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1930年代の建築

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1930年代の建築についての概要である。

日本の主要作品

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日本国外の主要作品

要約
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コンペ・受賞

  • 日本生命館(日本橋高島屋)(1930年、公開)1等当選の高橋貞太郎が当選し実施設計まで行った。
  • 大礼記念京都美術館[2] 京都市美術館 - 1930年(昭和5年)前田健二郎がコンペィション1等に選ばれ、昭和8年竣工。
  • 軍人会館(1930年、公開, 九段会館) - 1930年(昭和5年)9月 在郷軍人会主催による軍人会館懸賞設計競技(コンペ)を実施発表。小野武雄設計作品が「1等賞」を受賞。のちに川元良一が小野設計作品を基に実施設計着手
  • 明治製菓本郷売店(1930年、公開)
  • 東京国立博物館 - 1931年4月に設計案の公募が締切られ、273点の応募作のなかから渡辺仁の案が採用された
  • 京帝室博物館(東京国立博物館)(1931年、公開)- 渡辺仁案が1等当選し、宮内省内匠寮が手を加えて実施した。
  • 朝鮮貯蓄銀行本店(1932年、公開)
  • 大阪放送会館 - 1932年(昭和7年)6月28日に日本放送協会が6名を指名し、総数11種の図案が提出され、審査員は建築学会正員側内田祥三、佐藤功一、宗兵蔵、日本放送協会本部側より小森常務、日本放送協会関西支部側より廣江常務にして審議の結果、同年10月31日の最終審査において渡辺仁案が最優秀案に選定された。
  • NHK東京放送会館 - 指名設計競技方式により行われることになり、1933年(昭和8年)山下寿郎建築事務所案の当選が決定
  • 明治製菓売店(1934年、公開:実施されず?)
  • 東京市庁舎(1934年、公開:実施されず)
  • 神戸市公会堂(1935年、公開:実施されず)
  • ひのもと会館(1935-1936年、公開:実施されず)
  • 朝鮮25周年美術館(1935年、公開:実施されず)[2]
  • 愛育研究所(1936年)[2]
  • 昭和鉄鋼会社鞍山製鉄所(1937年、公開:実施されず?)
  • 日本万国博覧会建国記念館[2](1937年、公開:実施されず)
  • 大連公会堂(1938年、公開:実施されず)
  • ベルリン国立銀行オープンコンペティション(1933年)
  • スヴェルトロフクク・ウラル工業省プロジェクト(1930-1931年)
  • 前政治犯協会会館(1930年)
  • スターリングラード住居コンビナート(1930年)
  • ロストフ・アン・ドン・ソビエト庁舎(1930年)
  • イヴァノヴォ・ヴォツネセンクス大劇場(1930年)
  • スヴェルドロフスク大劇場(1932年)
  • ジェルジンスカヤ地下鉄駅コンペティション
  • レニングラード学生コミューンコンペティションプロジェクト
  • アレクサンダー広場改良オープンコンペティション
  • モスクワ赤の広場のナルコムチアジプロムNarkomtiazhpromビル(1934年)
  • ソビエト宮殿 - ボリス・イオファンが当選(1931年-1933年、160もの建築デザインのエントリーがあった。イオファン案がいくつか採用。しかしイオファンの新案含む宮殿が実際に建設されることはなかった。1953年のヨシフ・スターリン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに計画を白紙に戻し唯一完成していた豪華な地下鉄駅はクロポトキンスカヤ駅と改名された。
  • 重工業省モスクワ庁舎(1934年)
  • クラースヌィエ・ヴォロータ駅(クラスナヤ・ヴァローダ)地下鉄駅コンペティション(1935年)
  • ソビエト・ウクライナ大衆劇場(ウクライナ・ハリコフ劇場, 1931年開催、川喜田煉七郎が4位に入選)
  • EUR会議場設計競技 - アダルベルト・リベラが当選(1938年)
  • パラッツォ・リットリオ設計競技(1937年)
  • パレ・ド・トーキョー 1930年代にJean-Claude Dondel、 André Aubert、 Paul Viard、 Marcel Dastugueらのグループが当選

脚注

関連項目

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