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スガノホマレ

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スガノホマレは、日本競走馬中央競馬三冠馬シンザンの初期の1969年産駒である[2]

概要 スガノホマレ, 欧字表記 ...

経歴

1971年7月25日、東京優駿までコンビを組むことになる佐藤征助を鞍上に迎え、新潟競馬場新馬戦でデビューし2着[4]。2戦目の新馬戦で初勝利すると3戦目の芝1200メートルの平場オープン競走で1分10秒3のレコード、2戦をはさんだ芝1100メートルの福島3歳ステークスでもふたたびレコードタイムで優勝した。朝日杯3歳ステークストクザクラの5着で3歳戦を終えている[5]

1972年6月17日、復帰戦の芝1600メートルの平場オープン競走で3度目のレコードを出した後、日本産種牡馬を父に持つ唯一の馬として第39回日本ダービーに出走するも、優勝したロングエースから2秒6差の23着に敗れる[6][7]。次走の日本短波賞ではフランス帰りの野平祐二が騎乗し、出遅れでのスタートながらも直線最後方からイシノヒカル以下12頭を差しきっての勝利となった[8][9]。秋には菊花賞を目指し、セントライト記念2着となるが、本番の菊花賞は7着に終わった[10]。年末の芝1400メートルのCBC賞では4度目のレコードを記録している。年が明けアメリカジョッキークラブカップ2着、東京新聞杯1着、中山記念6着、マイラーズカップ10着のあと、天皇賞(春)に出走したが、競走中に故障を発生し、競走中止となった[11]。1年以上の休養を経て復帰したが、その後24戦してレコードタイムで勝利した芝1800メートルの京王杯オータムハンデキャップ以外で勝利を挙げることはできなかった[3]

芝1100メートル、1200メートル、1400メートル、1600メートル、1800メートルで5度のレコード勝ちを収め、ステイヤー向けの血統と言われ、スピードは無いと言われた父シンザンがスピード競馬にも対応しているということを、同じく2000メートル2分の壁を初めて破りレコード勝ちを記録したシルバーランドとともに証明してみせた[12][13]。一方で「一滴の雨にも耳をしぼった[14]」と言われるほど不良馬場を苦手としており、優勝したレースは全て良馬場となっている[3]

なお、1974年の京王杯オータムハンデキャップで記録した1分46秒5の芝1800mの日本レコードは、1986年の毎日王冠で1分46秒0を記録したサクラユタカオーに破られるまで保持した[15][16]。レコード5回はタケシバオーと並ぶJRA記録である[要出典]

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引退後

引退後種牡馬となり、1981年から1993年にかけて21頭の産駒が競走馬として出走した[17]。重賞出走馬はスガリーダー1頭にとどまり、重賞勝ち馬は輩出していない[17]。1989年10月、用途変更名目にて供用停止となり、その後の行方は不明となっている[1]

競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[3]

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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種牡馬成績

賞金を獲得した産駒は以下の通り[18]

さらに見る 生年, 馬名 ...
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血統表

スガノホマレ血統ボワルセル系セントサイモン系) / Gainsborough5×5=6.25%、Blandford5×5=6.25%)(血統表の出典)

シンザン
1961 鹿毛
父の父
*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
父の母
ハヤノボリ
1949 栗毛
ハヤタケ *セフト
飛竜
第五バツカナムビユーチー *トウルヌソル
バツカナムビユーチー

モトコ
1958 黒鹿毛
*ライジングフレーム
Rising Flame
1947 黒鹿毛
The Phoenix Chateau Bouscaut
Kircubbin
Fille de Poete Firdaussi
Fille d'Amour
母の母
*ノマディック
Nomadic
1945 鹿毛
Lo Zingaro Solario
Love in Idleness
Lady Advocate Solicitor General
Toti dal Monte F-No.7-e
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脚注

関連項目

外部リンク

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