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Debian

Debian Projectの開発するOS ウィキペディアから

Debian
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Debian発音: [ˈdɛbiən] デビアン)またはDebian ProjectLinuxディストリビューションのひとつであるDebian GNU/Linuxを中心とするプロジェクトである。

概要 開発者, OSの系統 ...
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GNUプロジェクトの精神の尊重と、同プロジェクトによるプロダクトの積極的な採用などが特徴である。システム全体を単にLinuxと呼ぶ事が多いのに対し、Debianでは「GNU/Linux」という呼称を積極的に使っている。呼称が分かれる経緯についてはGNU/Linux名称論争を参照。

Linuxディストリビューションの他、カーネル(核)をLinuxカーネルからGNU HurdFreeBSDのカーネルに置き換えた、Debian GNU/HurdDebian GNU/kFreeBSDなどがある。

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概要

Linuxカーネル、必須なユーティリティ類のutil-linux英語版、プログラムのビルドに必要なGCCGNU Binutilscoreutilsなどのその他のUnix系ユーティリティをはじめ、その他デスクトップ環境向けやサーバ運用向けなど多数の、計51,000以上のパッケージを提供している[4]。対象環境として現在10のアーキテクチャ(環境)向けに開発されており[4]インテルAMD32ビット64ビットプロセッサ、組み込み機器で使われるARMアーキテクチャなどがそれには含まれている。低水準のパッケージ管理システムはdpkg、高水準のパッケージ管理システムはAPTである。デスクトップ環境は各種のものがパッケージにあるが、Debian 8では導入時に選べるのはGNOMEXfceKDECinnamonMATELXDELXQtである。

その他の特徴として、Debianを母体として、さらに調整や変更を加えた派生Linuxディストリビューションの作成が考慮されている、という点がある。派生先にはUbuntu他多くの派生ディストリビューションが存在する。

インストーラ用のCD/DVDイメージはWebからのダウンロード、BitTorrentjigdo・uNetBootInなどで取得できる。さらに、インストーラーをオンライン再販業者から購入する事も可能である[5]

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歴史

要約
視点

開発・公開履歴

Debian の各版に付けられている開発用コード名は、ディズニー映画「トイ・ストーリー」の登場人物の名前に基づいている。Debian の不安定版は、おもちゃをいつも壊す悪ガキのキャラクターである Sid (シド)にちなんでいる。

1993年〜1998年

Debianは1993年8月16日に当時パデュー大学の学生であったイアン・マードックにより創設された。 マードックは当初"Debian Linux Release"という名称を付けた[6]。当時"Softlanding Linux System (SLS)"という初のGNU/Linuxディストリビューションが公開されていたが、SLSは保守がお粗末であったり不具合が頻発したためマードックは全く新しいディストリビューションを立ち上げた。

1993年、マードックは"Debianマニフェスト"というこの新しいオペレーティングシステムについての概要を公表した。その中で、このディストリビューションの保守は、LinuxおよびGNUの精神に基づき公開された手法で維持されることを求めた。彼はこのディストリビューションの名称を、ガールフレンド(後の妻)の名前Debra Lynnと自身の名前IanからDebianとした[7][8]

Debianプロジェクトからは、1994年から1995年にかけて0.9版のシリーズが初めて公開された。この期間、フリーソフトウェア財団GNUプロジェクトが支援を行った。1995年には、インテルi386以外の環境に対しても対応が開始されることとなり、1996年に最初の1.x版が公開された。

1996年にはブルース・ペレンズがDebianプロジェクトのリーダーとしてマードックの後任に就いた。同年開発者のEan Schuesslerは、Debianプロジェクトがその利用者に対して社会的な契約を交わすべきであるとの提案を行った。これに関してDebianプロジェクトのメーリングリストで行われた議論は、プロジェクトについての「Debian社会契約」と「Debianフリーソフトウェアガイドライン (DFSG)」にまとめられた。ペレンズは、Software in the Public Interest (SPI) というDebianプロジェクトを公式に支え、プロジェクトを統括する非営利組織の創設にも関わった。

ペレンズは、glibc移行後初めての版となったDebian 2.0が公開される直前にDebianプロジェクトを引退した。

1999年〜2004年

この時期、Debianプロジェクトは新たなリーダーを選出し、2.x を公開した。この時期にAPTが初めて導入され、Debian GNU/HurdというLinuxカーネル以外の開発も始められた。1999年にはDebianを母体とするディストリビューションも現れ始めた。Libranet (2006年に開発停止[9])、Corel Linux そして StormixによるStorm Linuxである。 特筆すべきは、2000年に公開された2.2版(コードネーム: potato)で、この版はlibc等重要なパッケージの保守で、デュシェンヌ型筋ジストロフィーのため亡くなった、Joel 'Espy' Kleckerに捧げられた[10]

2000年後半には、プロジェクトはパッケージアーカイブとリリースマネージメントに関する大きな変革を行い、「パッケージプール」方式と次期stable版の土台となる"testing"版の導入が開始された。また同年には全世界のDebian開発者・技術者を集めて年1回開催されるDebConf(Debianカンファレンス)が開かれるようになった。

この頃CorelはLinux部門を売却 (後にXandrosとなっている) 、Stormixは2001年破産を宣告されている。

2002年7月、Debian 3.0 (コードネーム: woody)が公開された。(遡ることver.1.1から、Debianは公開の際に映画トイ・ストーリーのキャラクター名をコードネームとして採用し現在に至る。)

3.0(woody)公開後、次期版3.1(sarge)まで、およそ3年という長期に渡る空白期間が存在する。主な理由として、potatoからwoody以後にかけて、パッケージ数が2倍程に増加、またwoodyでの対応環境も増加したため、公開直後からこれに伴うバグが飛躍的に増大した点がある。とりわけリリースクリティカルバグが事実上すべて解消されない限り公開できないため、公開日程に多大なる影響を与えた。パッケージメンテナのバグに対する考え方は温度差があり、たとえば特定の言語のみ発生するバグならば、そのメンテナがバグ対象の言語圏でも無い限りバグを修正することに対する意欲を持つことは少ない。コミュニティによるボランティアを作業基盤とするDebian特有の問題とも言える。

しかし、長くなっていく公開間隔について、自由ソフトウェアコミュニティから疑問の声が上がった。Debianのsargeリリース直前には、実際にDebian開発者の1人であったShuttleworthが主導してUbuntuというプロジェクトを派生させた。Shuttleworthが雇っているUbuntu開発者の多くは、かつてはDebianボランティアだったか、または今もDebianに関わっている人々である。多くの場合、Ubuntu開発者として(Canonicalを通して)雇われた人々はDebianでも同じパッケージの管理をしている[11]。この点については本人も公式サイト[12]で「Debian の開発者の中には、Ubuntu で仕事のほとんどをするようになった人も確かにいます。また、Ubuntu と Debian で同じように仕事をしている開発者もいます。」としてそれを認めている。Debian の創立者、Ian Murdochは、Ubuntu の人気が Debian 派生のディストロのために良い兆しだとは考えていない。それは、Ubuntu 用に作られたパッケージが Sarge上で動作しないことが多いことを挙げている。Murdockは、Ubuntuが本当にDebianと互換性があった場合、開発のための作業のエネルギーの全てをSargeに向けられる可能性があり、それが本当に全体として見た場合、Debianの開発システムに利益をもたらすと主張している[13]。したがって、当時のこうした混乱状況がsargeの開発をさらに遅らせることになったといえる。

その後、Debianから派生したUbuntuは多数の常勤の開発者によって開発されるところとなり、次第に影響力を増していった。しかし、ブラジル人のDebian開発者、Otavio Salvador は、「「ユーザはUbuntuを信用しているが、ユーザには安定したパッケージを提供する必要がある」 という考えにUbuntuがコミット (バージョン管理)しているかどうか、確信が持てない。」と述べている。また彼は、Shuttleworth個人に対しても不信感を抱いており、露骨に「言動が一致していない」と非難し、「品質対公開日程の問題で溝が深まったことでUbuntuとDebianの関係はひどいものになっている。」と語っている[11]。このように、Ubuntuに対する評価は分かれている。

Debianのstable開発の長期化と派生であるUbuntuの誕生は、Debianコミュニティに対する意識を変化させ、Debian 4.0(コードネーム: etch)以降の版に対しての公開日程を含むいくつかの改善をもたらしたのは確かである。2011年現在では両コミュニティにおいて、バグ修正の取扱いなど相互交流もある[14]

2005年以降

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Debian 4.0 Etch (2007)

2005年6月、Debian 3.1(コードネーム: sarge)が公開された。小規模な改良(バージョン番号が小数部の増加に留まる)にも関わらず、この正式版では数多くの変更が実施されたが、それは一つ前の版woodyからsarge公開までの期間が長かったことが原因である。この版では70%以上のソフトウェアが更新の対象となっただけではなく、ソフトウェアの容量も増加した。新規のインストーラーが導入され、40ヶ国語にも及ぶ言語に対応するようになった。

このリリースでは、woody以前のインストーラである、"boot-floppies"をDebianインストーラと呼ばれるモジュラー設計の新しいインストーラで置き換えた。この新しいインストーラは高度な導入方法に対応しており、RAIDXFS そしてLVMにも対応している。またハードウェア検知能力に優れるため、Linuxのインストールに不慣れな者でもインストールできるようになっている。インストーラは約40ヶ国の言語で完全なソフトウェアレベルでの国際化を実現している。インストールマニュアルと包括的なリリースノートはそれぞれ10と15の言語に翻訳され公開されている。

このときの公開では、Debianプロジェクトの各サブプロジェクトの取り組みも含まれており、Debian-Edu (Skolelinux)、Debian-MedDebian-Accessibilityがそれに当たる。Skolelinuxは学校教育において有用なソフトウェアのパッケージを作成しDebianアーカイブに収録、また教育現場へのDebianの利用促進を行うプロジェクトである。Debian-Medは医療現場におけるDebianの利用促進や医療用ソフトウェアの作成、パッケージ化を担っている。Debian-AccessibilityはDebianシステムやDebianプロジェクトのWebサイトの利便性向上や障害者に対するDebianの利用を支援するプロジェクトで、その一部は視覚障害者のためのブライユ端末上における導入支援などがある。

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Iceweasel logo

2006年ウェブブラウザメーラーといった Mozilla関連のソフトウェア名が商標上の問題によって変更された。Firefox は、Iceweasel へ、ThunderbirdIcedove へといったように変わった。これはMozilla Foundationの要請によりDebianプロジェクトでMozilla Firefoxの名称が使えなくなったことによる。

2007年4月8日、Debian 4.0(コードネーム: etch)が公開された。GUIインストールが公式に対応されている。この公開版では新たにAMD64に対応した一方、Debian初のx86以外の対応環境であったm68kは公式に非対応となった(但し非公式ながら動作する)。

2009年2月14日、Debian 5.0(コードネーム: lenny)が公開された。開発期間は22ヶ月。25000以上のソフトウェア・パッケージが収録された。新たにマーベル・テクノロジー・グループが販売しているARM基盤のNASOrionプラットフォームAsus Eee PCのようなネットブックに対応した。この版はMIPSアーキテクチャメンテナで2008年12月26日に交通事故で亡くなったThiemo Seuferに捧げられた[15][16]

2010年9月5日、公式にバックポートサービス (Debian Backport) を開始した。

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Debian 6.0 Squeeze (2011)
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Debian GNU/Linux 7.5
(GNOMEデスクトップ)

5.0公開からほぼ2年経った2011年2月6日、Debian 6.0(コードネーム: squeeze)が公開された。FreeBSDカーネル(Debian GNU/kFreeBSD)が「テクノロジープレビュー」としてこの版から正式に対応されたが、その一方でalphaとhppa、armの3つの環境がこの版から公式に非対応となった。

6.0公開から2年以上経過した2013年5月4日、Debian 7.0(コードネーム: wheezy)が公開された。この版からarmhfとs390xの2つの環境に正式対応されることとなった。

2014年4月24日、Debian 6.0の保守が2016年2月まで延長されることが発表され[17]2014年6月16日より長期サポート(LTS)期間に入った[18]

2015年4月25日、Debian 8.0(コードネーム: jessie)が公開された。この版よりAArch64(64ビット版ARM環境)とPOWER 64 ビットリトルエンディアン版が正式対応された。またs390 環境の対応が終了し、s390xに置き換えられた。なお、ia64 および sparc が、開発者不足から、正式版に含まれなくなった。

2017年6月17日、Debian 9.0(コードネーム: stretch)が公開された。この版より64 ビットリトルエンディアン MIPSが対応環境に追加された。逆に32ビット版PowerPCがサポートされる対応環境から外れた(PowerPC 64ビット版は引き続き保守が継続される)。

2019年7月6日、Debian 10.0(コードネーム: buster)が公開された。

2021年8月14日、Debian 11.0(コードネーム: bullseye)が公開された。[19]

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プロジェクトの組織構成

要約
視点

プロジェクトは、世界中の有志の開発者によって構成されている。プロジェクトには誰でも参加できるが、正規の開発者になるためには、技術的なチェックを受ける必要がある。2020年11月現在、1100名以上[20]のメンバーがいる。日本人の開発者は40人ほどである。

プロジェクトの抱負として、Debian社会契約[21]を掲げている。Debian社会契約は、プロジェクトが遵守すべき事項を定めたもので、1997年7月5日に採択された。その中のDebianフリーソフトウェアガイドライン (DFSG) は、Debianにおけるソフトウェア評価基準となっており、このガイドラインに適合しない、自由ではないと評価されたソフトウェアは、Debianの一部として提供されることはない。

プロジェクト内の意思決定はDebian憲章[22]の下で行なわれる。Debian憲章は、組織構成やその権限、投票にかけるまでの手続きなどを定めたもので、1998年12月2日に採択された。

このことから、Debianプロジェクトは独立した非中央集権的な組織である。また他のGNU/Linuxディストリビューション(例えば、Ubuntu、openSUSE、Fedora、そしてMandriva)のように企業が所有するものではない。 にも関わらず、プロジェクトの生産付加価値は極めて高く、Debian 4.0 (etch)版に含まれる全パッケージ開発コストを例にとると、コード総数2億8300万行、COCOMOモデル(en:COCOMO)を使用した生産価値評価は130億米ドルにのぼるとされる[23]2009年4月2日、オンラインコミュニティサイトOhlohはある時点でのDebian GNU/Linuxプロジェクトのコードベース(コード総数4500万行)をCOCOMOモデルを用いて評価したところ、開発コストは約8億1900万米ドルになると推計した[24]。Debian 5.0 (lenny) リリースに関して、Juan José Amorらの推計によると、有効なコード総数は324,000,000行、COCOMOモデルによる生産価値評価は61億ユーロにのぼるとされる[25]

無論こうしたDebianに関するコミュニティの門戸の広さは、全く問題がないわけではなく、以前には、「一部ユーザによる礼儀知らずな行為」とコミュニティの意思決定の遅さが批判されたことがある[26]

毎年、Debianカンファレンス[27] (通称DebConf) が開催される。Debianカンファレンスは、世界中のDebian開発者が直接会談する場で、2000年7月5日に初めて開催された。資金面などの多くの障害があるため、今のところ日本で開催されたことはないが、有志によって開催が検討されている[28]

プロジェクトリーダー

Debianプロジェクトリーダー(Debian Project Leader; DPL)はプロジェクトの公的な代表者であり、プロジェクトの現在の方向性を決める立場にある[29]。プロジェクトは次のリーダーを選出してきた:[30]

  1. イアン・マードック (1993年8月 – 1996年3月), Debianプロジェクト創設者
  2. ブルース・ペレンズ (1996年4月 – 1997年12月)
  3. イアン・ジャクソン (1998年1月 – 1998年12月)
  4. ウィヘルト・アッカーマン (1999年1月 – 2001年3月)
  5. ベン・コリンズ (2001年4月 – 2002年4月)
  6. ビーデール・ガービー (2002年4月 – 2003年4月)
  7. マーチン・マイケルメイヤー[訳語疑問点] (Martin Michlmayr) (2003年3月 – 2005年3月)
  8. ブランデン・ロビンソン (Branden Robinson) (2005年4月 – 2006年4月)
  9. アンソニー・タウンズ (2006年4月 – 2007年4月)
  10. サム・オセヴァール[訳語疑問点] (Sam Hocevar) (2007年4月 – 2008年4月)
  11. スティーブ・マッキンタイアー (2008年4月 – 2010年4月)
  12. ステファノ・ザッキローリ (2010年4月 – 2013年4月)
  13. Lucas Nussbaum(2013年4月 – 2015年4月)
  14. Neil McGovern(2015年4月 – 2016年4月)
  15. Mehdi Dogguy(2016年4月 – 2017年4月)
  16. Chris Lamb(2017年4月 – 2019年4月)
  17. Sam Hartman(2019年4月 – 2020年4月)
  18. Jonathan Carter(2020年4月 – 現職)

補佐的な役職として、アンソニー・タウンズによりDebian Second in Charge (2IC; 副リーダー)が創設された。スティーブ・マッキンタイアーは2006年4月から翌2007年4月までこの役職に就いている。2009年4月からはLuk Claesがその地位にいる。現プロジェクトリーダー、ステファノ・ザッキローリは、2ICを選出しない旨DPL選挙の際に宣言していた[31]

開発マネージャ

  • Brian C. White (1997–1999)
  • Richard Braakman (1999–2000)
  • アンソニー・タウンズ (2000–2004)
  • Steve Langasek, Andreas Barth そして Colin Watson (2004–2007)
  • Andreas Barth と Luk Claes (2007–2008)
  • Luk Claes と Marc Brockschmidt (2008–2009)
  • Luk Claes と Adeodato Simó (2009–2010)
  • Adam D. Barratt と Neil McGovern (2010–現職)[32]

注意すべきことに、上記リストにはアクティブな開発マネージャーのみ含まれている。2003年から導入された、開発アシスタント、そして引退したマネージャー("release wizards"と呼ばれる)はここには含まれていない[33]

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保守の容易さ

要約
視点

APT

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Using Aptitude to view Debian package details
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Package installed with Aptitude

Debianの特長として、保守の単純さがある。パッケージ管理システムを備えており、ひとたび導入が終了すれば、パッケージマネージャのAPT (Advanced Package Tool) により、ソフトウェアの更新が行える。パッケージの導入は、セキュリティ関連の更新やプログラム相互の依存性確認も含めて、仮想端末コンソール)より容易に操作できる。

パッケージの依存関係には、大きく分けて、depends(依存)recommends(推奨)suggests(提案) という3種類の項目が設定されており、動作に必須なものがdepends、動作に必須ではないが常識的に必要とするものがrecommends、組み合わせる事で更に便利に使えるものがsuggestsに指定されている。lenny以前では、apt-getは、depends以外の項目を上手に扱えなかった。これらの項目を最大限生かす事ができるaptitudeの使用がSarge以降では勧められていた。Squeezeではこの点は改善された[34][35]。さらに、自動削除に対応するようにも更新された[36]

APTには補助的機能を追加するフロントエンドが数多く提供されており、以下ではaptitudeを含めた幾つかのフロントエンドを紹介する。

aptitude

GUIフロントエンド

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Synaptic
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apt-watch の自動更新通知
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Update Notifier の自動更新通知

扱いやすいユーザーインターフェイスは複数存在する。

一般的に良く知られる代表としては、Debianだけでなく RPM系のディストリビューションでも使われている Synaptic(シナプティック)がある。Synapticは、apt-getコマンドを使用せずにシステムの更新が全てマウスで直感的に行えるだけでなく、ソフトウェアの削除機能も備えている。

「apt-watch(アプト-ウォッチ)」は、デスクトップで使用するユーザーにとって、アップデートの公開を直ちに通知してくれるアプレットとして極めて有効なツールである。apt-watch は、より簡易にパッケージの管理を実現するツールとして開発されたアプリケーションである。これは、ネットワークに接続し、アップデータを定期的に監視するアプレットであり、アップデータが利用可能となった時には、クライアントに自動的に更新の通知を行う。Windows Updatesや Red Hat Network と同様な機能を持っている。

4.0 (Etch) では、apt-watch に加えて新たに update-manager も用意された。これは、GNOMEデスクトップ環境で利用可能なパッケージの管理ツールである。この update-manager は、Update Notifier と呼ばれるデスクトップ上のアプレットと組み合わせて利用することができる。機能的には apt-watch と似ているが、APT keyring を管理する仕組みが追加されている。なお、Update Notifier は GNOME や KDEXfce など Freedesktop.org 準拠の全てのデスクトップ環境で動作するように設計されている。

ただしこれらもアップデートの実際の内部処理は、APT が機能しているので、apt-get コマンドを実行することと大差は無い。

gdebi

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GDebi パッケージ・インストーラー

Debian 4.0 では、グラフィカルなパッケージ・インストーラーが新たに提供された。このインストーラーを利用すれば、ローカルに保存した Debianパッケージがコマンド操作なしでインストール可能である。Red Hat Linux で初めて採用された GNOME-RPM[37] (あるいは gnorpm とも) というグラフィカルなインストーラーと好対照を成すツールであるが、GNOME-RPM がシェルプロンプトから RPMコマンドを実行するのと同じ機能を有するのに留まるのとは違い、gdebi は APTのようにパッケージ間の依存関係を自動的に解決する機能も併せ持っている点でより優れている。GDebi とも表記される。

debconf

パッケージ管理にはdebconfと呼ばれるフレームワークが用意されており、パッケージ作成者はユーザーに対して簡易のフロントエンドを提供できる。このフレームワークを積極的に利用しているパッケージでは、インストール後にユーザーが行うであろう初期設定の大半を、対話形式の質問に答えていくだけで、インストールと同時に終える事ができる。debconfパッケージ自身もdebconfの設定を有しており、利用するフロントエンドインターフェースと優先度を設定できる。debconfのインターフェースは、対話形式のものから、非対話形式(質問なしで自動設定)なもの、キャラクタベースなものから、グラフィカルなもの、または設定ファイルを直接書き換える用途で使用するエディタまで、ユーザーが自由に選択可能である。優先度はパッケージの各質問毎に設定されており、ユーザが介在しないとシステムが動作しなくなる高レベルのものから、標準で問題ないような些細なものまである。(システムに不慣れなユーザのため)ある優先度より低い設定をすべて標準で済ませ、それらを一切質問させないことも可能である。

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種類

要約
視点
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A Debian 10.0 Buster box cover

公開は、4種類で行なわれている。

  1. 安定版 (stable):これは、厳密に安定性を検証した版で公式の公開となる。公開は2009年より2年の間隔をもっておこなわれ、日程を決定することにより奇数年の12月に固定し、翌年の偶数年前半に公開される[38]
    • ソフトウェアのセキュリティホールバグの修正は、主に上流から修正コードをバックポートする事で行なわれる。そのため、ソフトウェアのメジャーバージョン(例: 1.0.0→2.0.0)やマイナーバージョン(例: 1.0.0→1.1.0)が更新されることは滅多になく、ビルドバージョン(例: 1.0.0→1.0.1)かパッケージ番号(例: 1.0.0+deb8u1→1.0.0+deb8u2)が更新されることがほとんどである。
    • 安定版に含まれるソフトウェアは上述のとおりメジャー/マイナーバージョンアップされることが滅多にないが、テスト版や不安定版のパッケージを安定版向けにリビルドし、backportsパッケージとして提供されているソフトウェアが一部存在する。これにより、新版のソフトウェアをソースコンパイルすることなく、パッケージ管理下で使用することが可能になる。
    • 不定期に新しいリビジョンが公開される。この公開版はそれまでの更新を包含して提供される小規模バージョンアップデートであり、構成を変えるものではない。8.0、8.1、8.2に対して8.3公開時までの全ての更新を適用すると、8.3と同じものになる。
    • リビジョンは下記の形式で示される。
      • 4.0(etch)以前: バージョン番号の末尾の"rN"表記(N = 0, 1, 2, ...)。例えば、3.1版4回目のアップデートは、3.1r3
      • 5.0(lenny)以降: バージョン番号の小数第二位の値。例えば、5.0版4回目のアップデートは、5.0.4
      • 7.0(wheezy)以降: バージョン番号の小数第一位の値。例えば、7.0版4回目のアップデートは、7.4
    • 次の安定版が公開されると、それまでの安定版は一般に「旧安定版」(oldstable) と呼ばれて区別される。
    • セキュリティアップデートは、次の安定版が公開された後も、そのまま一年間は継続して提供される。
      • 6.0(squeeze)以降は、旧安定版のLTS(Long Term Support)が実施されるようになった[39]。Debian LTS teamによって、安定版としての最初の公開日から少なくとも5年後までセキュリティサポートが提供される。
  2. テスト版 (testing):次期の安定版となる公開テスト中の版である。次に説明する不安定版で一定期間致命的なバグが発見されなかったパッケージが、自動的にテスト版に組み入れられる。
    • デスクトップなどで使う分には支障のない程度の安定度を持っていると言われ、最新のデスクトップを使いたい場合は、このテスト版を使うことが多いようである。だがパッケージ更新が機械的に行なわれるため、依存関係が壊れやすい。
    • 公開が近付くと段階的に固定され、この自動処理が止められる。すべてのRCバグ (Release Critical Bug。安定版として致命的なバグ) が無くなったとき、テスト版は安定版として公開される。
    • テスト版が安定版として公開される時期が近付くとセキュリティアップデートの提供が始まる。それ以前は提供されない。だが、2005年9月より、Debian開発者の有志らがDebian Testing Security Teamを結成し、非公式な形でテスト版向けのセキュリティアップデートを提供している。
  3. 不安定版 (unstable):これは、開発者向けの版である。コードネームは不変で「sid」と呼ばれる。
    • 通常新規パッケージはこの版に投入される。セキュリティのアップデートは提供されないが、パッケージの更新サイクルが早いため、セキュリティの問題も比較的早く取り除かれる。またテスト版とは違い、DSA (Debian Security Advisory) によってどのバージョンから当該セキュリティホールが塞がれているか告知される。
  4. 実験版 (experimental):これは、影響が大きなパッケージ群が、不安定版に入れる前に一時的に置かれて、不安定版との組合せによりしばらく実験が行われる。experimentalだけで全ての導入を行うことは出来ず、他の版との組み合わせにより動く。

Debianのコードネームは、ディズニー配給の映画「トイ・ストーリー」のキャラクタから取られている。これは、過去にDebianのプロジェクトリーダーを務めたブルース・ペレンズが、トイ・ストーリーを製作したピクサー・アニメーション・スタジオの社員であったためである。

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公開/開発履歴

要約
視点
さらに見る 凡例 ...
さらに見る バージョン, コードネーム ...
A  Linuxカーネルの11アーキテクチャ + ARMアーキテクチャにおける追加のABI (armel) に対応している[16]
B  Linuxカーネルの9つのアーキテクチャ + FreeBSDカーネル(i386、amd64の2アーキテクチャのみ)に対応していることを示す[75]
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ロゴ

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ロゴマークの「スワール」(渦巻き)は魔法の煙を表している。

Debian の「スワール」マーク(意匠)は 1999 年に Raul Silva によって考案された[76][77]。これはその年に開催されたコンテスト用のものであって、それ以前に使われていた準公式のマークに替わるものとしてデザインされた[78]。 このコンテストの勝者に対して、@debian.org のメールアドレスと、希望するアーキテクチャ用の Debian 2.1 インストール CD のセットが贈られた。マークの意味について Debian プロジェクトから公式な声明は出ていなかったが、 このマークが選ばれた時点では、これはコンピュータを動作させる魔法の煙 (または精霊) を表していることがほのめかされた[79]

Debian のこのマークの由来については、最初に命名された Debian のキャラクターとして選ばれた バズ・ライトイヤー(Buzz Lightyear)のあごに渦巻きがあるからだという説がある[80][81]。Stefano Zacchiroli も、この渦巻きが Debian のものであると示唆している。Debian のコードネームはトイ・ストーリーのキャラクターの名前を付けているので、 バズ・ライトイヤーのスワールが候補となった可能性が高いと思われる。Debian 開発者の Bruce Perens も Pixar の元で働いていた[82][83]

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必要環境

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HP 9000 C110 PA-RISC workstation booting Debian Lenny

Debianでは、以下のような環境に対応したバイナリ版を作成している。括弧内はプロジェクトでの呼称である。

  • AMD64 (amd64/x86-64)
  • ARM EABI (armel)
  • Hard Float ABI ARM (armhf)
  • 64ビット版ARM (arm64)
  • x86 (i386/IA-32、ただし現行版では80386には対応しない)
  • MIPS (mips/mipsel)
  • 64ビット版リトルエンディアンMIPS (mips64el)
  • 64ビット版リトルエンディアンPowerPC (ppc64el)
  • System z (s390x)

以下の環境はかつて対応されていたが、現在では公式には対応されていない(一部の環境では非公式な対応が存在する)。

  • MC68000 (m68k)(etchより開発対象から外された)
  • Alpha (alpha)(squeezeより開発対象から外された)
  • ARM (arm)(同上。armelにより置き換え)
  • PA-RISC (hppa)(同上)
  • IA-64 (ia64)(jessieより開発対象から外された)
  • SPARC (sparc)(同上)
  • IBM S/390及びzSeries(同上。s390xに置き換え)
  • 32ビット版PowerPC (powerpc)(stretchより開発対象から外された[2]

Linuxカーネル以外をカーネルとするものもある。名称の通り、ユーザーランドはGNUの成果物に依存している。

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Logo of Debian GNU/kFreeBSD
  • Debian GNU/kFreeBSD (kfreebsd-i386, kfreebsd-amd64) (jessieより開発対象から外された)

まだ正式公開されていない上記以外の環境やカーネル版もいくつかある。

アーキテクチャ

  • SuperH (sh4)
  • Motorola/IBM PowerPC64 (ppc64)
  • Linksys NSLU2 (armeb)
  • Renesas Technology M32R (m32r)
  • Sun UltraSPARC (sparc64)
  • 32ビットポインタ搭載64ビットPC (x32)

カーネル

  • Debian GNU/NetBSD (netbsd-i386, netbsd-alpha)
  • Debian GNU/Solaris (solaris-i386)
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Debian派生のディストリビューション

要約
視点

派生物調査と協力体制について

Debian プロジェクトは派生ディストリビューションの重要性を完全に認めており、関係者間の協力を活発に支援している。通常これは、当初派生ディストリビューションで開発されていた改善を Debian が取り込むことを意味する。こうすることで、誰もが恩恵を受けることができ、長期におよぶ保守作業を減らすことになる。

このため、派生ディストリビューションは debian-derivatives@lists.debian.org メーリングリストの議論に参加し、派生物調査に参加するよう勧められている。派生物調査は、派生ディストリビューションの中でなされた作業に関する情報を集めることを目標にしている。こうすることで、公式の Debian 開発者が Debian 派生物内の自分のパッケージの状況をより良く追跡することが可能になる[84]

Debian (テスト版) 派生

Debianテスト版の派生品一覧に掲載。

さらに見る 配布版, 説明 ...

Ubuntu 派生

Ubuntu派生品一覧に掲載。
ここでは割愛し、詳細はUbuntu#派生品に記述。

Debian (安定版) 派生

Debian安定版の派生品一覧に掲載。

さらに見る 配布版, 説明 ...

MEPIS 派生

MEPISの派生品一覧に掲載。

さらに見る 配布版, 説明 ...

KNOPPIX 派生

KNOPPIXの派生品一覧に掲載。

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その他の派生版

上記のようにDebianはいくつかのディストリビューションの母体として利用されている。Debianの派生品一覧に非掲載であるものの、以下もその一部である。

なお、Ubuntuの派生版や、他言語版を含めWikipediaに記事が存在しないものは掲載しない。

現行(2020.4.1)のDebian派生ディストリビューション

開発終了及び休止したDebian派生ディストリビューション

  • aptosid - 旧名sidux。Debian sid派生のデスクトップ向けディストリビューション。CD起動/HDD導入共可能。
  • Freespire英語版 : Linspireの無料版。CD起動/HDD導入共可能。
  • Linspire - 企業向けディストリビューション(旧名Lindows)。
  • Progeny Debian - Redhat/FedoraのインストーラAnacondaを移植したGNU/Linux。
  • UserLinux - 元Debianプロジェクトリーダーブルース・ペレンズにより提唱され、企業向けディストリビューションの基幹となるべく開発されていたDebian母体のディストリビューション。開発停止。

日本発の派生版

関連項目

脚注

外部リンク

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