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東京都議会
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東京都議会(とうきょうとぎかい、英: Tokyo Metropolitan Assembly)は、東京都の地方議会。略称は都議会。

本会議場
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歴史
要約
視点
東京府会時代
1878年に府県会規則が制定されたことに伴い現在の東京都議会の直接の前身である東京府会が発足。1890年には府県制が施行され、1899年には府県会に直接選挙制度が導入されたため東京府会においても同法に基づく東京府会選挙が実施された。
また、のちに東京都制の施行に伴い廃止される東京市では、1889年の市制施行に伴い東京市会が発足し、1943年の東京市廃止に伴う東京市会解散まで、東京市内の各区会や市外の市町村会とあわせて東京府下の地方自治を担っていた。
1943年の東京都制施行により東京市会は廃止、東京府会は第1回都議会議員選挙の後に東京都議会と改められる事になる。
東京都議会発足から黎明期
1943年(昭和18年)6月1日、東京都制制定。7月1日、東京都制施行。9月13日、第1回都議会議員選挙(定数100人)。10月11日、第1回東京都議会臨時会開会[1]。
1947年(昭和22年)4月30日、第2回都議会議員選挙(定数120人)。6月27日、都議会食糧対策委員会を設置[1]。
1951年(昭和26年)1月23日、千代田区丸の内に都議会議事堂落成。4月30日、第3回都議会議員選挙(定数120人、同日執行の第2代都知事選挙で安井誠一郎が当選)[1]。
1955年(昭和30年)4月23日、第4回都議会議員選挙(定数120人、同日執行の第3代都知事選挙で安井誠一郎が当選)[1]。
1959年(昭和34年)4月23日、第5回都議会議員選挙(定数120人、同日執行の第4代都知事選挙で東龍太郎が当選)。5月18日、都議会全員協議会でオリンピック招致決議。10月2日、オリンピック東京大会準備実行委員会を設置[1]。
1963年(昭和38年)4月17日、第6回都議会議員選挙(定数120人、同日執行の第5代都知事選挙で東龍太郎が当選)[1]。
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自主解散
都道府県議会は通常4年ごとに任期満了選挙(統一地方選挙)を行なうが、東京都議会は1965年(昭和40年)に都道府県議会としては初めて「自主解散」による選挙を行なっている。なお、衆議院同様、知事や首長に対する不信任が決議された場合、知事や首長は議会を解散出来る(地方自治法第178条)。
自民党の小山貞雄・藤森賢三・加藤好雄の3都議の間で激しい争いとなった同年3月9日議長選挙は、小山の当選でひとまず幕を下ろすかと思われたが、同月15日に藤森が贈賄容疑で逮捕されたのを皮切りに、5月20日までに小山・加藤を含む自民党所属都議17名が、議長選挙と許認可をめぐる別の二件の汚職において、連日贈収賄容疑で逮捕・起訴されるという、前代未聞の「底なし汚職[注釈 1]」の様相を呈するに至った(東京都議会黒い霧事件)。
都議会に対する都民の不信は高まり、社会・共産・公明・民社の4党と東京地方労働組合評議会の5団体が都議会リコール運動での共闘を決定、5月28日に「都政刷新・都議会解散・リコール推進本部」が設置された。リコール請求に基づき東京都選挙管理委員会が6月3日にリコール投票を告示。しかし都議会は、自民党主導で急ぎ制定され6月3日に施行された地方公共団体の議会の解散に関する特例法にもとづいて、2年後の任期満了を待たずに自主解散することを議決、7月23日に選挙が行われた。
これが日本国憲法下の地方自治体議会としては初めて自主解散による選挙であった。以降東京都議会選挙は統一地方選挙で行われる知事選と2年ずれ(2年後の7月)、都議選が都政の中間選挙という意味合いを持つようになった。その後2012年(平成24年)から2016年(平成28年)にかけて石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一が相次いで任期中に辞職したことにより都知事選も統一地方選挙からずれ、以降は都議選が知事選の1年後に行われることとなる。
公明党
1967年4月、社会党と共産党の両党が推した美濃部亮吉が東京都知事に当選し、革新都知事が生まれた。220万票を獲得しての当選であった。自民・民社が推した松下正寿に13万6000票差をつけた。また、公明党が独自に推した候補者が60万票獲得した。当時、都議会の第二党は社会党(当時)ではなく公明党であり、藤井富雄は都議会のドンと言われた。つまり自民党が第一党で社会党が第二党のいわゆる55年体制とは別の政治世界(時間)が東京都(都議会)にはあった。[2]
民主党都議会第1党
2009年(平成21年)7月12日に行われた東京都議会議員選挙は、第45回衆議院議員総選挙の前哨戦と位置づけられた。東京都独自の争点は新銀行東京の経営問題、築地市場の移転問題、都立小児病院の廃止問題などであった。 与党である自民党・公明党の目標は過半数、民主党は都議会の政権交代を目標とした。民主党は58人を擁立し定数8の大田区では4人を公認するなど強気の姿勢をとった。注目度が高いため投票率は2005年の都議選の43.99%を大きく超え54.49%となった。1950年(昭和25年)以降、自民党が議席を守ってきた千代田区・中央区で民主党候補に敗れたのをはじめ、保守が強いといわれる青梅市でも敗れ、1人区で議席を守ったのは島嶼部だけとなった。結果38選挙区でトップ当選した民主党が34議席から54議席と躍進し第1党となったものの、協力関係にある生活者ネットワークなどをあわせても過半数は確保できなかった。自民党は48議席から38議席と惨敗し、1965年(昭和40年)以来の第2党に転落した。一方、公明党は組織票が機能し5回連続の全員当選となった。共産党は8議席と減らし生活者ネットワークは3議席に減らすなど、結果は民主党の一人勝ちであった。
議長不信任決議案可決
2011年(平成23年)10月18日、第3回東京都議会定例会最終日において、和田宗春議長に対する不信任決議案が提出され、自民党や公明党などの賛成多数で可決される。都議会に議長不信任決議案が上程されるのは、2度目であり、可決されたのは、初めてのことである。
自民党の第1党奪還と民主党の第4党転落
2013年(平成25年)6月23日に行われた東京都議会議員選挙では、自民党と公明党が候補者全員当選を果たし、それぞれ第1党・第2党となった。自民党の全員当選は史上初であり、また公明党は6回連続の全員当選である。一方、民主党は15議席と大きく議席を減らして惨敗し、17議席と議席数を大きく伸ばした共産党に次ぐ第4党へと転落した。第3極ではみんなの党が7議席と健闘する一方、維新の会が34人を公認したのに対し、2議席しか獲得できなかった。生活者ネットは1増(推薦が落ちたため実質現状維持)、その他の党は議席獲得はできなかった[3]。
自公分裂、都民ファーストの会第1党
2016年、7月に開催された都知事選に勝利した小池百合子が東京都知事に就任。以降、各会派で活発な動きが見られた。同年12月に都議会公明党が1979年から続いてきた自民党会派との連携を見直し、事実上の連立解消を表明した[4]。また年末には、都議会自民党に所属する都議会議員3人が都議会自民党幹事長に会派離脱届を提出した。3人は記者会見を開き、新たな会派「新風自民党」を立ち上げることを明らかにした。なお、自民党には残留する方針[5]。翌2017年1月、小池都知事が事実上率いる政治団体都民ファーストの会が地域政党としての活動をスタート。旧・みんなの党の所属議員による会派「かがやけTOKYO」の所属都議3人が都議会に対し、「かがやけTOKYO」を改名する形で新会派「都民ファーストの会 東京都議団」の設立を届け出た[6]。同年2月には民進党が、都議会にある会派のうち、旧・民主党系の「都議会民進党」の14人と、旧・維新の党系の「民進党都議団」の4人の2つの会派を合流、新会派「東京改革議員団」を結成[7]。なお新会派は「都議会生活者ネットワーク」の2人や無所属の2人にもラブコールを送り、参加を呼び掛けるとした[8]。2月20日には、1月に「都議会自民党」を脱退し「新風自民党」を結成した3人のうち2人が自民党に対し離党届を提出、20日付で自民党東京都連により離党届が受理され、都民ファーストの会へ合流した[9]。
築地市場の豊洲地区への移転問題について、2月22日、東京都議会の定例会の中で午後に開かれた本会議で、豊洲市場をめぐる一連の問題をめぐり、法律に基づく厳しい調査権を持つ調査特別委員会(百条委員会)の設置を全会一致で可決した。都議会における百条委員会の設置は2005年以来、12年ぶり7回目。委員会では、土地購入を決めた当時の石原慎太郎・元知事や浜渦武生・元副知事の証人喚問を行うことも併せて決定[10]。3月11日、豊洲市場を巡る一連の問題に対する百条委員会が開会。初日は、当時の関係者を召喚し証人喚問を行った[11]。そして、3月20日に移転を決定した当時の東京都知事・石原慎太郎を召集し、証人喚問を行う[12]。
7月2日、2017年東京都議会議員選挙が行われ、小池知事率いる都民ファーストの会が、公認候補50人中49人が当選する大勝利。推薦した無所属候補6人の追加公認を含め55議席を確保し、自民党から都議会第一党の座を奪取。また選挙協力を行った公明党・生活者ネットら小池知事を支持する勢力が半数を超える圧勝。一方、自民党は23議席に終わり、第一党の座から転落しただけでなく、2009年都議選の38議席を大幅に下回る過去最低の大惨敗[13]。共産党は安倍政権と小池都政のどちらにも反対する勢力の票を吸収しさらに勢力を拡大した一方で、民進党・日本維新の会は「都民ファーストVS自民」の構図の中で埋没する形となり、維新は改選前と変わらず1議席にとどまり[14]、民進に至っては改選前に7議席あった議席数は2議席減の5議席に終わり、旧・民主党結党以来最低だった前回(2013年)の15議席を大きく下回る結果となった[15]。
9月25日に小池が希望の党の代表就任を表明し国政進出することが明らかになるとこれを機に公明党との関係が悪化[16]。公明党は11月14日に正式に知事与党からの離脱を宣言した[17]。一方で都民ファースト単独では議会の過半数に届かないことから、小池側が公明党の協力を仰ぐ状態が目立った[18]。
自公連携復活
2021年3月19日、自民と公明は都議会での関係を修復し、都議選協力に向けた政策協定書に調印。公明と都民ファーストの会との連携は解消された[19]。同年6月25日の2021年東京都議会議員選挙では都民ファーストの会は大幅に議席を減らし、自民党が第1党を奪還した。
2024年7月4日、2024年東京都知事選挙と同日に行われた、東京都議会議員補欠選挙において、自民党は院内第一党を維持したものの、公認候補の出馬した8つの選挙区において、2勝6敗と負け越し、勝敗ラインの4勝を大きく下回った。裏金問題が取り沙汰された、前自由民主党政務調査会長萩生田光一のお膝元である八王子市選挙区では、自民党の公認候補が諸派の候補に大きな差をつけられ敗北した[20]。
自民党大敗と新興政党の躍進
2025年6月22日、議員の任期満了にともない、都議選が執行された。自民党は21議席と党としての過去最低を記録する大敗で都議会第一党から陥落し、裏金問題を受けて非公認で立候補した6名の自民党都議のうち、3名が落選し、その中には三宅茂樹元都議会議長や、小宮安里元都議連幹事長なども含まれていた。同じく国政与党の公明党は現有から公認候補を1人減らす守りの選挙で臨んだが、結局3名が落選し、36年ぶりの候補者落選となった。一方都政与党の都民ファーストの会は31議席と告示前勢力を5議席上回って都議会第一党を奪還した。ただ、千代田区選挙区で現職の平慶翔が無所属の新人に敗れる想定外の事態も起きた。立憲民主党は日本共産党との連携が奏功し、得票数は公認候補を絞ったこともあり、前回から減少したものの告示前勢力を5議席、前回獲得議席からは2議席上積みして公認候補20人に対して17議席とした。日本共産党は現有議席から5議席減らして14議席として、党の退潮傾向を示す結果となった。既成の政党が伸び悩む中で、国民民主党が9議席、参政党が3議席をそれぞれ獲得して都議会で初めて議席を獲得した。しかし、新興勢力内でも明暗が分かれ、前安芸高田市長の石丸伸二代表率いる政治団体・再生の道は42人を擁立し、政策を掲げないという新しいやり方で挑んだものの、議席は獲得できなかった。れいわ新選組も0議席に終わった。自民党が史上最悪の大敗を喫し、公明、共産などの組織政党が退潮するなかで、新興勢力が議席を得たことで、夏の参院選への影響が注目されている。[21][22][23]
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構成
任期
4年。議会解散が実施されれば任期満了前であっても議員任期は終了する。
定数
127。
選出方法
中選挙区制と小選挙区制を実施。なお、過去に無投票当選は、1951年の伊豆七島選挙区(当時)、1963年の八王子市選挙区、2021年の小平市選挙区の3例が存在する[24]。また、補欠選挙については、複数定員区においては2名以上、1名の場合はその欠員が生じた場合に実施される。また、東京都知事選挙が実施される場合は人数問わず欠員が生じた選挙区のすべてにおいて、欠員を補充する補欠選挙が実施される(いわゆる「便乗選挙」。例として2020年7月6日の東京都知事選挙と同時に欠員が生じていた大田区、北区、日野市、北多摩第三の各選挙区で実施されている[25])。
定例会
定例会の回数は、毎年4回と決められている。(東京都議会定例会の回数に関する条例)
例年、1回目の定例会は2月〜3月の30日間、2回目の定例会は6月の15日間、3回目の定例会は9月〜10月の30日間、4回目の定例会は11月〜12月の15日間、開催されている。
知事辞職、議会解散によって例年通りのスケジュールとならない年もある。
事務局
都議会を補助する事務組織として「議会局」が置かれている。正式名称は「東京都議会議会局」であり、「東京都議会局」ではない。(東京都議会議会局条例)
現在の局長は宮澤浩司(前・環境局次長、2025年4月1日 - )。
- 管理部 - 秘書課、総務課、経理課、広報課
- 議事部 - 議案法制課、議事課
- 調査部 - 管理課、調査企画課
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会派
要約
視点
議員数が5名以上の会派には代表質問権が、11名以上の会派には議案提案権が与えられている。
社会民主党は2001年(平成13年)に議席がゼロとなって以来、公認候補の当選による会派結成には至っていない[注釈 3]。
同名の会派が並立した例
みんなの党(会派「都議会みんなの党」)は当初7議員全員による単一会派を結成していたが、2013年(平成25年)7月頃に表面化した渡辺喜美代表と江田憲司幹事長の不和の影響を受け、会派幹事長に両角穣都議を推す渡辺派4議員と野上幸絵都議を推す江田派3議員の間で対立が発生。最終的に渡辺派4議員が会派を離脱して新会派(会派「みんなの党」、のち「みんなの党 Tokyo」)を結成したため、しばらくの間はみんなの党の名を冠する会派が併存する状態が続いていた[29][30]。同年末に江田が離党して結いの党を結成すると、江田派の3議員は結いの党に合流して会派名も「都議会結いの党」に改めたため(後に日本維新の会と統一会派を結成)、併存状態は解消された。
2016年(平成28年)3月27日に民主党と維新の党が合流し民進党が結成されたことを受け、都議会においても旧民主党の会派「都議会民主党」と旧維新の党の会派「都議会維新の党」が統一されるものと見られたが、「国が合流したからといってすぐに合流できるわけではない。話し合いもまだしておらず、協議を進めた上で考えたい」(旧民主党尾崎大介・都議会民進党幹事長)という状況から先送りとなった。同年4月1日、旧民主が「都議会民進党」、旧維新が「民進党都議団」と会派名称変更を届け出たが、会派の統一はなされず、民進党の会派が二つある状態となった[31]。翌2017年2月14日、旧民主の「都議会民進党」と旧維新の「民進党都議団」が合流し、新会派「東京改革議員団」が結成されたことによりこの状態は解消された[32]。
2016年(平成28年)の年末、自民党の会派「都議会自民党」の所属議員のうち3議員が都議会自民党に対し会派離脱届を提出し、新たな会派「新風自民党」を結成することを発表[5]。翌2017年1月に「新風自民党」が結成されるが、2月20日、うち2人が自民党を離党し都民ファーストの会へ合流したため「一人会派」となった。2018年1月31日に「新風自民党」唯一の所属議員が「都議会自民党」に復帰したことにより併存状態は解消された[33]。
選挙区
要約
視点
- 西多摩選挙区:福生市、羽村市、あきる野市、西多摩郡
- 南多摩選挙区:多摩市、稲城市
- 北多摩第一選挙区:東村山市、東大和市、武蔵村山市
- 北多摩第二選挙区:国分寺市、国立市
- 北多摩第三選挙区:調布市、狛江市
- 北多摩第四選挙区:清瀬市、東久留米市
- 島部選挙区:東京都島嶼部(大島支庁、三宅支庁、八丈支庁、小笠原支庁)
※島部選挙区における人口は東京都全体の議員1人当たりの人口の半数未満であるが、公職選挙法271条に基づく特例選挙区として存続している。千代田区選挙区は2017年の選挙から特例選挙区の対象から外れた[34]。
※西多摩選挙区、南多摩選挙区、北多摩第一ないし第四の各選挙区は、公職選挙法15条3項に基づく任意合区による選挙区である。
※2016年に定数配分が変更され、北区・中野区でそれぞれ定数1減(ともに4→3)。町田市と北多摩第三選挙区でそれぞれ定数1増(町田:3→4、北多摩第三:2→3)の定数調整が行われ[34]、2017年の選挙から適用された。
※2020年7月17日の都議会本会議で、練馬区で定数1増(6→7)、大田区で1減(8→7)に定数是正する条例が可決、成立した。2021年7月の選挙より適用された[35]。
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選挙区の変遷
「島部選挙区」(とうぶせんきょく)については、東京府会時代から1943年の第1回都議会議員選挙まで「島嶼選挙区」という名称であり、戦後に小笠原諸島が日本の施政権から分離された後の1947年の第2回都議会議員選挙から1965年の第7回都議会議員選挙までは「伊豆七島選挙区」という名称になり、1969年の第8回都議会議員選挙から小笠原諸島の日本復帰を経て現在まで「島部選挙区」となっている。
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選挙結果
要約
視点
東京都議会選挙は、1965年(昭和40年)、都議会議長選による汚職に端を発した「黒い霧事件」で自主解散して以来、統一地方選挙としては実施されていない。統一地方選挙の中間年(丑年、巳年、酉年)に行われる。また、総選挙や参議院議員通常選挙など国会議員選挙の直前に行われる場合も多く(平成以降では1997年を除き2021年まで全て該当)、その場合、選挙の結果を占う選挙としての性格も強く持っている。
事実、都議選の結果はすべて直後の国政選挙に直結するといわれており、1989年(平成元年)は自民党が惨敗・社会党が勝利となりその直後の参院選でも土井たか子委員長のマドンナ旋風で社会党が勝利。1993年(平成5年)は日本新党が躍進・社会党が惨敗となりその直後の総選挙では日本新党を中心とする新党ブームで社会党が惨敗・自民党が下野し55年体制が崩壊。2001年・2005年は小泉純一郎総理の人気を追い風に自民党が第一党をキープ・民主党躍進・社民党と共産党が議席減となりその直後の選挙でも自民党が大勝をおさめ民主党が躍進し2大政党時代の到来となる。2009年(平成21年)は民主党が圧勝・自民党が大敗となり直後の総選挙での政権交代のきっかけとなった。2013年(平成25年)は逆に民主党は大幅に議席減・自民党が圧勝・さらに共産党が躍進という結果となり直後の参院選では自民党が参院第一党に復帰しねじれ国会の解消となった[36]。しかしながら、2017年(平成29年)はこの経験則が覆され、都議選で過去最低の議席数に終わった自民党が約2ヶ月半後の総選挙で勝利した。
なお、以下の選挙結果において、第20回で行われた都民ファーストの公明党候補への推薦・第19回まで選挙区で行われた公明党の自民党候補への推薦および生活者ネットの民主党候補への推薦は省略している。
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主な都議会議員出身者
要約
視点
- 衆議院議員(現職)
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- 参議院議員(現職)
- 首長(現職)
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- 元議員・その他
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歴代議長
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議員報酬と諸手当
令和4年4月現在、減額措置を実施
議員年金
平成23年6月1日に廃止
→詳細は「議員年金」を参照
- その他諸手当
- かつて、本会議や委員会に一日出席するごとに特別区及び島部選出の議員は10,000円、その他の地区選出の議員には12,000円の費用弁償が議員報酬とは別に支給されていたが、平成29年第1回定例会において廃止が全会一致で可決された[39]。なお、費用弁償廃止後も島部在住の議員のみ交通費と宿泊費の実費が支給される。
不祥事
都議会黒い霧事件
→詳細は「東京都議会黒い霧事件」を参照
1960年代に起こった、東京都議会をめぐる汚職事件。自民党都議15人が贈収賄で訴追され、1965年6月には都議会が自主解散した。
鈴木章浩議員による野次問題
→詳細は「東京都議会やじ問題」を参照
2014年(平成26年)6月18日、塩村文夏(みんなの党)が少子化問題に関する発言中に鈴木章浩(自由民主党)が「早く結婚した方がいいんじゃないか」と野次を飛ばした。また、鈴木以外の議員からも野次があったことが朝日新聞とテレビ朝日の議場の音声分析の結果から分かった[40]。
大場康宣議員によるポスターはがし問題
木下富美子議員の無免許運転問題
→詳細は「木下富美子 § 2期目の再選直後に浮上した進退問題」を参照
2021年7月の都議選で再選した木下富美子都議(都民ファーストの会)が選挙期間中に起こした無免許運転事故をめぐる問題。都議会は二度にわたって議員辞職勧告決議案を全会一致で可決し、正副議長名で三度「召喚状」を送付した。木下は2021年11月に議員辞職し、2022年2月、執行猶予付き有罪判決となった。
都議会自民党の政治資金収支報告書不記載問題
2024年12月、自由民主党の政治資金パーティー収入の裏金問題が都議会自民党でも判明し[42]、2025年1月、都議会自民党は政治資金パーティー券収入を収支報告書に記載していなかった都議および都議経験者26人の氏名とそれぞれの不記載額を発表した。この中には現職の東京都議会議長である宇田川聡史が含まれており、都議会議長を辞職することとなった。また、宇田川を含む都議会自民党幹事長経験者6名について次期都議選については非公認とすることを決定した[43]。
同年2月10日、都議会臨時会において、宇田川の辞任に伴う議長選挙が行われ、副議長であった都民ファーストの会の増子博樹が議長に選出され、副議長には公明党の谷村孝彦が選出された。都議会自民党は本問題を受けて議長候補を擁立しなかった。都議会第一党会派以外からの議長選出は、確認できる1965年以降では初の事態となった[44]。
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注目された議題
七生養護学校事件
→詳細は「七生養護学校事件」を参照
2003年、東京都立七生養護学校で行われた性教育授業について土屋敬之都議が都議会で批判し、学校への非難が高まった事件。 その後、都議3名が教育への不当介入として訴訟され、賠償を命じられた。
東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案
→詳細は「東京都青少年の健全な育成に関する条例」を参照
2010年、都議会に提出された改正案について作家、出版関係者、市民などから反対運動が巻き起こった。2010年6月に一度否決、同年12月に修正案が可決された。
築地市場移転問題
→詳細は「築地市場移転問題」を参照
築地市場の機能を江東区豊洲に移転するにあたって発生した土壌汚染や住民訴訟などの諸問題。 2017年より都議会に「豊洲市場移転問題の調査特別委員会(百条委員会)」が設置され審議を行った。
都立高校校則問題
2020年、一部の都立高校でツーブロックの髪型を禁止する校則があることについて池川友一都議が都議会で質問し、教育長の「事件事故に遭う可能性がある」との答弁が反響を呼んだ[45]。 その後、校則の見直しが進んだ[46]。
都立高校入試の英語スピーキングテスト問題
中学3年生に英語スピーキングテストを実施し都立高校入試に反映させる方針をめぐる問題[47]。 2022年10月、都立高入試の合否判定から試験結果を除外する条例案が提案された際、知事与党の都民ファーストの会から3名が造反し、党を除名された[48]。
東京都青少年の健全な育成に関する条例における不健全図書の名称変更問題
発言取り消し動議
予算特別委員会で関口健太郎(立憲)都議が知事の姿勢に対し「答弁拒否」などと批判したことについて都民ファーストの会、自民党、公明党の会派が議事録から発言の取消を求める動議を提出し、可決された[50]。3会派は共産都議の発言に対しても「虚偽があった」として取消を求める動議を提出、同様に可決された。ただし、いずれの都議も議事録からの削除には応じなかったため、発言の削除はされていない[51]。
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脚注
関連項目
外部リンク
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