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鮫島一歩

日本の調教師 (1954-) ウィキペディアから

鮫島一歩
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鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師

概要 鮫島一歩, 基本情報 ...

なお、佐賀競馬所属の元騎手・調教師である鮫島克也、およびその息子でJRA所属の騎手である鮫島良太克駿兄弟とは血縁関係はない。

来歴

要約
視点

父は南日本新聞記者で、競馬とは無縁の家庭で育つ[1]鹿児島南高等学校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部すると3年生の時にインターハイ団体で優勝する。監督は鹿児島市で上村乗馬苑を経営し、のちに冠名「トシ」で知られた馬主の上村叶[2]。高校卒業後はブラジル酪農をやる夢を抱き、北海道江別市酪農学園大学に進学すると、また馬に乗りたいと再び馬術部に入部[1]飯田雄三元調教師は大学馬術部の同期であり、卒業後ともに増本豊厩舎へ所属する[3]

1979年、4月から栗東・増本豊厩舎所属の調教助手となる。

1999年、2月に38歳から受験している調教師免許試験を7回目で合格[1][4]

2000年、厩舎を開業し、3月4日に管理馬2頭が同じレースで初出走し、アイアルカングが7着、イケツキフジが12着となり、5月6日にギャンブルローズが勝利し、のべ21頭目で管理馬が初勝利を挙げた[5]7月17日地方競馬への管理馬初出走となった金沢競馬場で行われたJRA交流ケヤキ賞にセレサスが出走して7着となった。11月8日新潟県競馬組合主催で新潟競馬場で行われた柏崎特別をノムラセイランオーが制し、管理馬が地方初勝利を挙げた。

2002年11月27日兵庫ジュニアグランプリをエースインザレースが制し、管理馬が重賞およびダートグレード競走初勝利を挙げた。

2004年1月18日日経新春杯シルクフェイマスが制し、管理馬が中央競馬の重賞初勝利を挙げた。同年7月11日、阪神10Rでケージーダンシングが1着となり、現役169人目となる中央通算100勝を1002戦目で達成した[6]

2006年優秀調教師賞(関西)を初受賞する[7]

2007年12月8日、中京5Rでジェットバニヤンが1着となり、現役110人目となるJRA通算200勝を1957戦目で達成した[8]

2011年7月16日、京都4Rでビューティーモズが1着となり、現役69人目となるJRA通算300勝を3176戦目で達成[9]

2012年パドトロワアイビスサマーダッシュキーンランドカップで優勝し、サマースプリントチャンピオンになる[10]

2014年リトルゲルダ8月24日北九州記念を制すると、続いて9月14日セントウルステークスも優勝し、自身2度目となるサマースプリントチャンピオンを獲得[11]。同年11月30日、京都8Rでグランプリナイトが1着になり、現役46人目となるJRA通算400勝を4251戦目で達成した[12]

2016年福島牝馬ステークスマコトブリジャールが優勝し、調教師として史上5人目となるJRA全10場重賞制覇を達成[1]

2017年11月12日モズカッチャンエリザベス女王杯を制し、管理馬延べ62頭目のG1出走で中央GI競走初勝利を挙げた[13]

2019年6月29日、中京2Rでアイファーキングズが1着となり、現役26人目となるJRA通算500勝を5622戦目で達成した[14]

2025年3月4日付けで70歳定年に伴い、調教師を引退した[15]

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調教師成績

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おもな管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

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表彰

おもな厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

脚注

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