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ラトロワンヌ

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ラトロワンヌLa Troienne1926年 - 1954年)は、フランスで生産・調教された競走馬、および繁殖牝馬。競走馬としては未勝利に終わったが、アメリカ合衆国バイムレックブラックヘレンなどの母となり、アメリカを中心に一大勢力を誇る名門牝系ラトロワンヌ系を形成した。

概要 ラトロワンヌ, 欧字表記 ...

経歴

要約
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来歴

フランスの名オーナーブリーダーである、マルセル・ブサックの生産馬の一頭である[1][c 1]。ブサック所有のもとで競走馬となり、1928年9月にデビュー戦を迎えた[1]。全兄のレオニダス(Leonidas)はイギリスとフランスで重賞を勝っていたため、ブサックも全妹のラトロワンヌにそれなりに期待をかけていたが、2歳時はデビュー戦含めてすべて着外、3歳の初戦も着外と期待を大きく裏切った。諦めきれないブサックは未勝利の身ながらラトロワンヌをフランス1000ギニーにも出走させたが、やはり着外に終わった[c 1]

変化を期して、ブサックはラトロワンヌをイギリスの競馬場に送り、ニューマーケット競馬場のスネイルウェルステークスという5ハロン(約1005メートル)の競走に出走させたところ、初めて入着(3着)に成功した。続くフレッケンハムステークスでも1馬身半差の2着に入るが、最後の競走となったウェルターハンデキャップでは以前の調子に戻ってしまい、着外に終わった[1]

繁殖成績

ブサックはラトロワンヌに繁殖牝馬として期待ができなかったので、1930年にラトロワンヌをゲインズバラと種付け・受胎させ、同年のニューマーケットディセンバーセールにおいて売りに出した[1]。これをアイドルアワーストックファームのマネージャーであったオリン・ジェントリーが、その配合を吟味して購入を決意、1250ギニーの価格で手に入れた[c 1]。ラトロワンヌはアイドルアワーストックファームのケンタッキー州レキシントンに移され、ここで繁殖生活を送った。

ラトロワンヌの産駒のほとんどは、アイドルアワーストックファームの所有者であったエドワード・ライリー・ブラッドリー大佐の競走馬となった。産駒14頭のうち10頭が勝ちあがり、そのうちの5頭がステークス競走勝ちを収めている。とくに1935年アメリカ最優秀3歳牝馬になったブラックヘレン1940年のアメリカ二冠馬バイムレックの2頭の活躍が顕著で、この2頭はのちにアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定されている。

またこの2頭以外にも、競走成績こそ振るわなかったものの、繁殖入り後に後世の名馬の祖となった牝馬を多数輩出している。

産駒一覧

さらに見る 生年, 馬名 ...

産駒一覧の出典:[1][2]

後年

1938年、ラトロワンヌは雷雨の日に稲妻に驚いて暴れ、木に激突して右肩に大怪我を負っている。この頃ラトロワンヌは月盲で右目を失明しており、右にあった木に気づけなかったようである[1][c 1]。右肩の傷は確認したブラッドリーも安楽死を考えるほどの大きな裂傷であったが、ブラッドリーは「ラトロワンヌを助けるためなら昼夜を問わず10人の男を貼りつかせる。こんな牝馬は二度と手に入れられないのだから[c 1]」と延命を決断、ふたたび繁殖に戻れるまでに回復させた。この事故のあとに、前述のバックパサーの祖母となるBusinesslike(ビジネスライク)を産んでいる。

1946年にブラッドリーが亡くなると、アイドルアワーストックファームは解散を決定、競走馬・繋養馬も売りに出された[3]。ラトロワンヌはロバート・クレベルクとオグデン・フィップス、ジョン・ヘイ・ホイットニーの3人に買い取られ、最初はクレベルクのキングランチに移り、のちにホイットニー家のグリーンツリースタッドに移された。1948年に産んだトロヤンウォー(Trojan War)を最後に繁殖牝馬を引退、以後も同牧場で大事にされた[1]1954年1月30日に同地で死去、28歳であった[3]

のちの2006年にアメリカ合衆国の大手競馬専門誌ブラッド・ホースにおいて、競馬史の決定的瞬間を集めた『Horse Racing's Top 100 Moments』という企画が発表され、「ラトロワンヌの輸入」はその20位に位置付けられた[c 2]

表彰

ラトロワンヌはアメリカで競走生活を送った馬ではないが、アメリカの競馬界に残した功績を称えてチャーチルダウンズ競馬場に「ラトロワンヌステークス(ダート7.5ハロン・3歳牝馬G2)」が創設された。2009年にこの競走はエイトベルズステークス英語版に改称されたが、2010年に同じくチャーチルダウンズ競馬場の競走・ルイビルディスタフステークス[注 1]が新たにラトロワンヌステークスと改称された[4]

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主要なファミリーライン

要約
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ラトロワンヌに始まる牝系は、アメリカ競馬の名門血統のひとつとして認知されている。そのため、ファミリーナンバー1号族の系統図において「1-s族」に属しているこの系統を、ラトロワンヌを祖として「1-x族」という新しい分類にすることが提唱されている[3](ただし、まだ正式なものではない)。

牝系図の主要な部分(G1競走優勝馬、日本の重賞馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

牝系図の出典:[5][6]

---↓ラトロワンヌ系

ストライキング系

ビッグハリー系

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血統表

ラトロワンヌ (La Troienne)血統(血統表の出典)[§ 1]
父系テディ系
[§ 2]

Teddy
鹿毛 1913
父の父
Ajax
鹿毛 1901
Flying Fox Orme
Vampire
Amie Clamart
Alice
父の母
Rondeau
鹿毛 1900
Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Doremi Bend Or
Lady Emily

Helene de Troie
鹿毛 1916
Helicon
鹿毛 1908
Cyllene Bona Vista
Arcadia
Vain Duchess Isinglass
Sweet Duchess
母の母
Lady of Pedigree
鹿毛 1910
St. Denis St. Simon
Brooch
Doxa Melton
Paradoxical
母系(F-No.) (FN:1-s) [§ 3]
5代内の近親交配 Angelica-St. Simon 5×4=9.38%、Bend Or 4×5=9.38%、Galopin 5×5=6.25%、Isonomy 5×5=6.25% [§ 4]
出典

参考文献

  • Staff of Blood Horse Publications (2006). Horse Racing's Top 100 Moments. Blood-horse, Inc.. p. 86-90. ISBN 158150139-0
  • 栗山求『血統史たらればなし』エンターブレイン、2016年。ISBN 978-4-04-734112-8
  1. 栗山求 pp.84-87
  2. Blood Horse pp.86-90

脚注

  1. 2009年当時の名称。以前はルイビルブリーダーズカップハンデキャップ(Louisville Breeders' Cup Handicap)の名称で開催されてきた。

出典

外部リンク

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