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田辺裕信

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田辺裕信
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田辺 裕信(たなべ ひろのぶ、1984年2月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA)の騎手日本騎手クラブ関東支部副支部長。

概要 田辺裕信, 基本情報 ...

戸籍上の表記は旧字体が含まれた「田邊」だが、JRAでは旧字体での登録が認められていないため、新字体の「田辺」に修正して登録される(一部の地方競馬では旧字体表記となる場合がある[4])。

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来歴

要約
視点

父親はJAの職員、母親は主婦という一般家庭に生まれる。妹と弟がいる3人兄弟の長男。部活ではソフトテニスをしていた[5]。競馬との接点は、父親が競馬ファンだったことによる[6]

2002年、2月にJRA競馬学校騎手課程を第18期生[7]として卒業し騎手免許を取得し、小西一男厩舎に所属する[8]3月2日に初騎乗[2]中山競馬第2競走で9番人気のアルファジェネラスに騎乗し8着[9]3月21日高崎競馬場地方競馬初騎乗。弥生特別でシアトルドータに騎乗し、11頭立て8番人気で11着だった。8月3日新潟競馬第12競走で4番人気のヒノデツートンに騎乗し、初勝利を挙げた[2][10]

2004年4月25日重賞初騎乗となった福島牝馬ステークスでは、14番人気のトーセンリリーに騎乗して16着だった。

2009年8月30日キーンランドカップでは、モルトグランデに騎乗し2位入線を果たす。このまま確定すれば重賞初連対であったが、最後の直線で他馬の走行を妨害したとして8着に降着となり、田辺は開催日4日間の騎乗停止処分を受けた。

2010年6月19日福島競馬第11競走の安達太良ステークスで、栗東松田博資厩舎所属のアドマイヤマジンに騎乗して勝利。これをきっかけに松田博資調教師の信頼を得ると、他の栗東の有力厩舎からも依頼が増えるようになった[11]

2011年4月24日アンタレスステークスでは、栗東・吉田直弘厩舎所属のゴルトブリッツに騎乗して勝利し、デビューから10年目で初重賞勝利を飾った。8月8日、3年前に知り合い、この年から交際していた一般女性と入籍した[12]。同年は88勝を挙げ、全国リーディング7位・関東リーディング3位と躍進し、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞した[13]

2014年2月23日フェブラリーステークスを16頭立て16番人気のコパノリッキーで勝ち、25回目の挑戦でGI初勝利を果たした[14]サマージョッキーズシリーズでは、七夕賞関屋記念京成杯オータムハンデキャップの3勝を挙げて優勝、初めてワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)の出場権を獲得した[15]。WSJSでは、2戦目のファンタスティックジョッキーズトロフィーで勝利を挙げ、総合成績では戸崎圭太と並ぶ3位タイに入った[16]厩舎関係者表彰フェアプレー賞を初受賞。

2016年2月1日、小西厩舎所属からフリーとなった[17]が、バレットはその後も小西の娘である小西由紀が務めている。

2019年1月6日、中山競馬第2競走でゴールデンウェルに騎乗して史上38人目となるJRA通算10000回騎乗を達成した[18]

2021年8月1日、新潟競馬第8競走をノーリスで制し、史上40人目となるJRA通算1000勝を達成した[19]

2022年10月23日、阪神競馬第11競走・菊花賞アスクビクターモアに騎乗し1着、自身初のクラシック競走制覇を果たした。

2025年3月1日、中山競馬第9競走の水仙賞をエーオーキングで勝利し、史上33人目、現役では17人目となるJRA通算1200勝を1万3717戦目で達成した[20]。同年4月20日、福島牝馬ステークスアドマイヤマツリに騎乗し1着となり、同競走が創設された2004年以降、史上初となる福島競馬場で施行される4重賞を全てを制覇[21]

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主な騎乗馬

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騎乗成績

さらに見る 日付, 競馬場・開催 ...
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その他

フェアプレー賞は2014年、2018年と2020年より4年連続となる2023年まで計6回受賞している。

騎乗依頼仲介者優馬の坂倉和智[42]

脚注

関連項目

外部リンク

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