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村田顕弘

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。

概要 村田顕弘 六段, 名前 ...

棋歴

プロ入りまで

1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。

2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした[1][2]。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。

プロ入り後

初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組順位戦では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、2009年10月16日竜王戦6組3位決定戦において、新人王戦優勝で波に乗る強敵・広瀬章人を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、糸谷哲郎豊島将之稲葉陽とともに「関西若手四天王」[3][4]と呼ばれるようになる。

第4回朝日杯将棋オープン戦(2010年 - 2011年)で予選突破。本戦1回戦で久保利明を破る。また、第59期(2011年度)王座戦で本戦進出(ベスト16)。

五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の阪口悟五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。

第73期(2014年度)C級2組順位戦では、最終戦前の時点で中村亮介岡崎洋に次ぎ5位につけていたが、最終戦で中村との直接対決を制し、岡崎も敗れたため、3位となりC級1組へ昇級。

2017年11月7日、棋聖戦の1次予選で今泉健司に勝利し、昇段の「勝ち星規定」を満たし六段に昇段[5]

2023年6月20日、第71期王座戦挑戦者決定トーナメント2回戦では藤井聡太竜王・名人相手に「新・村田システム」を採用し善戦したが敗れた[6]

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人物

  • 同じく将棋棋士の村田智弘と名前が似ているが、血縁関係はない。
  • 生まれは尼崎市で、幼少時に魚津市に転居。奨励会入会当初は、魚津市から関西将棋会館まで通っていたが、高校1年時に再度尼崎市に転居。
  • 師匠の中田同様、詰将棋作りを特技とし、専門誌「詰将棋パラダイス」への入選歴もある。また、詰将棋を解く方の「詰将棋解答選手権」にも何度か出場している。
  • 趣味は競艇。オフの日は、毎日のようにボートレースの中継を見ているという。ボート関連番組に出演する事もある[7]。「ボートレース」というタイトルの詰め将棋作品を発表している[8]

棋風

居飛車振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。嬉野流の派生形である「村田システム」を開発した[9]

不祥事

  • 2017年2月7日の第75期順位戦9回戦(対高橋道雄戦)では、夕食休憩の際に食料品購入のため外出し、対局中の外出を禁止する対局規定[注釈 1]に違反したとして、厳重注意と対局料50%相当の罰金処分を言い渡された[注釈 2][10]

昇段履歴

  • 1999年09月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 2003年10月00日 : 三段(第35回奨励会三段リーグ<2004年度前期> から三段リーグ参加)
  • 2007年10月01日 : 四段(第41回奨励会三段リーグ成績1位 = 15勝3敗) = プロ入り[2]
  • 2012年03月06日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝、通算100勝64敗)[11]
  • 2017年11月07日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝、通算220勝144敗)[12]

主な成績

将棋大賞

  • 第51回(2023年度) 升田幸三賞特別賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
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出演

ウェブテレビ

  • 叡王戦記念特番 東西対抗 詰将棋カラオケ(2019年3月30日、ニコニコ生放送)[33] - 西チーム

書籍

脚注

関連項目

外部リンク

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