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中島ひろ子

日本の女優 ウィキペディアから

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中島 ひろ子(なかじま ひろこ、1971年2月10日 - )は、日本の女優

概要 なかじま ひろこ 中島 ひろ子, 生年月日 ...

東京都出身で、小学生時代に神奈川県大磯町に転居[3]エム・アール所属。

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来歴

17歳の時に『オルゴール』(1989年公開)でデビュー[4]

1990年の『櫻の園』に主演して第14回日本アカデミー賞新人俳優賞など、各映画賞を受賞して脚光を浴びる[5]

以降、1994年の主演ドラマ『』(NHK)が第31回ギャラクシー賞・テレビ部門大賞を受賞したり、1997年頃から土曜ワイド劇場(テレビ朝日系)などの2時間ドラマなどに出演[3]。この他映画テレビドラマナレーションCMなどどんな役をも見事に演じる実力派女優として多方面で活躍する[6][3]

私生活では2004年頃(33歳)に結婚した[7]が、2012年に離婚[8]。離婚理由について「母性が強く相手にいろいろと尽くしすぎてしまい、子供のように見えてしまって夫として見られなくなった」と語っている[5]

2019年、『櫻の園』以来、29年ぶりとなる主演映画『いつかのふたり』が公開された[3]

エピソード

子供時代

両親と弟と東京で暮らしていたが、小学校高学年の時に神奈川県の大磯町に引っ越した。東京の小学校では全く目立たない地味な子だったが、大磯の学校では「東京から来た転入生」ということで目立ち、これが原因で中学卒業頃までイジメられた[注 1]。中学時代に演劇部所属の同級生の影響で、「芸能界に行けばいじめっ子たちを見返せるかも」と思ったことから、女優を目指し始める[3]。10代で芸能事務所に所属し、自身初めてのオーディションで映画『オルゴール』への出演が決まった[3]

ヌードに関して

デビュー作の『オルゴール』では、演技や映画撮影のこともよく分からないまま、初めてだらけの状態で現場に臨んだ。当初の予定では、ブラジャーの上に毛皮を羽織り、下はミニスカートをはいての出演だった[3]。しかし、撮影当日に突然黒土三男監督から「上脱ぐ?下脱ぐ?10分あげるから考えなさい」と言われ、“迷惑をかけちゃいけない”との思いから上半身のヌードを承諾した[注 2]。後日、映画館で両親と親友と一緒に同作を鑑賞したが、ヌードになったことを知らない父親から怒られ、3日間口をきいてもらえなかったという[3]

1996年の映画『眠る男』で、20代前半で初めてお母さん役を演じたが、これはオーディションで選ばれた[7]。同作には赤ちゃんを抱いて裸でお風呂に入るシーンがあり、事前に監督立ち会いのもとで裸のオーディションが行われた。その際監督から「うーん、胸がちっちゃいなあ。乳飲み子を産んだお母さんの胸じゃないな」と言われたが、合格した[注 3]

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人物

身長は160cm、スリーサイズはB80cm、W64cm、H85cm。靴のサイズは23.5cm[9]

血液型はO型[1][注 4]

詳細は不明だが、女子校に通っていた[3]

映画『櫻の園』への主演起用は、同作のプロデューサー・笹岡幸三郎が、たまたま『オルゴール』を観たことから決まった[注 5]

10代の頃から落ち着いた大人っぽい雰囲気があったことから、20代前半にして人妻役や母親役の出演が多かった[3]。また、以降の女優業では、生活感がある役や暗い役を依頼されることも多い[7]。若い頃からトレンディドラマへの出演に憧れていたがあまり縁がなく[注 6]、後に「1回でもいいから素敵な恋愛ものをやってみたかった」と回想している[7]

1994年のドラマ『雪』の撮影期間中、自身が運転する自動車で事故に遭い、ハンドルに顔を突っ込んだ[7]。顔の出血や腫れ、小指の骨折などの怪我を負った[注 7]が、幸い2週間で退院できたため、撮影に支障はなかった[7]

出演

映画

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBSテレビ

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

衛星放送

ナレーション

オリジナルビデオ

舞台

  • 燕のいる駅(2012年)
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脚注

外部リンク

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