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髙嶋政宏

日本の俳優、タレント (1965-) ウィキペディアから

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髙嶋 政宏たかしま まさひろ[2]1965年昭和40年〉[3][4][2]10月29日[5] - )は、日本俳優タレント司会者東京都[4]世田谷区出身。成城学園中学校高等学校成城大学法学部卒業。身長は183cm[1]東宝芸能所属。別名スターレス髙嶋。父は俳優で司会者の高島忠夫[2]、母は女優でタレントの寿美花代[3]、弟は俳優の髙嶋政伸、妻は女優のシルビア・グラブ

概要 たかしま まさひろ 髙嶋 政宏, 本名 ...
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略歴

1965年10月29日、父・高島忠夫、母・寿美花代の次男として誕生[注釈 1]。幼少時は東京と神戸の祖父母のところと半々の生活だった[注釈 2]

成城学園中学校高等学校を経て、成城大学法学部在学中の1987年、映画『トットチャンネル』にて俳優デビュー[7][3][4][2]。同作および映画『BU・SU』での演技により第61回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞や第42回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第30回ブルーリボン賞新人賞、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第12回報知映画賞新人賞などを受賞[3][4][2]。テレビドラマでは『純ちゃんの応援歌』で人気を得るが[2]、1993年の『同窓会』が世間に強烈なインパクトを残し、自身も役の幅を広げる。

以降、『山岳救助隊・紫門一鬼』シリーズや『レ・ミゼラブル』、『ヤマトタケル』などで活躍。

両親・弟と共に東宝芸能に所属している。

私生活では、2000年のミュージカル『エリザベート』初演での共演をきっかけに交際していたシルビア・グラブと2005年に結婚[8][9]。シルビアの誕生日である7月17日に婚姻届を提出し、7月30日にハワイマウイ島にて挙式した[10]

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人物

要約
視点

ゴジラシリーズや映画『ヤマトタケル』などで監督を務めた大河原孝夫は、髙嶋について役作りにあたっていろいろな引き出しを用意するタイプであったと述べている[11]。『ゴジラvsメカゴジラ』で共演した佐野量子は、髙嶋は何事にも真剣に取り組んでおり、脚本をじっくり読み込んでセリフの裏の意味も理解していたと証言している[12]

高校から大学までアメフト部に所属していた[3]。『トットチャンネル』のオーディションでは、アメフトの試合直後でジャージを着たまま向かったところ、監督の大森一樹が他の俳優はかしこまった格好で来るのに面白いと気に入られ、起用されるに至った[4]

熱烈なロック通

小学校低学年の頃、テレビの歌番組に出演していたダウン・タウン・ブギウギ・バンドを見て衝撃を受ける。父にエレキギターをやってみたいと訴えたところ「不良になる」と却下された。しかし「エレキベースならどうか?」と食い下がったところ「ベースなら良い(音が低く精神を掻き乱さないから)」と許可された[13]。8歳くらいから近くのレコード店に通うようになる。店主が洋楽のレコードを薦め、試聴させてくれた楽曲のなかにハードロックバンド「キッス」のアルバム『地獄のロックファイアー』があり、収録曲『悪魔のドクター・ラヴ "Calling Dr. Love"』に特に心を奪われ夢中になったという[14][注釈 3]。 以来、無類のロック好きとなった[3]。LP、CDも5,000枚以上所持していると言われ、キッスのアイテムも300点以上保持している。中学生時代からアマチュアロックバンドを組んでライブを行っていた。ビジーフォーのライブで前座を務めたこともある[13]。芸能界に入ってから、俳優業と並行して歌手としてCDを出していた時期もある。アルバムには自作曲も収録された[14][注釈 4]

キング・クリムゾン「スターレス髙嶋」

青少年時代より英国のプログレッシブ・ロックバンド【キング・クリムゾン】を信奉しており、自身のソロシングル「こわれるくらい抱きしめたい」のB面(c/w)で同バンドの楽曲「スターレス」をカヴァーしているほどである。友人の兄(東京ニュー・ウェイヴに参加したBOLSHIEのメンバー石田健司)から「こういうのも聴いてみろ」と勧められたアルバム『レッド (キング・クリムゾンのアルバム)』に衝撃を受けたのが切っ掛けであった[15]

ROCK FUJIYAMA』に出演した際には、『プログレッシブ・ロック』に対する愛を語り、その意外性が話題となった。その番組ではロックの話をする際に、内容があまりにもマニアックなものもあったため、鮎貝健SHELLYを始めとする共演者でさえも誰も話題についていけないほどで、キング・クリムゾンの楽曲名とかけた「スターレス髙嶋」とあだ名された。その後も非ミュージシャンながら『ROCK FUJIYAMA』に3度の出演を果たし、番組最多出演ゲストとなった。その関係で、番組初登場後のあまりの反響ぶりから、キング・クリムゾンのベストアルバム『濃縮キング・クリムゾン』(en:The Condensed 21st Century Guide to King Crimson)の国内盤ライナーノーツを担当し、以降もリイシュー盤のCD帯原稿などを手掛けている[16]

うつ病を患って入院し、回復しつつあった病床の父・忠夫の前で「スターレス」を歌ったことも告白したことがある。また、その「スターレス」を創った期のメンバーだったジョン・ウェットンが亡くなった際には追悼の念を述べた[17]

2007年5月26日には『ROCK FUJIYAMA』以外で初めて、「スターレス髙嶋」名義でJ-WAVEの『東京REMIX族』への出演も果たしている。同番組でも、ロックへの愛を熱く語ったことはもちろんだが、プログレ初心者の中川翔子から「初心者にお勧めは?」と聞かれ、「やっぱりクリムゾンの『レッド』ですかね!!」と答え、山田五郎には「『宮殿』からじゃダメなんだ? うら若き乙女に『レッド』からいかせるなんて…」と突っ込まれた[18]

2013年11月から放映開始した自身の初冠番組『高嶋政宏の旅番長』では[19]、しばしばキング・クリムゾンのTシャツを着用して出演している。

2016年にスターレス髙嶋名義で、キング・クリムゾンのトークイベントを開催[20]

2018年、キング・クリムゾン結成50周年を記念した来日ツアーに合わせ、プロモートしたクリエイティブマン・プロダクションのチャンネルにて長編エピソードを公開。

2019年夏、親交がある日本のプログレ・バンド「金属恵比須」と共同でライブイベントを主催。最後のトリで、楽曲「スターレス」を熱唱した[21]

2021年11月、キング・クリムゾン最後の来日ツアーに併せた特別番組のPRに起用され[22]、予想時間を越える長尺解説をWEBで公開し熱く語った[23]

その他

1989年、後に「COSA NOSTRA」を結成する桜井鉄太郎とともにユニット「Real Pop Organizers」を結成。アルバム『R.P.O』をリリースしている。

『ROCK FUJIYAMA』ではマイケル・シェンカー・グループイエスAC/DCの来日公演を観た話をして、マーティ・フリードマンROLLYと共にこれら3バンドの曲をベースを弾きながらセッションした。

パンク・ロックニュー・ウェイヴのファンでもあり、好きなバンドにセックス・ピストルズXTCテレヴィジョンワイヤーを挙げている。

音楽と人1994年8月号のインタビューにおいては更に日本のニューウェーブバンドにも触れており突然段ボールフリクション不正療法などのバンド以外にもグレイトフル・デッドザ・バンドイーグルスドゥービー・ブラザーズなどアメリカンロックも挙げておりインタビュアーの市川哲史をして「(記事中のバンドの解説は)あまりにも膨大なので説明不能。すまん」と注釈を付けるほどの知識を有している。

2008年2月10日には、舞台『ベガーズ・オペラ』に出演のため滞在していた大阪市で、ポリス大阪ドーム公演にも足を運んだ。

鹿児島通

自他共に認める鹿児島通である。年に何度もプライベートで来訪しており、穴場に関しては地元の観光関係者が舌を巻くほどの詳しさである。また近年は鹿児島が舞台の映画に地元民の役柄で出演する事も多く流暢な唐芋普通語を披露している。さらに地元の人も知らないラーメン屋やさつま揚げ屋など詳細な鹿児島通には地元の人も驚く。映画『チェスト』での鹿児島弁は事前に鹿児島に入り、地元住民と焼酎を酌み交わしながら覚えた。鹿児島人にも「髙嶋さんの鹿児島弁は完璧だ」と役者魂を出した。また映画『海の金魚』では鹿児島に住むお父さん役をこなしているが、全般は共通語であるが、随所に鹿児島弁を披露しており鹿児島愛を感じされる作品である。

2019年1月31日、鹿児島県知事から委嘱され鹿児島県広報大使である薩摩大使に就任。薩摩大使は、日銀において県外からの転勤者が鹿児島を去る際にも就任する制度で、日銀の鹿児島支店長も代々就任している[24]

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エピソード

要約
視点

中学時代に同級生とアマチュアバンドを結成、同級生のツテでライブハウスに前座として出演する(ギャラはライブハウスで出される飲食であった)。大学時代にはビジーフォーの前座も務めたが、高島忠夫の息子とは周囲は知る由もなく、後にモト冬樹と共演した際に告白して驚かれた。

叔父・髙嶋弘之のような音楽関係職を希望しており、権利を勉強するため大学は法学部に進学。一時期は弁護士を目指していた。大学の文化祭でモデル事務所にスカウトされ、パーティスナップが雑誌に掲載された。その写真を見た東宝の社員からスカウトされ、在学中にデビュー。一方、弟の政伸は政宏の付き人を1年やり、政宏の紹介で役を射止めてデビューした。

石黒賢は中学・高校・大学を通じて同期生である。

愛妻家を公言して憚らない。妻のことが大好きで、妻の父方(シルビアの父はドイツ系スイス人)の故郷ではハグとキスが当たり前であったと聞き、髙島も真似て毎日妻の左こめかみあたりにキスしていたらその部分の髪が薄くなったという。

2010年3月からアデランスの「アデランスは誰でしょう?」の第2弾CMに新庄剛志八嶋智人と共に出演。正解は髙嶋で、頭の真ん中の頭頂部までをさかやきのように剃り上げ、まるで落ち武者のような髪型で登場した。

ゴジラシリーズに出演する一方で、自身もゴジラそのもののファンである[25]。『ゴジラvsメカゴジラ』への出演は、髙嶋自身が監督の大河原孝夫へ希望したことがきっかけであった[11]。同シリーズには、父・忠夫や弟・政伸も出演しており[25][26][注釈 5]、『vsメカゴジラ』出演の際には忠夫からアドバイスを受けていたほか、忠夫と共演もしている[27]。コクピットのシーンは、映画『ガンヘッド』での経験を活かし、セットに逐一出入りしなくて済むよう水や食料などを持ち込んでセットに入りっぱなしで撮影に挑んだ[27]。2018年2月3日にTOHOシネマズ日劇にて特別イベント「さよなら日劇ラストショウ」に登壇した際にはゴジラのフィギュアを掲げてゴジラへの愛を明かしたうえ、2016年公開の『シン・ゴジラ』への出演に期待するも以前のゴジラ作品でメインを演じた人は駄目という理由から出演できなかったことを明かしている[25]

兄弟の確執ではなく事務所の方針としているが、弟とは2013年を最後に共演していない[28]

2018年10月にぶんか社から『変態紳士』を上梓し、同時にSMが趣味であることをカミングアウトした[29]

駅弁好きである。両親揃って多忙な芸能人であり、親子で過ごす時間が少ないことを憂慮した父が、地方での収録の際に子どもたちを同行させることがあった。その際に電車内で食べる駅弁がとても美味しく感じ、一緒に過ごした楽しい時間の記憶になっているという。現在までに多くのグルメ番組に出演しており、食に関してこだわりを持っている"自称・食の変態"であるが、そのルーツは駅弁であると語る[14]。また、その食べ方にも独自のこだわりを持っている(1.新横浜駅を通過してから食べる。2.電車が動いていない時は食べる手を止める。3.駅弁は温めるべからず。等々)。東京駅構内の駅弁専門店で購入するためだけに入場券を買って足を運ぶこともあり、一度に複数個を購入している。

出演

テレビドラマ

配信ドラマ

バラエティ番組ほか

バラエティ等のゲスト出演

映画

オリジナルビデオ

  • 野獣 地獄からの生還(1995年) - 主演

舞台

ラジオ

CM

ミュージック・ビデオ

テレビアニメ

劇場アニメ

ゲーム

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ディスコグラフィ

全てのシングル、アルバム共に現在は廃盤

シングル

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アルバム

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タイアップ

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著書

受賞

脚注

参考文献

外部リンク

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