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ドリュー・ポメランツ

アメリカの野球選手 (1988 - ) ウィキペディアから

ドリュー・ポメランツ
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トーマス・アンドリュー・ポメランツ (Thomas Andrew Pomeranz, 1988年11月22日 - ) は、アメリカ合衆国テネシー州シェルビー郡コリアービル出身のプロ野球選手 (投手) [8]。左投右打[8]MLBシアトル・マリナーズ傘下所属。愛称はビッグ・スムース[9]

概要 シカゴ・カブス #45, 基本情報 ...

兄は元プロ野球選手のステュー・ポメランツ英語版で、曽祖父も元プロ野球選手でアメリカンフットボールの選手でもあったガーランド・バックアイ英語版[8]。また、父親のマイク・ポメランツは大学野球の選手だった[1]

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経歴

要約
視点

プロ入り前

2007年MLBドラフト12巡目(全体380位)でテキサス・レンジャーズから指名されたが、この時は入団しなかった[8]

プロ入りとインディアンス傘下時代

2010年MLBドラフト1巡目(全体5位)でクリーブランド・インディアンスから指名され[8]、8月16日に265万ドルの契約金で入団に合意[10]

2011年には、「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングにおいて、全体で61位の評価を受けた[11]。この年は、まずA+級キンストン・インディアンスでプレーし、15試合の先発登板で防御率1.87・3勝2敗・WHIP1.14という成績を記録[12]。その後、AA級アクロン・エアロズに昇格し、3試合に先発登板して防御率2.57・0勝1敗・WHIP1.14を記録した[12]

ロッキーズ時代

2011年7月30日にウバルド・ヒメネスとのトレードで、ジョー・ガードナーマット・マクブライドアレックス・ホワイトと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した (実際にポメランツが移籍したのはドラフト後のインディアンスとの契約から1年が経過して移籍制限が解除された8月16日で、トレード時点では公式には「後日発表選手」という扱いだった) [8][13]。移籍後、AA級タルサ・ドリラーズで2試合に先発登板して1勝を挙げ[12]、9月11日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビューすると、同試合でメジャー初勝利を挙げた[14]。この年のメジャーとマイナーの成績は、メジャーが4試合の先発登板で防御率5.40・2勝1敗・WHIP1.31[8]、マイナー合算が20試合の先発登板で防御率1.78・4勝3敗・WHIP1.05だった[12]

2012年は、ロッキーズで22回の先発登板の機会を与えられ、防御率4.93・2勝9敗・WHIP1.48という成績を残した[8]。また、バッティング面ではペトコ・パーク本塁打を放った[6]。なお、マイナーではAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスとAA級タルサで計10試合に先発登板し、防御率2.31・4勝4敗・WHIP1.52という成績をマークした[12]

2013年は8試合中4試合がリリーフ登板であり、メジャーで初のリリーフ登板だった[8]。この年は、防御率6.23・0勝4敗・WHIP2.03という成績だった[8]。マイナーでは、前年と同じくAAA級コロラドスプリングスとAA級タルサの2チームでプレーし、計16試合に先発登板して防御率4.65・8勝2敗・WHIP1.40という成績を残した[12]。8勝は、マイナーで自己ベストである一方、防御率はワーストだった[12]

アスレチックス時代

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オークランド・アスレチックス時代
(2015年8月17日)

2013年12月10日にブレット・アンダーソンとのトレードで、クリス・ジェンセンと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[15]

2014年は、開幕からリリーフで登板していたが、5月7日からは先発で投げるようになった[16]。6月10日で16試合の登板で防御率1.90・5勝3敗という成績を残していたが、6月16日のレンジャーズ戦で3.2回で8失点を喫した腹立たしさから椅子を殴って右手を骨折し、故障者リスト入りした[16][17]。この年は20試合の登板(先発10試合)で、防御率2.35・5勝4敗・WHIP1.12という成績をマークした[8]

2015年は、開幕から先発ローテーションに入っていたが、6月からはリリーフに転向した[1]。リリーフ転向後は、防御率2.61と好投した[1]。シーズンでは自己最多となる53試合に登板・うち9試合が先発登板で、防御率3.66・5勝6敗3セーブ (セーブはメジャー初) ・WHIP1.19という成績を記録した[8]

パドレス時代

2015年12月2日にヨンダー・アロンソマーク・ゼプチンスキーとのトレードで、ホゼ・トーレスジャバリ・ブラッシュ(12月10日に移籍)と共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した[8][18]

2016年は、前半戦終了時点で17試合に先発登板し、防御率2.47・8勝7敗という成績を記録[19]。この時点の防御率2.47はメジャー3位、被打率.184はナショナルリーグトップの数値だった[20]。同年、ペトコ・パークで開催されたオールスターに初選出された[20]

レッドソックス時代

2016年7月14日にアンダーソン・エスピノーザとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[21][8]。レッドソックス加入後は、14試合に登板(先発13試合)し、防御率4.59・3勝5敗・WHIP1.37という成績で、パドレス時代より防御率やWHIPは悪化した[8]。通年では、31試合中30試合に先発登板して、防御率3.32・自身初の二桁勝利となる11勝(12敗)を記録した[8]。また、リーグを跨いだが、規定投球回以上に投げた初のシーズンとなった[8]

2017年は、32試合に先発登板して防御率3.32・17勝6敗・WHIP1.35を記録[8]。防御率はアメリカンリーグ7位、勝利数は同4位タイだった[22]。自身2度目となるポストシーズンでは、ヒューストン・アストロズとのALDS第2戦に先発登板したが、カルロス・コレアジョージ・スプリンガーにホームランを浴びて、2.0イニングで4失点とノックアウトされた[23][24]

2018年は屈筋の張りで故障者リストに入っていたため、4月20日まで登板がなかった[25]。5月の終わりまでの成績は1勝・3敗・防御率6.81だった。6月5日に左二頭筋腱障害のため、故障者リストに入った。7月24日にリリーフとして復帰した[26]。そのためシーズンの残りをブルペンで過ごし、26登板(11先発)で2勝・6敗・防御率6.08を残した。ポストシーズンのロースターには当初入る予定がなかったが、ブランドン・ワークマンの代わりにワールドシリーズの際に登録された[27]。しかしながら、ワールドシリーズでの登板はなかった。その後、レッドソックスは5試合目でワールドシリーズ優勝を決め、自身のキャリア初めてのワールドシリーズ優勝となった[28]。10月29日にFAとなった。

ジャイアンツ時代

2019年1月23日にサンフランシスコ・ジャイアンツと1年150万ドル(出来高付き)で契約を結んだ[29]先発投手として起用されていたが6月中旬までの17先発で2勝9敗、防御率6.10と苦しみ、6月20日にはリリーフに配置転換された[30]

ブルワーズ時代

2019年7月31日にマウリシオ・デュボーンとのトレードでレイ・ブラックと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。移籍後もリリーフとして起用され、25登板で防御率2.39を記録。シーズン全体では2勝10敗、防御率4.85で、先発時は防御率5.97だったのに対し、リリーフ時は防御率1.88に抑えた。オフの10月31日にFAとなった。

パドレス復帰

2019年11月27日にパドレスと4年総額3400万ドルの契約を結んだ[31]

2023年オフの11月3日にFAとなった[32]

パドレス退団後

2024年ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加していた[33]が、アピール出来ず3月24日に自由契約となった[34]

ドジャース傘下時代

同年3月29日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[35]。4月19日にいったん自由契約となるも、翌20日にオプトアウトを選択してマイナー再契約[36]を結び、同日中にAAA級オクラホマシティ・ベースボールクラブに配属されたが、ここでもアピール出来ず5月23日に自由契約となった[37]

ジャイアンツ復帰

ドジャース傘下退団翌日である5月24日に今度はサンフランシスコ・ジャイアンツとメジャー契約を結んで2年半ぶりにメジャー昇格を果たした[38]ものの、一度も登板することなく28日にライアン・マケナとともにDFAとなり[39]、31日にウェイバー公示を経てAAA級サクラメント・リバーキャッツに送られた[40]。ここでは、怪我や退団をすることなくシーズンを完了した。ただ、3年続けてメジャーの舞台で登板する機会は最後まで訪れなかった。

マリナーズ傘下時代

2024年12月5日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、同日中にAAA級タコマ・レイニアーズに配属された[41]。併せて、2025年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[42]、と発表されている。

カブス時代

2025年4月22日、金銭トレードでシカゴ・カブスに移籍した。5月19日のシカゴ・ホワイトソックス戦では自身2021年以来となる約5シーズンぶりの勝利を挙げた。

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投球スタイル

持ち球は、140km/h台後半の速球 (フォーシームツーシーム) 、ナックルカーブチェンジアップカットボール[4][1]。決め球はナックルカーブで、投げ方は元大学野球選手の父親・マイクに教わった[1][2]

2016年にパドレスでブレイクした時は、コーチの教えに従い、右打者にはフォーシーム、左打者にはカットボールを高めに投じる投球スタイルを取った[4]

グラブは日本のメーカーが宮崎牛の革で作ったものを使用している[43][44]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時[8]

MLBポストシーズン投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

MLBポストシーズン打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2023年度シーズン終了時

記録

背番号[8]

  • 47(2011年)
  • 13(2012年 - 2016年途中)
  • 31(2016年途中 - 2018年)
  • 37(2019年 - 同年7月30日)
  • 15(2019年8月2日 - 同年終了)
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脚注

関連項目

外部リンク

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