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マーティン・ペレス
ベネズエラの野球選手 (1991 - ) ウィキペディアから
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マーティン・ペレス・ヒメネス(Martín Pérez Jiménez, 1991年4月4日 - )は、ベネズエラのポルトゥゲサ州グアナレ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシカゴ・ホワイトソックス所属。愛称はエル・デ・グアナレ(El De Guanare)[1]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレンジャーズ時代
2007年に契約金58万ドルでテキサス・レンジャーズと契約し、16歳でプロ入り[2]。
2008年に傘下のA-級スポケーン・インディアンスでプロ初出場を果たした。
2009年にはA級ヒッコリー・クロウダッズで防御率2.31を記録し、シーズン後半にはA+級を飛ばして18歳の若さでAA級フリスコ・ラフライダーズに昇格を果たした[2]。
2010年の開幕前には「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングにおいて、球団内ではネフタリ・フェリス、ジャスティン・スモークに次ぐ3位、全体では17位の高評価を受けた[3]。
2010年は故障の影響もあり、AA級フリスコで防御率5.96だった。
2011年はAA級フリスコで防御率3.16と結果を残した後、AAA級ラウンドロック・エクスプレスに昇格したが、10試合の先発で、防御率6.43に終わった[2]。シーズン終了後の11月18日にレンジャーズの40人枠に入った[4]。
2012年6月26日にメジャーに昇格し、翌27日のデトロイト・タイガース戦でメジャー初出場を果たした。
2013年開幕後はAAA級ラウンドロックに所属していたが、6月22日にメジャー昇格した。この年はメジャーで20試合に登板し10勝6敗、防御率3.62の好成績で、新人王の投票ではリーグ6位タイだった[5]。オフの11月7日に総額1250万ドルの4年契約(2020年までの球団オプション付き)を結んだ[6]。
2014年は開幕ロースター入りしたが、5月14日に左肘内側側副靭帯の損傷で15日間の故障者リスト入りし[7]、5月19日にトミー・ジョン手術を受けた。5月20日に60日間の故障者リストへ異動した[8]。
2015年は14試合に先発登板した。3勝6敗、防御率4.46の成績を残した。ポストシーズンに初出場となり、2015年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ第3戦で先発登板したが5回4失点で敗戦投手となった。チームも5試合の末、シリーズ敗退した。
2016年は先発ローテーションに定着し、チーム1位[9]の33試合に先発登板して規定投球回に達した。防御率4.39、自身初の2桁勝利となる10勝11敗、76四球(アメリカンリーグワースト4位タイ)、103奪三振という成績を残した。
2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された[10]。同年は32試合に先発しチーム1位の13勝を記録したが、防御率4.82、WHIP1.53と投球内容は今ひとつであった。
2018年は4月22日のシアトル・マリナーズ戦において、イチローに現役最後の安打を打たれている。最終的に22試合(先発15試合)で2勝7敗、防御率6.22であった。
ツインズ時代
2019年1月30日にミネソタ・ツインズと1年契約を結んだ[11]。7月と8月にそれぞれ三重殺を記録した[12][13]。オフに球団に選択権のある契約延長オプションを破棄され、FAとなった[14]。
レッドソックス時代
2019年12月19日にボストン・レッドソックスと1年600万ドルの契約を結んだ[15]。
レンジャーズ復帰
2022年3月14日に古巣のレンジャーズと400万ドルの1年契約を結んだ[18][19]。この年は5月に自身初のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど、前半だけで18試合に登板し7勝2敗、防御率2.68[20]の好成績で自身初のMLBオールスターゲームに選出された。オールスターゲームでは5回裏に登板して無失点に抑えた[21]。オフの11月6日にFAとなった[22]。11月15日にレンジャーズから提示されたクオリファイング・オファーを受諾し、再契約を結んだ [23]。
2023年はシーズン開幕前の3月に開催された第5回WBCのベネズエラ代表に選出された[24]。この年は先発とリリーフの両方で起用され、35試合(うち先発登板は20試合)に登板して141.2イニングを投げ、10勝4敗、防御率4.45、93奪三振を記録した[25][26]。チームはアリゾナ・ダイヤモンドバックスを破り、球団史上初のワールドシリーズ制覇を果たした[27]。オフの11月3日にFAとなった[28]。
パイレーツ時代
2024年1月5日にピッツバーグ・パイレーツと1年契約を結んだ[26]。パイレーツでは2勝5敗、防御率5.20という成績だった。
パドレス時代
2024年7月30日にロナルディス・ヒメネスとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍した[29]。移籍後は3勝1敗、防御率3.46という成績であった。オフの10月31日にFAとなった。
ホワイトソックス時代
2025年1月21日にシカゴ・ホワイトソックスと1年500万ドルで契約を結んだ[30]。
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選手としての特徴
速球は通常91~93mph(146.4~149.7km/h)で、最速は95mph(152.9km/h)に達するが、制球に不安がある。打者の手元でよく沈むため、制球が定まれば効果的にゴロを打たせることが出来る。変化球ではチェンジアップの評価が非常に高く、決め球として用いている。他にはカーブも投げる[2]。
将来像はメジャーの先発2番手クラスのプロスペクトとされ、速球とカーブの制球力が向上すれば、エース級の投手に育つ可能性を秘めていると言われていた。同じベネズエラ出身の左腕で、体格もよく似ているヨハン・サンタナとはしばしば比較されていた[2]。
人物
本人曰く歌うのが大好きである。腕前は、2023年に開催されたWBC前の対ヒューストン・アストロズとの強化試合において、選手であるにもかかわらず、自国の国歌を伴奏なしで独唱するほど。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
MLBポストシーズン投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別打撃成績
- 2024年度シーズン終了時
WBCでの投手成績
- 太字は大会最高
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
記録
- MLBオールスターゲーム選出:1回(2022年)
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2011年)
背番号
- 33(2012年 - 2019年)
- 54(2020年 - )
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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