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能ヶ谷 (町田市)
東京都町田市の地名 ウィキペディアから
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能ヶ谷(のうがや)は、東京都町田市の町名。現行の行政地名は能ヶ谷一丁目から七丁目。 郵便番号195-0053[4]。
地理
町田市の北東部に位置する。住居表示実施済み。
北部、東部、南部は神奈川県川崎市麻生区に接しており、南南西の岡上が川崎市にとって飛び地となっている。他の隣接地は町田市で、真南は三輪町、西部は大蔵町と鶴川と広袴町である。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、能ヶ谷5-33-12の地点で16万6000円/m2となっている。[7]
歴史
かつては武蔵国都筑郡幡屋郷に属し、その後、多摩郡小山田庄三矢田郷に属し、その後、多摩郡柚木領に属した。
地名の由来
鎌倉時代に紀州田鍋郡から来た神蔵勘左衛門重信、鈴木四郎左衛門、夏目与三衛門、森半兵衛の4人が開拓してから集落になり「直ヶ谷」と呼ばれたが、天正年間から「能ヶ谷」と記されている[8]。北条氏直の治下となった際に「直ヶ谷」から「能ヶ谷」に表記を改めたと伝わる[9]。
沿革
- 1590年(天正18年):小田原征伐後、関東に国替えとなった徳川家康の領地になり、後に江戸幕府直轄地になる。
- 1605年(慶長10年):分割され、一部が旗本 福井清右衛門久国の知行地になる。
- 1661年(寛文元年):幕府直轄地の一部が旗本 細井佐次右衛門勝茂の知行地になる。
- 1696年(元禄11年):残りの幕府直轄地が旗本 桜井安右衛門の知行地になり、以後旗本3家の分割知行地になる。
- 1715年(正徳5年):福井家の知行地が幕府直轄地になる。
- 1868年(慶応4年/明治元年):武蔵知県事と韮山県の管轄となり、その後神奈川県に移管される。
- 1871年(明治4年):区制により第三〇区となる。
- 1873年(明治6年):区番組制により第八区四番組となる。
- 1874年(明治7年):大区小区制により第八大区一小区となる。
- 1884年(明治17年):連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
- 1889年(明治22年):能ヶ谷村と大蔵村、小野路村、金井村、真光寺村、広袴村、野津田村、三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
- 1893年(明治26年):神奈川県のうち西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡が東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
- 1943年(昭和18年):東京都制施行により、東京都南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷となる。
- 1958年(昭和33年):町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併し、町田市能ヶ谷町となる。
- 1968年(昭和43年)8月1日:能ヶ谷町、大蔵町、真光寺町、広袴町の一部で町名地番整理を実施、鶴川一〜六丁目を新設。
- 2010年(平成22年)7月19日:住居表示を実施し、能ヶ谷町の全域、大蔵町の一部、鶴川一丁目の一部から能ヶ谷一丁目~七丁目を新設。
史跡
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世帯数と人口
2018年(平成30年)1月1日時点の丁目別の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
小・中学校の学区
交通
鉄道
道路
- 東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(鶴川街道、世田谷通り)
- 東京都道・神奈川県道139号真光寺長津田線(鶴川街道)
- 鶴川いちょう通り
施設
- 文化
- 和光大学ポプリホール鶴川(町田市鶴川緑の交流館)
- 町田市役所 鶴川駅前連絡所
- 町田市立鶴川駅前図書館
- 警察
- 公園
- 教育
- 小学校
- 商業
- 金融機関
- JA町田市 鶴川駅前支店
- 妙行寺
- 蓮清寺
- 能ヶ谷神社
脚注
外部リンク
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