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1998年の日本ハムファイターズ
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1998年の日本ハムファイターズ(1998ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1998年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、上田利治監督の4年目のシーズンである。
概要
上田監督が就任以降、破壊力抜群の打線はこの年からビッグバン打線と命名され、チームは4月から順調に勝ち進み7月まで毎月のように勝ち越すなど1981年以来となる17年ぶりの優勝は目前だった。だが、ラストスパートの時期に入るとビッグバン打線はたちまち沈黙。特に前半の快進撃を支えた西浦克拓やジェリー・ブルックスといった4番が大不振に陥り、片岡篤史やナイジェル・ウィルソンの奮闘もむなしく、8月9日の西武戦から1引分を挟み9連敗、直後の対ロッテ3連戦で3連勝したものの、続く8月28日からダイエー3連戦3連敗を含む5連敗し一気に差を縮められ、結局9月には遂に西武に首位を明け渡し、9月以降2連勝1度のみに対し2連敗3連敗をそれぞれ3度喫するなど成績は低迷、8月以降は14勝32敗2分で貯金も激減、最後は67勝65敗で貯金2と、辛うじてAクラスは守った。投手陣では前年チーム最多勝のキップ・グロスが故障で離脱したが岩本勉・金村暁・関根裕之・今関勝などがローテーションを守った。しかし、打撃陣が失速した9月以降は揃って勝ち星に見放された。金石昭人の巨人移籍に伴いリリーフが手薄になったのを受けこの年入団のエリック・シュールストロムや黒木潤司が抑えを務めるものの、セーブは1ケタにとどまり下柳剛の66試合登板が目立つぐらいで他球団に比べるとリリーフが見劣りする形となった。シーズン終了後、西浦との4番争いに敗れた落合博満やベテランの広瀬哲朗が揃ってユニフォームを脱ぎ、現役生活に別れを告げた。
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レギュラーシーズン
1 | 遊 | 田中幸雄 |
---|---|---|
2 | 二 | 金子誠 |
3 | 三 | 片岡篤史 |
4 | 一 | 落合博満 |
5 | 指 | ウィルソン |
6 | 左 | 西浦克拓 |
7 | 右 | ブルックス |
8 | 捕 | 田口昌徳 |
9 | 中 | 井出竜也 |
投 | 岩本勉 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 70 | 61 | 4 | .534 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 67 | 65 | 3 | .508 | 3.5 |
3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 66 | 66 | 3 | .500 | 4.5 |
3位 | 福岡ダイエーホークス | 67 | 67 | 1 | .500 | 4.5 |
5位 | 近鉄バファローズ | 66 | 67 | 2 | .496 | 5.0 |
6位 | 千葉ロッテマリーンズ | 61 | 71 | 3 | .462 | 9.5 |
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(418打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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1998 サンヨーオールスターゲーム
→詳細は「1998年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- この年の日本ハムは監督推薦による選出のみであった。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
関連項目
脚注
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