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マイク・ムスタカス

アメリカ合衆国の元プロ野球選手 ウィキペディアから

マイク・ムスタカス
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マイク・ムスタカス: Mike Moustakas、本名:マイケル・クリストファー・ムスタカスMichael Christopher Moustakas〉、1988年9月11日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。愛称はムースMoose[1]。代理人はスコット・ボラス

概要 基本情報, 国籍 ...

カンザスシティ・ロイヤルズの球団2位となる個人シーズン本塁打記録を持つ[2][3]

南海ホークスでプレーし、引退後は千葉ロッテマリーンズの打撃コーチを務めたトム・ロブソン叔父にあたる。

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経歴

要約
視点

プロ入り前

ロサンゼルス市内のチャッツワース高等学校英語版時代には遊撃手として通算54本塁打の州記録を樹立し、マット・ドミンゲスと三遊間コンビを組んでいた。また、一方でアメリカンフットボールクォーターバックとしても活躍していた[4][5]

プロ入りとロイヤルズ時代

2007年MLBドラフト1巡目(全体2位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けた[6]が、代理人のスコット・ボラスが高額の契約金を要求したために交渉は難航。ロイヤルズとの交渉が決裂した場合は南カリフォルニア大学への進学を予定していたが、契約期限である8月15日午後11時59分(東部標準時)の11分前に契約金400万ドルで合意した。これは全体1位のデビッド・プライス(560万ドル)、全体5位のマット・ウィータース(600万ドル)に比べると低額であったが、ムスタカス自身がボラスの反対を押し切る形で決断した[7]

2008年はA級バーリントン・ビーズ英語版で22本塁打を記録[6]、16年ぶりに10代でのミッドウェストリーグ本塁打王となった。

2009年の開幕前には「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングにおいて、球団内では1位、マイナー全体では13位にランクインされた[8]。しかし、同年は打撃不振で出塁率が3割に満たず、評価を下げた。

2010年は打撃が復活し、AA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズで5月下旬まで打撃三冠を維持した。シーズン途中にAAA級オマハ・ロイヤルズに昇格し、合計36本塁打、124打点でマイナーリーグ全体での二冠王となった[9]

2011年の開幕はAAA級オマハ・ストームチェイサーズ[10]で迎えたが、6月10日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビュー[6]。その翌日にジョエル・ピネイロからメジャー初本塁打を記録した[11]。その後は8月の半ばまで打率が1割台に低迷していたが、9月には約3ヵ月ぶりの本塁打を記録するなど打率.352、4本塁打と結果を出した[6]

2012年は前半戦で15本塁打を記録したが、後半戦は失速した。フィールディング・バイブル・アワード三塁手部門ではエイドリアン・ベルトレに次ぐ2位に入り、ゴールドグラブ賞でも最終候補に残ったが受賞はならなかった。

2014年2月21日にロイヤルズと1年契約に合意した[12]。この年は打撃不振に陥り、マイナー降格も経験した。打率はメジャーデビュー以来毎年低下し続け、打率.212まで下がった。ホームランを15本記録したが、シーズンを通じて低打率だった。守備面でも自己ワーストの19失策を喫した。

2015年オールスターゲームの投票では三塁手部門の2位で選出はされなかったが、34人目の選手を決める最終投票で選出された。オールスター後はやや調子を落としたが、それでも打率.284、22本塁打、82打点という打撃成績を記録し、これら4部門全てで自己記録を更新した[6]2015年のワールドシリーズでは5試合で打率.304・3打点などを記録し、優勝に貢献した。

2016年は開幕から25試合に出場し、低打率ながら7本塁打を記録していたが、エンゼルス戦でのクロスプレーで左手親指を骨折し、15日間の故障者リスト入りとなった[13]。その後、一度は復帰したが、今度は5月22日の試合で守備中にチームメイトのアレックス・ゴードンと交錯し、右膝前十字靭帯断裂という大怪我を負って手術を受け、シーズン絶望となった[14]

2017年は前年の右膝前十字靭帯断裂から復帰を果たした[15]。9月20日のトロント・ブルージェイズ戦でシーズン37号本塁打を記録し、1985年スティーブ・バルボニを抜いて当時球団シーズン最多本塁打記録となった[15]。打率.272、38本塁打、85打点を記録。本塁打は自己記録を更新し、初めて30本超えを果たした。打率以外の3部門で自己記録を更新した。オフにはカムバック賞を受賞した[16]。11月2日にFAとなり[17]、球団はクオリファイング・オファーを提示した[18]が、11月16日に拒否した[19]。自己最高の38本塁打を記録した直後ということもあり、「オフの目玉FA選手の1人」と目されていた(このオフは、同じ三塁手のFA選手は、ムスタカス以外ではトッド・フレイジャーくらいしか目立った選手がいない事情もあった)[20][21]

Thumb
カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2018年5月9日)

2018年3月9日、ロイヤルズと「1年550万ドル+出来高」(出来高が上限になった場合だと770万ドル。2年目は相互オプション)で再契約を結んだが、結果的には、クオリファイング・オファー(QO)を拒否したことが裏目になった(QOの半額以下であり、出来高を含めても前年の年俸870万ドルを下回る金額での再契約になった。なお水面下では、エンゼルスから3年4500万ドルの契約提示があったともいわれているが、結局は破談になったという)[20][22][23]

ブルワーズ時代

2018年7月27日にブレット・フィリップスホルヘ・ロペスとのトレードで、ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[24]。ポストシーズンのディビジョンシリーズ第1戦でサヨナラ安打を記録した、チームのスイープでのシリーズ突破に貢献。オフの10月30日にFAとなった[6]

2019年2月17日にブルワーズと1年1000万ドルで再契約を結んだ[25]。143試合で打率.254、35本塁打、87打点の成績を残した。守備では初めて二塁も守った[26]。オフの11月1日にFAとなった[6]

レッズ時代

2019年12月5日にシンシナティ・レッズと4年6400万ドルで契約した[27]

2020年は44試合の出場で打率.230、8本塁打、27打点を記録。主に二塁手として起用された。

2021年からは三塁手に配置転換された。5月から8月にかけて右足かかとの打撲で2ヶ月半も戦線離脱し、9月22日には右足裏の筋膜炎で3回目の故障者リスト入りとなった[28]。その影響で62試合の出場に留まった。

2022年は78試合の出場で打率.214、7本塁打、25打点に留待った。オフの12月22日にカート・カサリの加入に伴い、DFAとなり、そのまま自由契約となった[29]

ロッキーズ時代

2023年3月5日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[30]。3月27日にメジャー契約を結んで[6]、開幕をメジャーで迎えた。ロッキーズでは47試合に出場し、打率.270、4本塁打、17打点、出塁率.360を記録した。

エンゼルス時代

2023年6月25日にコナー・バンスコヨックとのトレードでロサンゼルス・エンゼルスへ移籍し[31]、同日中にアクティブ・ロースター 入りした[6]。6月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦で移籍後初出場した。オフの11月3日にFAとなった[32]

ホワイトソックス時代

2024年2月14日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加したが[33]、開幕前の3月22日にケビン・ピラーと共に自由契約となった[34]。結局、この年はこれ以降どのチームにも所属しなかった。

2025年3月3日に現役引退を表明した[3]。5月31日に古巣ロイヤルズを1日契約を結び、正式に引退予定[3]

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プレースタイル

身長は5フィート11インチ(約180.3cm)と比較的小柄ながら長打力を持ち、どんなコースの球でも引っ張って長打にすることが出来る。打席では積極的に振っていく傾向にあり、四球数が少ないため、出塁率があまり伸びない傾向がある[35]。実際、例えば2017年シーズンの出塁率は.314(打率は.272)であり、これはFAで競合したフレイジャー(打率は.213だが、出塁率は.344)よりを下回る数字であり、これが2017年オフにFAになった際に「厳しい評価」に映る一因になった[21][36]

高校時代は遊撃手だったが、プロ入り2年目途中から三塁手へ転向。失策がやや多く、将来的には守備の負担が少ないポジションへのコンバートも予想されていた[35]。メジャー昇格後は好守の三塁手として評価されている。2019年には二塁も守り、複数の内野ポジションをこなした[26]

詳細情報

年度別打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

ポストシーズン打撃成績

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年度別守備成績

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  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 8(2011年 - 2018年7月26日、2023年)
  • 18(2018年7月28日 - 同年終了)
  • 11(2019年)
  • 9(2020年 - 2022年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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