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パルブライト

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パルブライト
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パルブライトPal Bright1992年2月25日 - 2019年7月1日[1]日本競走馬繁殖牝馬1997年新潟記念1998年函館記念などを制したほか、地方重賞も2勝した。JRA時代の主戦騎手は木幡初広。わずか一世代しか産駒を残せなかったペイザバトラーの代表産駒である。

概要 パルブライト, 欧字表記 ...
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経歴

競走馬時代

1994年大井競馬場の新馬戦でデビュー。3戦目から6戦目までを連続2着するなど勝てないでいたが、初勝利を重賞の東京3歳優駿牝馬で挙げる。

4歳時にはニューイヤーカップは2着となり、ユングフラウ賞では8着と大敗。それでも浦和競馬場桜花賞では1番人気となるが、3着にとどまる。ここで、中央競馬に挑戦を決意。サンスポ賞4歳牝馬特別に出走するも6着。さらに牝馬ながら果敢に東京ダービーに挑むも4着。その後、5戦するが勝てず。

転機は5歳になってから。初戦は4着に敗れたが、2戦目に勝ってから3連勝。そして挑んだ大井記念でカネショウゴールドをハナ差退け重賞2勝目を上げる。帝王賞は8着、東京盃は出走取消。同年10月にJRAに転入となる。

転入後5戦目の巴賞を最低人気ながら制し中央初勝利を記録。北海道遠征で1・3・6着と好成績をあげた同馬は、札幌記念・新潟記念の両睨みで調整が進められ、エアグルーヴとの対戦となる札幌記念を回避しGIII新潟記念への出走に踏み切る。これが功を奏し新潟記念を優勝。同馬と木幡騎手さらに杉浦宏昭調教師共々JRA重賞初勝利と記録ずくめの1勝となった。

秋はエリザベス女王杯を視野に入れ京都大賞典に出走。なお木幡騎手はデビュー14年目にして初の京都での騎乗となった。しかし結果は前哨戦・本番ともに着外に終わり結果を出すには至らなかった。

1998年に入ってからも勝ち運から見放されていたが、「ここでダメなら引退も」との構えで臨んだ函館記念を制し中央競馬での2つめの重賞タイトルを獲得。これにより引退は一旦白紙となり現役続行となるが、その後勝ち鞍を上げることは無く同年12月に引退となった。

引退後

引退後は繁殖牝馬となり当初早田牧場新冠支場に繋養されていたが、早田牧場の倒産により、2003年西山牧場へ移動した。しかし、その西山牧場もダーレー・ジャパンに売却されたことから2009年頃に大栄牧場へ、その後は西川富岡牧場へ移動した。

2015年11月1日付で用途変更[2]、繁殖牝馬を引退。2016年4月より引退名馬繋養展示事業の対象馬となり、その後2019年7月1日に死亡した[3]。27歳没。

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競走成績

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繁殖成績

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血統表

パルブライト血統ブランドフォード系 / Northern Dancer 4×4=12.50%(母内))(血統表の出典)[§ 1]
父系ブランドフォード系
[§ 2]

*ペイザバトラー
Pay the Bulter
1984 鹿毛
父の父
Val de l'Orne
1972 鹿毛
Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Aglae Armistice
Aglae Grace
父の母
Princess Morvi
1975 栗毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Silana Silnet
Anabara

マチカネイナナキ
1984 鹿毛
*モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
*ノーラック Lucky Debonair
No Teasing
母の母
ビンテージ
1975 鹿毛
*ミンスキー Northern Dancer
Flaming Page
タカハロウ *ハロウェー
シェーン
母系(F-No.) 9号族(FN:9-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer4×4 [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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