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倍賞美津子

日本の女優 (1946-) ウィキペディアから

倍賞美津子
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倍賞 美津子(ばいしょう みつこ、1946年昭和21年〉11月22日 - )は、日本女優歌手茨城県出身。事務所はロータス・ルーツ

概要 ばいしょう みつこ 倍賞 美津子, 生年月日 ...
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来歴・人物

要約
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5人兄弟姉妹の三女(姉2人と兄と弟がいる4番目)として誕生する。疎開先の茨城県で生まれ[2]、4歳のとき[2]東京都北区滝野川に戻り[2]北区立紅葉中学校卒業[1]後、1962年松竹音楽舞踊学校に入学した。小中学校の同級生に落語家の三代目柳家権太楼がいる。

1965年3月、松竹音楽舞踊学校を卒業。同年、松竹歌劇団に第18期生として入団。学校生時代の舞台実習を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」でデビュー。同年、SKD新人賞と奨励賞を受賞した。浅草国際劇場を中心に歌とダンスで活動を始め、舞台ではジリオラ・チンクェッティの「ナポリは恋人」やフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」を歌った[3]

1966年1月、クラウンに入社[3]。同年4月、シングル「でも好きだった」で歌手デビュー。

1967年、『純情二重奏』で実姉の倍賞千恵子と異母姉妹を演じ映画デビューを果たす。1969年五社英雄監督の『人斬り』で京都市民映画祭の新人賞を受賞する。その後は松竹に入社しデビュー作の『喜劇・女は度胸』以来、森﨑東監督の作品に出演を続け、看板女優の一人となった。『人生劇場』に出演。

1971年プロレスラーアントニオ猪木と結婚し、当時1億円の結婚式で話題になった[4][5]新日本プロレスの旗揚げ戦時には宣伝カーのナレーションを吹き込んだり[5]豊登道春が紹介した融資先に自身が行ったことで1000万円を融資してもらえたりと、新日本プロレスの旗揚げには倍賞の貢献があった。1976年のパキスタン遠征に帯同したのは印象的であり、試合で猪木がアクラム・ペールワンに勝利し、ペールワンの肩を折ったことで暴動が起きかねなかった状況に対して倍賞は「新間さん、私はいいからアントンを頼むわ。」と、冷静な対応をしたと伝わる[6][5]

1974年、娘を出産[7]

1979年今村昌平監督の『復讐するは我にあり』では三國連太郎との濡れ場でヌードシーンを披露[8]。この作品でブルーリボン助演女優賞を受賞して女優としての地位を確立する[1]。庶民的な姉の千恵子とは異なり、都会的な女の情念を表現し独自の世界観を切り開いた[1]。今村監督作品をはじめ、黒澤明監督作品や五社監督作品に多く起用された。

1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文』の演技で国内の映画賞を総なめにする。

1988年、猪木と離婚。離婚の原因については猪木の不倫騒動であり、倍賞もその後、『ショーケン』こと歌手で俳優の萩原健一との熱愛[1]が報じられた[5]。元新日本プロレス社長のサイモン猪木は、実娘でミュージカルアニー』でアニー役を演じた元女優の猪木寛子の元夫である(娘婿)。弟の倍賞鉄夫(2017年8月8日逝去)も長年新日本プロレスでリングアナを務め、後に猪木事務所の社長に就いた。

1997年4月、直腸がんが発覚し入院。直腸を全摘し、人工肛門を装着したことを公表する[9]。同時期に出演していた『ギフト』は一時降板したが、最終話に再び登場した。

2002年、『OUT』などの演技で田中絹代賞を受賞する。2003年5月の『新日本プロレス30周年記念東京ドーム大会』にサプライズゲストとして現れ、元夫の猪木とともに「1、2、3、ダー!」を披露した[5]

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エピソード

  • 2014年(平成26年)、『キネマ旬報』発表の「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」女優部門で第11位となった [10]
  • 新日本プロレス旗揚げ戦(1972年3月6日/東京都大田区体育館)で、倍賞が自ら宣伝カーのナレーションを担当したことや、1976年に行われたアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦の時に、記者会見で猪木が着用した紋付袴の着付けを自分が行った、などと言ったことがあった[11]
  • 1990年頃に六本木5丁目今はなきビルの2階で居酒屋ばいしょうを経営していた。[要出典]
  • 2005年に漫画家の青山剛昌と声優の高山みなみが結婚した際は後見人を務めた。
  • 落語家の柳家権太楼とは幼なじみで、小学校と中学校が同じである。[要出典]
  • アントニオ猪木の誕生日パーティーの際、頭からリボンを垂らして玄関から飛び出し「私がプレゼント!」と叫び、猪木を驚かせたこともある。[要出典]
  • 3年B組金八先生』では、主人公・坂本金八(武田鉄矢)の同僚の養護教諭・天路里美(通称・アマゾネス)役で第1、第2シリーズに出演。第2シリーズ終了後に金八と結婚する設定になっているが、第4シリーズ開始前に里美は死去した設定になった為、以降は坂本家に飾られる遺影として出演していた(死去の設定後の作品では声の出演で2度登場)。
  • シワを隠すことはなく、自身の刻んできた喜びや悲しみなどの人生の体験がシワに刻まれるということで、それが自身の年輪だと語り、それを否定することは自分の人生を否定することにも繋がると『婦人公論』のインタビューで語っている[8]
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出演

テレビドラマ

映画

バラエティ

CM

配信ドラマ

その他

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ディスコグラフィ

要約
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シングル

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アルバム

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タイアップ曲

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脚注

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外部リンク

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