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日本の政治家 ウィキペディアから
大村 秀章(おおむら ひであき、1960年〈昭和35年〉3月9日 - )は、日本の政治家、農水官僚。愛知県知事(公選第17・18・19・20代)[1]。
衆議院議員(5期)、経済産業大臣政務官(第1次小泉内閣)、内閣府大臣政務官(第1次小泉改造内閣)、内閣府副大臣(第1次安倍内閣)、厚生労働副大臣(麻生内閣)、衆議院厚生労働委員会筆頭理事、衆議院決算行政監視委員長、自由民主党愛知県支部連合会会長、同党厚生労働部会長、同医療委員長、同厚生関係団体委員長、日本一愛知の会会長(代表)[注 1]、(旧)日本維新の会顧問等を歴任。
愛知県碧南市生まれ。父親は大工、母親は農業に従事していた[4]。父親は婿養子で安城市が出身だった。2歳になる前、近所の犬に顔をかまれ、ひどいけがを負った[4]。顔じゅうが縫い目だらけだったため「縫い目」「フランケン」などと呼ばれ[5]、中学時代にいじめを受けるが、苦しみをはねのけるため勉強に打ち込む[4]。
碧南市立鷲塚小学校、碧南市立東中学校卒業。生家が矢作川堤防のすぐそばだったため夏は矢作川で泳ぎ、油ヶ淵や旧吉良町宮崎で釣りをし[6]、父親の実家のある安城市にもよく通ったという。地域活動に熱心だった同市在住の伯父から大きな影響を受けて育った[7]。「今で言う貧困家庭だったけれど、それでも僕を含めた兄弟3人が大学を出させてもらえた。経済成長という時代に恵まれたからだと思う」と後年インタビューで答えている[5]。
1975年、愛知県立西尾高等学校に進学。高校の同級生によれば「高校時代から、東京大学に進学して官僚を経て政治家になるという進路を決めていた」という[8]。高校の同級生に、のちに安城市長となる三星元人がいる[9]。1978年3月、同校卒業。同年4月、東京大学法学部に入学。
1982年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、農林水産省に入省[1]。1987年に神奈川県出身の女性と結婚[10]。1988年に徳島市ニューフロンティア推進部長兼理事、1991年に農林水産省経済局農業協同組合課課長補佐、1993年に食糧庁企画課課長補佐(総括)に就任[11]。
1994年8月11日、衆議院議員選挙区画定審議会は、政治改革四法における「小選挙区300・比例代表200」の具体的な区割り案を村山富市首相に勧告[12]。旧愛知4区のうち、いわゆる碧海5市(碧南市・刈谷市・安城市・知立市・高浜市)は愛知13区にまとまった。翌8月12日の愛知県の地元紙は、さっそく選挙区ごとの候補予定者の動向を報じた[13]。
安城市では市長の杉浦正行が候補者選びに動き始めた。「高校まで地元で生まれ育っていること」「自民党派閥の各系列に属していないこと」「できたら官僚」「しかも天下りをにおわせない若い人」。杉浦の思い描いた理想の条件にぴたりとはまったのが、大村であった(当時34歳)。1995年2月、杉浦から出馬要請を受ける[14][15]。妻に三日三晩泣かれ、妻の両親からも猛反対を受けるが、立候補を決意[7]。同年6月8日、自民党碧南市支部は愛知13区の公認候補に大村の推薦を決め、党愛知県連に公認申請した[16]。7月10日、県連は愛知13区の公認候補を大村に決め、党本部に公認申請を行った[17]。7月13日、党本部は大村の擁立を了承[18]。1996年2月11日、後援会結成大会が安城市民会館で開かれる。後援会長には中央精機社長の石原勝成が就いた[19]。住所を安城市篠目町に移す[4][1]。
1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では新進党の島聡に敗れるが比例復活で初当選した。平成研究会(小渕派)に所属。
1998年、名古屋市は、名古屋港の藤前干潟を埋め立てて人工干潟をゴミ処分場にする計画を発表。「環境を大切にする愛知万博を開く一方で、干潟をごみで埋めるのはおかしい」と、大村は埋め立て推進を批判。そのため自民党市議団から「党から出ていけ」と圧力を受けたが屈しなかった[10][20]。
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では島を破り再選。
2001年4月6日、森喜朗首相が閣僚懇談会で辞任を表明[21]。平成研究会(橋本派)はすみやかに橋本龍太郎を自民党総裁選に擁立する方針を固める。ところが大村は同日夜に刈谷市で開いた講演会と4月7日に安城市で開かれた講演会で「私は橋本派だが、派閥幹部から橋本さんで一任してくれと言われても私はお断りする」と述べ、橋本を支持しない考えを明らかにした[22][23]。4月9日、橋本派の当選回数別の会合が開かれる。同派はその前身の竹下派の時代から「鉄の団結」を誇り、上意下達が徹底していたが[24]、2回生議員の会合で大村は野中広務元幹事長、青木幹雄参議院幹事長ら幹部を前に「派閥の締め付けはやめてほしい」と叫んだ[注 2]。4月24日に行われた総裁選では小泉純一郎に投票。「2、3年冷や飯を食ってもいい」と覚悟の上での決断だったという[10]、小泉は組閣にあたり従来の派閥順送り型の人事を排したため、同年5月7日、第1次小泉内閣で経済産業大臣政務官に任命される。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙で島を破り3期目の当選。
2005年6月25日、倉知俊彦県議の後任として自由民主党愛知県連会長に就任[25]。同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で島を破り4期目の当選。島は比例復活もかなわず議席を失った。当選から間もない9月20日、碧南市議会議員の村田峰治が公選法違反(供応など)の疑いで逮捕された。村田は碧南市の大村の選対で街宣車の運行管理を担当していた[26][注 3]。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では民主党新人の大西健介に敗れるも、比例復活により5期目の当選を果たした[1]。愛知県内唯一の自民党衆議院議員となったが、県内小選挙区で全敗した責任をとり、同年9月に自民党県連会長を辞任。後任には鈴木政二参議院議員が就任した[30]。
この間、公職としては衆議院厚生労働委員会筆頭理事、衆議院消費者問題等に関する特別委員会委員、経済産業大臣政務官(2001年)、内閣府大臣政務官(2002年)、内閣府副大臣(経済財政、金融、地方分権改革、2006年)、厚生労働副大臣(年金、介護、子育て支援等[31]、2008年)、衆議院決算行政監視委員長(2010年)などを歴任[1]。
党の要職としては厚生労働部会長(2005年)、同党医療委員長(2007年)、同党厚生関係団体委員長(2007年)などを務めた。
2010年9月16日、愛知県知事の神田真秋が4選不出馬の意向を表明[32]。民主党が御園慎一郎の擁立を発表。続いてみんなの党が薬師寺道代の擁立を発表。
同年10月13日、総務官僚の重徳和彦が自民党愛知県連から知事選への出馬を打診されたことを明らかにする[33]。翌10月14日に名古屋市長の河村たかしは中日新聞の取材に応じ、大村の擁立を目指すと述べた[34]。同日、大村は取材に「知事選の話は聞いていない」と答えた。翌10月15日、河村はテレビ朝日の取材に対し、「半年ほど前から知事選出馬を要請していた」と明かした[35]。テレビ朝日は同日午前9時半頃、自民党本部の大村も取材。出馬の可能性について「あるともないとも言えない」と述べた大村であったが[36]、同日中に河村から改めて出馬要請を受けると、読売新聞の取材に「無名の新人で勝てるのか」と答え、党県連の候補者選びに対し反発した[37]。11月13日には大村が出馬の意向を固めたことが報じられる[38]。11月15日、自民党愛知県連会長の鈴木政二は大村と東京都内で会談し、出馬とりやめを求めた。同党の重徳擁立について「一切、報告や相談がなかった」と述べる大村に対し、鈴木は「そちらには逐一報告しているはずだ」と反論。両者の意見は食い違ったまま、大村は鈴木の要請を拒否した[39]。
同年12月3日、大村は石原伸晃幹事長に離党届を提出し[40]、12月6日に正式な出馬表明を行った。12月8日、党紀委員会は大村の離党届を受理せず、「県連による候補者選考の際には手を挙げず、独自候補擁立が決定した後に出馬表明するのは反党行為」(山東昭子党紀委員長)として除名とする処分を決定した[41]。
同年12月21日、地域政党「日本一愛知の会」を同月7日に設立したと発表[42][リンク切れ][43]。同会会長に就任[注 4]。2011年1月14日、横路孝弘衆議院議長に辞職願を提出し許可され、衆議院議員を辞職した。大村の辞職により、望月義夫が繰り上げ当選した[44]。
2011年2月6日の愛知県知事選挙では、愛知県知事選史上2番目に多い1,502,571票を獲得した[45]。
菅義偉、河野太郎ら同期当選組をはじめ自民党国会議員の一部から大村の除名に反発する声があがり、大村の応援に入った菅は演説で「大村氏は愛知の自民党を応援し続けると約束した」と除名の不当性を強調するも、当の大村が知事就任後の同年4月に行われた衆議院愛知6区の補選で自民党公認の丹羽秀樹ではなく減税日本公認の女性記者を支援したことから、党本部は態度を硬直化。7月13日、大村が代表のままになっている愛知13区の選挙区支部の解散届を選挙管理委員会に提出した。又、7月22日には大村が提出していた党紀委員会による除名処分の再審査請求も却下され、除名が確定した[46][注 5]。
2012年1月、政治塾「東海大志塾」の設立を発表し、塾長に就任した[50]。
同年8月10日、次期衆院選に向け、政治団体「中京維新の会」を設立したと発表(総務省への政治団体登録の届け出は同年6月)[51]。「日本維新の会」が9月28日に設立されると[52]顧問に就任したが、維新が減税日本との合流を拒否したことなどから、同年11月21日に顧問を辞職した[53]。
2014年9月24日、愛知県議会にて2期目への出馬意向を表明した[54]。同年12月19日、記者会見を開き、「2015年2月1日執行予定の愛知県知事選挙にて再選を目指して出馬する」ことを表明し、合わせて選挙公約などを発表した[55]。その後、2015年1月6日には、詳細な政策集である「あいち重点政策ファイル300+1」を発表した[56]。
2015年2月1日に実施された愛知県知事選挙では、7党(自由民主党、民主党、公明党、維新の党、次世代の党、生活の党と山本太郎となかまたち、減税日本)からの推薦を得て、1,629,147 票を獲得して再選を果たした(得票率80.63%)。この得票数・得票率はいずれも、愛知県知事選挙史上2番目である。
2017年9月28日、衆議院解散。同年9月30日、大阪市内のホテルで希望の党代表の小池百合子東京都知事、日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事と会談。第48回衆議院議員総選挙に向けて「三都物語」と称し、連携を表明した[57]。しかし10月5日午前、小池の要請で大村が希望の党の顧問に就任したと党がいったん発表したがすぐ内定であったと修正し、大村自身が顧問就任を否定。同日午後に党も就任発表を撤回するなど足並みが乱れた場面もあり[58][59]、選挙公示後の10月11日に大村は希望の党に対する応援方針を事実上撤回した[60]。
2019年2月3日に実施された愛知県知事選挙では、過去最多となる177万4000票あまりを獲得。得票率でも過去最高となる83.32%となり、3選を果たした[61]。
2022年9月26日、愛知県議会にて、2023年2月の任期満了に伴う愛知県知事選挙に4選を目指して立候補すると表明した[62]。10月20日までに自民党県連、公明党、連合愛知、新政あいち、立憲民主党県連の推薦が決定[63][64][65][66]。
2022年12月20日、2023年2月に予定されている愛知県知事選を控え、政策の骨子を発表した。リニア中央新幹線の開業を見据えたインフラ整備や、スタートアップ育成をはじめとした産業競争力の強化、人材育成などを柱とした。具体的には、インフラ整備においては高速道路網の整備や港湾機能の強化、中部国際空港へのアクセス向上の実現を掲げた。産業分野では次世代自動車に必要な拠点の整備、2024年開業予定の新興企業支援拠点「ステーションAi」を中心に据えスタートアップを誘致・育成し、イノベーションの創出を狙う。また、創造性のある人を集める仕掛けとしてジブリパーク(長久手市)を挙げ、「ステーションAiとジブリパークはセットの政策」と強調した[67]。
初めて臨んだ知事選から掲げる「日本一元気な愛知をつくり日本の未来をつくる」をテーマに、三期目に掲げた政策の柱をほぼ踏襲している。11月に開園したジブリパーク(長久手市)を例に、「10年前から仕掛けをしてきたことを刈り取ることが多く、成果を上げてきた手応えがある」とし、「全ての分野に目配せをしてきた」と自負を見せた。今後は、「脱炭素」「デジタル化」「ヤングケアラー」といった新しい課題に「県政は的確に対応しなければ」と指摘すると共に、県内製造業を中心とした「分厚い中間(所得)層」を維持するため、「容赦なくやってくるグローバル化・デジタル化の波に乗れるような」施策の必要性を訴えた[68]。
2023年(令和5年)2月5日に投票が行われ、4選が決まった。支援者らを前にした挨拶にて、「(これまで(3期12年)時代の流れに合わせて仕掛けをしてきたことが、県民に支持していただいたと受け止めている」と語った[69]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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比当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 36 | 比例東海(愛知13区) | 自由民主党 | 8万629票 | 42.86% | 23 | 2/3 | 7/8 |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 40 | 愛知13区 | 自由民主党 | 10万4731票 | 45.90% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 43 | 愛知13区 | 自由民主党 | 11万4092票 | 48.44% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 45 | 愛知13区 | 自由民主党 | 13万9022票 | 53.08% | 1 | 1/3 | / |
比当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 49 | 比例東海(愛知13区) | 自由民主党 | 12万8995票 | 44.83% | 21 | 2/3 | 5/6 |
当 | 2011年愛知県知事選挙 | 2011年2月6日 | 50 | 無所属 | 150万2571票 | 49.23% | 1 | 1/5 | / | |
当 | 2015年愛知県知事選挙 | 2015年2月1日 | 54 | 無所属 | 162万9147票 | 80.63% | 1 | 1/2 | / | |
当 | 2019年愛知県知事選挙 | 2019年2月3日 | 58 | 無所属 | 177万4763票 | 83.32% | 1 | 1/2 | / | |
当 | 2023年愛知県知事選挙 | 2023年2月5日 | 62 | 無所属 | 145万2648票 | 67.53% | 1 | 1/6 | / |
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