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嬬恋村

群馬県吾妻郡の村 ウィキペディアから

嬬恋村map
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嬬恋村(つまごいむら)は、群馬県の西端に位置する吾妻郡に属する。

概要 つまごいむら 嬬恋村, 国 ...

夏の冷涼な気候を活かした高原野菜の栽培が盛んで、高原キャベツの産地として知られる。

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概要

村名の「嬬恋」は、日本武尊が東征の帰路、鳥居峠に立ち、海の神の怒りを静めるために海に身を投じた愛妻の弟橘媛を「吾嬬者耶」(あづまはや)と追慕した古事にちなむ(郡名などの「吾妻」も同じ)。

上信越高原国立公園の一角を占め浅間山四阿山本白根山などの山々に囲まれた高原地帯には万座温泉鹿沢温泉など数多くの温泉が湧出し[1]ゴルフ場別荘地スキー場キャンプ場などのレジャー施設も数多く存在する。

二等三角点「白根山」TR25438743201(北緯36度37分06.0337秒 東経138度31分40.0897秒)以北、長野県境までは草津町との境界未定地域である。

村歌嬬恋村の歌」が存在する。1951年に嬬恋村観光協会の主導で新民謡「嬬恋小唄」と合わせて制定され、1972年大川栄策青山和子カバーしたシングル盤日本コロムビアにより制作された。広大で観光資源も豊富で、のんびりとした嬬恋村の雰囲気を歌うもので、現在は歌われることは少ないが、村主催の成人式やイベントなどで流されており、限定ながらも聞くことはできる。

2013年に嬬恋村文化協会より「嬬恋村の歌」と「嬬恋小唄」の他に「嬬恋慕情」「つまごい音頭」を合わせた計4曲のご当地ソングがカップリングされたCDが発売され、嬬恋郷土資料館で取り扱っている。

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地理

隣接自治体

気候

要約
視点

ケッペンの気候区分によると、嬬恋村は湿潤大陸性気候亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。12月から3月にかけて日平均気温が氷点下となり、寒さが厳しい。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に豪雪地帯に指定されている。冬季は-15℃前後の気温が観測されることも珍しくない。

さらに見る 嬬恋村(田代)の気候, 月 ...

歴史

先史時代
村内各所で新石器時代の土器・石器が出土する。
縄文時代
村内で出土する縄文土器は前期から晩期まで縄文時代全般に渡り、その様式は多彩で中部日本の様式と関東地方の様式が混在し長野県・新潟県との県境に位置する地勢からも交易や交流の中継地であったことが伺われる。1993年に今井地区東平遺跡から発掘された2つの黒色磨研注口土器(嬬恋郷土資料館所蔵、群馬県指定重要文化財)は成型後にへらなどを使用してその表面を滑らかに磨き上げ、酸化炎を用いた焼成技術によって炭素を吸着させて黒光りさせる技法が用いられている。これは大陸の影響を受けて九州から西日本を中心に広がった黒色磨研土器の様式を受け継いでいるものであり、縄文後期東日本の社会構成や技術文化の波及を考察する重要な資料とされる。
弥生時代
稲作に適さない寒冷な気候によるものか稲作に関連する弥生時代の遺構は嬬恋村では検出されていないが、弥生土器等の弥生文化の痕跡は縄文時代に引き続き出土しており、狩猟採取生活と共に畑作中心の農耕が営まれていたと推察される。なお干俣地区万座温泉の熊四郎洞窟遺跡において弥生土器や木炭が発見されており、標高1,800mの険阻な山岳地帯での定住が考え難いことからも狩猟や交易の為の峠越え等の一時利用が推察されると共に古代における温泉利用を伺わせる。
平安時代
天仁元年(1108年)に浅間山が大噴火し、大笹および大前の地区には追分火砕流が襲い、また、上野国(現在の群馬県)のほぼ全域が大量の火山灰で覆われた。
江戸時代
上州(群馬県)と信州(長野県)を結ぶ街道が整備され、大笹には関所が置かれた。
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浅間山の天明大噴火を描いた絵図
天明3年(1783年)に浅間山が噴火し、8月5日の大噴火では鎌原村(現在の鎌原地区)が火砕流や土石流に飲み込まれ、同地区の住居は壊滅すると共に多くの住民が犠牲になった。また、同噴火によって生じた岩屑流は、鎌原、大前、大笹地区等の集落を破壊した。
大正 - 昭和前期時代
長野県との県境にある御飯岳の干俣側に硫黄鉱床が発見され、いわゆる小串鉱山として操業を開始した。最盛期には2000人程が住むある種の街を形成していたが、昭和46年(1971年)に閉山した。尚、昭和12年(1937年)11月11日には、山津波(大規模な地すべり)によって死者245人他多大な被害が発生している[4]

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、吾妻郡芦生田村、今井村、大笹村、大前村、門貝村、鎌原村、田代村、西窪村、袋倉村、干俣村、三原村の区域をもって成立する。
  • 1951年昭和26年)1月8日 - 村章のデザインと村歌「嬬恋村の歌」、新民謡「嬬恋小唄」を選定。
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人口

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嬬恋村と全国の年齢別人口分布(2005年) 嬬恋村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 嬬恋村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
嬬恋村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 12,074人
1975年(昭和50年) 10,839人
1980年(昭和55年) 10,737人
1985年(昭和60年) 11,056人
1990年(平成2年) 10,957人
1995年(平成7年) 11,135人
2000年(平成12年) 10,657人
2005年(平成17年) 10,858人
2010年(平成22年) 10,183人
2015年(平成27年) 9,780人
2020年(令和2年) 8,850人
総務省統計局 国勢調査より
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行政

  • 村長:熊川栄(くまがわ さかえ)(2007年5月1日就任)

衆議院

さらに見る 選挙区, 議員名 ...

政府所管法人

国立研究開発法人

警察

  • 長野原警察署

消防

  • 吾妻広域消防本部 西部消防署
    • 嬬恋分署(吾妻郡嬬恋村大前125-1)

経済

産業

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嬬恋村のエーコープオアシス店

嬬恋村の中心的な産業は農業とサービス業である。

農業ではキャベツを中心にした高原野菜の高冷地栽培が盛んであり、キャベツの村として有名である(生産・出荷されるキャベツの量は日本一を誇る)。近年では出荷量のみならず、その品質においても更なる向上を目指しJA嬬恋を中心に減農薬・減化学肥料栽培などに取り組んでいる。

一方、観光業を中心としたサービス業は雄大な景観や温泉などの自然環境と軽井沢・草津温泉・志賀高原の中間に位置する好立地条件に恵まれ、近年では就業者数においても農業を上回る形で推移している。

産業人口
産業別就業者数上位5位まで、単位・人。カッコ内は構成比。2010年国勢調査による。
  1. サービス業 2,077(36.8%)
  2. 農林漁業 1,823(32.2%)
  3. 卸小売業 537(9.5%)
  4. 建設業 444(7.9%)
  5. 運輸・通信業 256(4.5%)
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姉妹都市・提携都市

国内

教育

嬬恋村には小学校が2校、中学校が1校、高等学校が1校ある。小学校と中学校は全て村立、高等学校は県立である。2012年4月1日に嬬恋村立東中学校と嬬恋村立西中学校を統合して嬬恋村立嬬恋中学校を新設、2013年4月1日に東小学校と鎌原小学校を統合して東部小学校を新設、2015年4月1日に西小学校と田代小学校と干俣小学校を統合して西部小学校を新設した。

小学校

  • 嬬恋村立東部小学校
  • 嬬恋村立西部小学校

中学校

高等学校

交通

鉄道

リフト

バス

道路

観光

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浅間高原地区:鬼押出しと浅間山
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鹿沢地区
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万座温泉地区:万座温泉と万座山

出身有名人

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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