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牟田悌三

日本の俳優 (1928-2009) ウィキペディアから

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牟田 悌三(むた ていぞう、1928年昭和3年〉10月3日[3][4][5] - 2009年平成21年〉1月8日)は、日本俳優社会福祉活動家。村上事務所所属[6]。世田谷ボランテイア協会理事長[7]グループ・てえぶら代表取締役[4]、朝日スタジオ取締役[4]。劇団テアトル・エコーの創設メンバー[2]。本名同じ[3]

概要 むた ていぞう 牟田 悌三, 本名 ...

東京都杉並区荻窪出身[1][注釈 1]旧制麻布中学校[10]北海道大学農学部畜産学科卒業[4]

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来歴・人物

テレビ放送の黎明期から、主にホームドラマで活躍した。

父親は鋳物工場を経営していた[10]。子供は5人おり[10]、長男はフジテレビプロデューサーの牟田夏彦

北海道大学農学部在学中、演劇研究会を作ったことが俳優になったきっかけであり[1]、1951年にNHKが行った研究生の募集に応募し[11]、札幌放送劇団に入団[8][1][10]。同期には高垣葵石山透(共々のちに脚本家)・声優の若山弦蔵などがいた[11]恵迪寮OB。初仕事はラジオドラマのカラスの鳴き声[10]

大学卒業後は東京に戻り、テアトル・エコーに参加[8][10]。3年後にフリーランスとなり[9]、プレーヤーズ・センター[8]、東京タレントクラブ[3]、グループ・てえぶら[8]、全音プロ[5]、富士企画[12]、パイレーツ・コーポレーションなどに所属していた[12]

1970年代の「ケンちゃんシリーズ」での父親役が当たり役となり、温厚な人柄が全国の視聴者の人気を集めた。

一方で『俺はご先祖さま』の草壁周助役を演じ、話題にもなる。

70年代から80年代にかけて、刑事ドラマでは鬼気迫る犯人役を演じることもあった。

以降はTBSラジオの番組『牟田悌三・あなたのための税金相談』のパーソナリティを務めたり世田谷区ボランティア協会で活動を行い、子ども向け電話相談のチャイルドラインの普及に尽力した。2000年度の吉川英治文化賞受賞。5・4制推進論者でもある。また、ボランティア協会での活動については自らの著書『大事なことはボランティアで教わった』でも紹介されている。温かみのある独特の話し方でナレーション業も行っていた。

プライベートでも子沢山の良き父親として知られ、家族でテレビに出演したこともある。

2009年1月8日、世田谷区深沢の自邸で入浴中に倒れて病院に緊急搬送され応急措置がとられたが午後11時33分、虚血性心不全で死去した[13]80歳没。『ケンちゃんシリーズ』で親子役で共演した宮脇健は「実の父親が逝ったようだった」と牟田をしのんだ。牟田の告別式に参列した宮脇は「(棺の中の顔は)ドラマで共演しているときと同じ笑顔でした。これからも見守ってください」と泣き崩れていた。墓所は多磨霊園(12区1種10側)。

晩年は教育基本法改正反対の立場から、同趣旨の集会に参加している。またエフエム世田谷の顔的存在でもあった。

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出演

映画

テレビドラマ

声の出演

テレビ番組

ラジオ番組

CM

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脚注

外部リンク

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