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佐藤和俊
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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佐藤 和俊(さとう かずとし、1978年6月12日 - )は将棋棋士。棋士番号は250。加瀬純一七段門下。千葉県松戸市出身。
棋歴
最初に将棋を指したのは幼稚園の頃[1]。小4で本格的に将棋を始め、当時住んでいた松戸市の隣の柏将棋センターに通い始めた[1]。小6で奨励会入会。2003年、年齢制限まであと1年の25歳で四段昇段[2]。
2007年度に公式戦13連勝を記録(2007/6/7-2007/9/3、佐々木慎と並んでトップ)。これにより、将棋大賞での初受賞となる連勝賞を受賞[3]。同年度、第1回朝日杯将棋オープン戦で藤井猛元竜王らを破り、ベスト8入り(準々決勝で羽生善治朝日選手権者に敗れる)。
2008年度、第2回朝日杯将棋オープン戦では、屋敷伸之元棋聖、森内俊之十八世名人資格者、丸山忠久元名人らを破り、ベスト4入り(準決勝で阿久津主税に敗れる)。
2009年度の第3回朝日杯将棋オープン戦では本戦シードされ、1回戦でA級棋士の木村一基八段、2回戦で深浦康市王位を破り、またもベスト4(準決勝で久保利明棋王に敗れる)。
2016年度の第66回NHK杯テレビ将棋トーナメントで初戦で加藤桃子女王・女流王座(当時)、2回戦で屋敷伸之九段、3回戦で羽生善治三冠、準々決勝で前回優勝者の村山慈明NHK杯選手権者(七段)をそれぞれ打ち破り、自身初の準決勝進出を果たし、次期NHK杯の準決勝進出によるシード権を獲得した。準決勝でも橋本崇載八段に勝利し、準決勝同様、自身初の決勝進出を果たし、佐藤康光九段と対戦するも惜しくも敗れ、初優勝にはならなかった。
2018年度の第26期銀河戦では、本戦トーナメントで5連勝。決勝トーナメントで久保利明銀河・王将(前年優勝者)と渡辺大夢五段を破り、ベスト4進出と健闘するも、準決勝で佐藤天彦名人に敗れた。第77期順位戦C級2組では、9勝1敗でクラス2位の成績を挙げ、初参加より15期目でC級1組への昇級を決めた。
竜王戦では、第18期(2005年度)5組昇級、第22期(2009年度)4組昇級、第24期(2011年度)3組昇級、第27期(2014年度)2組昇級、第32期(2019年度)1組昇級。いずれも昇級者決定戦を勝ち抜いて昇級している。なお、6組初参加から決勝トーナメント出場経験が一度もないまま1組に昇級した棋士は、中川大輔・橋本崇載・飯島栄治に次いで佐藤が史上4人目である。1組初参加となる第33期(2020年度)では、1回戦で渡辺明三冠を破るとその勢いのまま決勝まで進出、自身初の決勝トーナメント進出を果たした。決勝では羽生善治九段に敗れて優勝は逃した。
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棋風
振り飛車党の棋士で、先手四間飛車・後手三間飛車などの戦法を使用する。三間飛車で敵玉頭をせめる三間飛車藤井システムの使い手。近年では先手中飛車や居飛車も指しこなし、高勝率をあげている。自分から相振り飛車を仕掛けることは少なく、相手が振り飛車党であるときは対抗形で戦うことが多い。
人物
- 「ふきげん」[5]や「キング」の愛称で知られる[6]。
- 奨励会三段時代、NHK杯テレビ将棋トーナメントの記録係を長く務め、四段昇段後も半年ほど継続して務めていた。
- 趣味はサッカーとピアノ演奏。日本将棋連盟のサッカー部に所属。そのため同じサッカー好きの野月浩貴、熊坂学らと親しい。ピアノは小学2年生の頃から断続的に20年くらい習っており、スタジオを借りてショパンを弾くのが好きだという[2]。
- 渋谷幕張中・高の出身。中学2年から陸上部に所属して、松戸市の大会で一度、4×200メートルリレーで優勝して、個人種目でも入賞[1]。短距離走専門であり100m走のベストタイムは11秒3であった[7][2]。
- 2020年から2025年3月まで、5年間にわたって関東奨励会幹事を務めた[8]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
将棋大賞
- 第35回(2007年) 連勝賞
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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著書
- 緩急自在の新戦法! 三間飛車藤井システム(2018年9月、毎日コミュニケーションズ)
- 全戦型対応 穴熊の戦い方(2014年2月、毎日コミュニケーションズ)
- よくわかる振り飛車穴熊(2011年5月、毎日コミュニケーションズ)
- 新・振り飛車党宣言 !2(共著、2005年12月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1947-X)
テレビ出演
関連項目
脚注
外部リンク
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