トップQs
タイムライン
チャット
視点

応永

日本の元号 ウィキペディアから

Remove ads

応永(おうえい、旧字体應永)は、日本元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1428年までの期間を指す。この時代の天皇後小松天皇称光天皇室町幕府将軍足利義満足利義持足利義量。日本の元号の中では、昭和明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年(1403年)から22年(1415年)までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。

改元

出典

唐会要巻67の「久称之、有天下」から。

逸話

時の将軍足利義満は若い頃からへ深く憧れており、「明徳」からの改元の議の際に明の太祖洪武帝の治世にあやかって日本の元号にも「洪」の字を使うよう工作した。そこで、東坊城秀長は「洪徳」、「洪業」、「洪化」の3案を義満に提示したところ、義満は「洪徳」を選定した。

しかし、「洪徳」は以下の理由で公家たちが反発したため実現せず、結局「応永」に決定した。

ちなみに、この時、候補として寛永宝暦も提案されていた。

応永が35年間という長さになった原因には、以下の説がある。

  • この改元で義満は機嫌を損ねて、自分の生きている間には元号を変えさせなかった。
  • 元年に将軍に就任した義満の子の義持が応永に愛着を持っていたので、1408年(応永15年:義満死去に伴う)と1413年(応永20年:称光天皇即位に伴う)に出された改元の議を阻止した。実際、義持の死の直後に改元された。

また、干支甲子辛酉に当たる年には改元を行う慣例があったが、応永年間には該当する年がなかった。

応永期におきた出来事

出生

死去

Remove ads

西暦との対照表

要約
視点

※は小の月を示す。

さらに見る 応永元年(甲戌), 一月 ...
Remove ads

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads