として残ることができるが、再び投手として登板することはできない。同じく、指名打者としては退いた(代打または代走が起用される)としても投手として残ることができるが、再び打席に立つことはできない。この選手が試合から退く場合、他の選手が投手と指名打者を兼ねることはできない(野球規則5.11(b))。
指名打者に代わって出場させようとする選手については、指名打者の番がくるまでは届け出る必要はない(野球規則5.11(a)(13))。
指名打者は、捕手を務める以外は、ブルペンに座ることができない(野球規則5.11(a)(15))。
アメリカンリーグでは1973年より採用されている。ナショナルリーグでは2019年までは採用されていなかったが[6][24]、2020年には新型コロナウイルス感染症の影響を受けた特例措置として採用された。2021年のナショナルリーグではDH制度を採用しないことになった[25]が、2022年より正式にDHが導入されることとなった[7]。
パシフィック・リーグでは1975年より採用されている[24]。セントラル・リーグでは採用されていない[24]。
NPBでは、指名打者のみの出場であっても連続フルイニング出場記録は継続の扱いとなるが、MLBにおいては、指名打者では連続フルイニング出場を認めないという見解が出されている。
阪神タイガースの金本知憲は2006年4月にカル・リプケン・ジュニアが持つ903試合連続フルイニング出場の世界記録(MLB記録)を上回り、その後も記録を更新していたが、故障を抱えていたため、セ・パ交流戦のパ・リーグ主催試合で金本を通常の左翼手ではなく、指名打者で起用することが検討された(2005年の交流戦では指名打者での起用はない)。当時MLBは指名打者を含む連続フルイニング出場について公式な見解を出していなかったため、阪神球団がMLBに問い合わせ、上記の見解が出された。
実際には、金本は2009年までの交流戦では指名打者で起用されることがなく、2010年4月18日の横浜ベイスターズ戦でスタメンから外れたことで連続フルイニング出場が途切れたため、NPBとMLBの見解の違いは特に問題にならず、同年には金本の1492試合連続フルイニング出場がギネス世界記録に認定された。なお記録が途切れてから引退までは、交流戦のパ・リーグ主催試合の大半で金本は指名打者として出場した。
1985年より隔年採用、1987年よりパ・リーグ主催試合でのDH制採用となった日本選手権シリーズ(日本シリーズ)では、セ・リーグ所属チームの主催試合ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手が打席に立たなければならない上、DH起用が前提となっているタイプの選手をどのように活用するか(代打専門とするか、慣れない守備に付かせるか)という点で、パ・リーグ側のチームには一層の事前準備が求められる。2020年の日本シリーズでは新型コロナウイルス感染症流行拡大に伴う特例措置として、1985年以来35年ぶりに全試合で採用された。
2005年から始まったセ・パ交流戦ではパシフィック・リーグの本拠地での試合に限りDH制が採用されている。セントラル・リーグの本拠地ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手も打席に立つ義務がある。また、普段はDHとして起用されている選手をどう守備に組み込むか、またほとんど打席に入ることがない投手をどう扱うか、一方のセ・リーグのチームは誰を指名打者として起用するかが戦術の大きな要素となる。
2014年にはセ・パ両リーグは交流戦の10周年記念として、この年の交流戦のセ・リーグ主催試合で指名打者制を採用し、パ・リーグ主催試合では指名打者制を使わない9人制の適用と、これまでと逆の方式で行った[26]。
※大谷翔平(日本ハム)は野手兼任であるため、ここでは扱わない。
日付 | 選手 | 所属 | 相手 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1975年6月3日 | 太田幸司 | 近鉄 | 日本ハム | 右飛 |
1975年8月10日 | 佐々木宏一郎 | 南海 | 太平洋クラブ | 三ゴロ野選(打点1) |
1976年6月27日 | 大石弥太郎 | 阪急 | 太平洋クラブ | 遊飛 |
1978年4月8日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 三振 |
1978年8月23日 | 倉持明 | クラウンライター | 日本ハム | 四球 |
1981年8月10日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 遊ゴロ |
1982年8月12日 | 宮本四郎 | 阪急 | 近鉄 | 左飛 |
1982年9月27日 | 稲葉光雄 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
1982年10月7日 | 山田久志 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
1983年6月7日 | 木下智彦 | 阪急 | 日本ハム | 二飛 |
1986年4月10日 | 佐藤義則 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ |
1989年6月15日 | 酒井勉 | オリックス | 西武 | 三振 |
1990年9月12日 | 山沖之彦 | オリックス | 日本ハム | 四球 |
1991年5月29日 | ドン・シュルジー | オリックス | 近鉄 | 左本塁打(打点1) |
1992年5月19日 | 清川栄治 | 近鉄 | 福岡ダイエー | 三振 |
1998年9月8日 | 橋本武広 | 西武 | オリックス | 三振 |
2000年8月28日 | 大塚晶文 | 大阪近鉄 | 千葉ロッテ | 一ライナー |
2001年9月29日 | ジェレミー・パウエル | 大阪近鉄 | 千葉ロッテ | 三安 |
2004年6月19日 | 豊田清 | 西武 | 日本ハム | 三振 |
2014年8月16日 | 増井浩俊 | 北海道日本ハム | 埼玉西武 | 二ゴロ |
「DHとして出場した投手」の2例については、前述の通り、指名打者に偵察要員として投手を起用した事に起因しており、それぞれのケースにおいて起用した監督が「指名打者として先発オーダーに記載された選手は、1打席を完了するか、相手の先発投手が降板しなければ他の選手との交代ができない」というルールを失念していたため、やむを得ず打席に立ったケースとなっている。
なお、山沖のケース(「5番・指名打者」として起用)においては、この試合で山沖が1打席立った後に代わって河村健一郎が指名打者として5番の打順に入ったが、5回に四球で河村が出塁すると代走に小林晋哉を起用し、その小林が5回裏の守備から左翼の守備に付いたために指名打者が解除され、さらに左翼で2番打者に起用されていた吉沢俊幸が玉突きのような形で退き、先発投手でまだマウンドに上がっていた永本裕章が「2番・投手」で打順に入ることとなった(実際にはその後降板したために打席機会はなし)。しかし、永本降板後に登板した2番手投手の宮本四郎が、8回に打順が回ったことで実際に打席に立つ羽目になったため、指名打者制採用後のパ・リーグ公式戦で投手登録の選手が実際に2打席立つという珍事が発生している[27]。
オープン戦では全ての試合で採用可能であり、規則も厳格に適用される。一方紅白戦や練習試合では柔軟な運用を行っている。指名打者を2名としたり、途中からの採用が可能とされる試合がある。
2020年6月9日に行われた横浜DeNAベイスターズ対読売ジャイアンツの練習試合では、DeNAは5回裏に先発投手・濵口遥大の代打として楠本泰史を起用したが、6回表の守備には就かず、9番DHとして打線に留まった。これは練習試合という前提のもと、両監督の申し合わせにより許可されたものである。巨人側も翌日の試合で同様の起用を行い、両球団は残り試合でも行っている。
DH制を採用している団体に所属しているチームとそうでない団体に所属しているチームが試合をする際は、前者の主催試合のみDH制を採用することが多かったが、主催に関係なくDH制を採用するケースも増えている。
DH制の賛否についてはOB選手などがそれぞれ見解を示している。
この制度に対する批判として最も大きな論は、それが「打って・守って・走って」という野球本来の姿をゆがめているというものである[5]。
セ・パ交流戦が導入された2005年以降、セ・パ間の戦力差が如実に表れるようになった。とりわけ日本一の球団は2012年の巨人以降、2020年まで8年連続でパ・リーグの球団がなっていた。また交流戦においては、2019年までの15度のうちセ・リーグの勝ち越しが2009年のみであった[注 9]ため、これらについてDH制がないことが不利に働いていると指摘するOBや解説者の声が多数あった。
巨人の原辰徳監督もソフトバンクに敗れた2019年の日本シリーズ後、DHの必要性に言及している。2021年11月現在でまだ目立った動きはない。
巨人の山口寿一オーナーは2021年シーズンの暫定的なDH(指名打者)制導入案についセ・リーグ理事会で提案するも[50]、結局見送られることになった。巨人の他の5球団は「レギュラー選手が1人増えて年俸総額が高騰する」とそろって反対し、その後は新設された「価値向上委員会」で協議だけが続いている[51]。
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