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エイダイクイン

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エイダイクイン(欧字名:Eidai Queen1995年4月15日 - )は、日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1998年クイーンカップ

概要 エイダイクイン, 欧字表記 ...

経歴

3歳時(1997年)

1997年中山競馬場ダート1200mでデビューし、単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持されたがモールドオプトレーにアタマ差届かず2着に敗れる。2戦目の新馬戦で再び1番人気に支持され4馬身差の圧勝。しかし、続くプラナタス賞ではのちにスプリンターズステークスを勝利するマイネルラヴ、ダート重賞で5勝するスマートボーイ、その他重賞に顔を出すメンバーが多数揃って9着に敗れる。ちなみにこのレースを勝ったのは2番人気のヘイアンウインザーであり、次走のヒヤシンスステークスを勝利した。次走はの赤松賞。エイダイクインにとっては初めての芝で9番人気と評価が低かったがエアデジャヴーを抑え勝利。続いては中京2歳ステークスに出走。前走のつわぶき賞を快勝したエモシオンが単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持され、エイダイクインは2番人気だったが11.2倍と評価が低かった。レースはエイダイクインがエモシオンの猛追をクビ差封じ勝利した。

4歳時(1998年)

1998年の初戦はクイーンカップに出走。単勝2.7倍の2番人気に支持されエアデジャヴーに1 1/4馬身差をつけて快勝。続いて桜花賞にぶっつけ本番で挑む。単勝3.9倍の2番人気と多くの支持を集めたが、レース中に骨折し6着に敗れ余儀なく休養、クラシック制覇のチャンスを棒に振ってしまった。

5歳時(1999年)

骨折休養明けのレースダービー卿チャレンジトロフィーに約1年ぶりの出走。最後方からレースを進めたがブービーの13着に敗れる。休養を挟み11月の富士ステークスに出走。人気はなかったが、レッドチリペッパーブロードアピールの3着と好走。続く阪神牝馬特別に出走。5着に敗れた。

6歳時(2000年)

2000年の初戦は京都牝馬特別に出走。勝馬のスティンガーとは0.3秒差の7着に敗れる。続いて中山牝馬ステークスに出走。レッドチリペッパーの2着と好走。しかし、次走のエイプリルステークスは1番人気に支持されたが4着に敗れた。その後、新潟大賞典に出走。14着と大敗を喫した。続くエプソムカップに出走したが不良馬場が影響し9着に敗れた。次走のクイーンステークスでは一気に捲ってトゥザヴィクトリーのクビ差2着と好走。しかし府中牝馬ステークスで3番人気に支持されるが6着に敗れる。次のエリザベス女王杯では桜花賞以来2年7ヶ月ぶりのGIで10番人気と低評価だったが最後方追走から一気に追い込み、ファレノプシスフサイチエアデールの3着と好走。しかし次の阪神牝馬特別は12着に敗れた。このレースを最後に引退し、故郷の東振牧場へ戻り繁殖入りする。

引退後

引退後、2001年から生まれ故郷の東振牧場で繁殖牝馬となる[2]2017年10月をもって繁殖を引退[3]し、以降も東振牧場にて功労馬として余生を過ごしている[4]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[5]およびJBISサーチ[6]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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繁殖成績

さらに見る 生年, 馬名 ...

血統表

エイダイクイン血統(血統表の出典)[§ 1]
父系パーソロン系
[§ 2]

メジロマックイーン
1987 芦毛 日本
父の父
メジロティターン
1978 芦毛 日本
メジロアサマ *パーソロン
*スヰート
*シエリル *スノッブ
Chanel
父の母
メジロオーロラ
1978 栗毛 日本
*リマンド Alcide
Admonish
メジロアイリス *ヒンドスタン
アサマユリ

ユキノサンライズ
1987 芦毛 日本
ホリスキー
1979 黒鹿毛 日本
マルゼンスキー Nijinsky
*シル
オキノバンダ *オンリーフォアライフ
メジロビーナス
母の母
サリュウジョウ
1979 芦毛 日本
*カラード *ゼダーン
Embellie
ニットウコトブキ *ハードリドン
テルギク
母系(F-No.) ノースヴィクスン系(FN:16-b) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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