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照栄院 (大田区)

東京都大田区にある寺院 ウィキペディアから

照栄院 (大田区)map
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照栄院(しょうえいいん)は、東京都大田区池上にある日蓮宗の寺院。

概要 照栄院, 所在地 ...

概要

山号は朗慶山。池上本門寺塔頭本行寺理境院と共に池上三院家の一つ。池上中道不二庵法類の柳嶋法縁に属する。

歴史

要約
視点

日蓮の高弟・六老僧の一人である日朗は、日蓮入滅後に武蔵国鎌倉比企谷の長興山妙本寺・同国池上の長栄山本門寺[2]及び下総国平賀の長谷山本土寺の3ヶ寺を継承し教線を拡張したが、文保2年(1318年)74歳で隠遁し池上南谷に草庵を結んだ。これが照栄院の濫觴と伝えられている。[3] その2年後の元応2年1月21日に日朗が遷化(逝去)すると荒廃の一途を辿ったが、嘉吉年間に本門寺の日鏡が再興を果たした。

更に時が下り寛文13年(1673年)に真間山弘法寺[4] 15世・妙悟院日玄が両山22世に晋山し、元禄元年(1688年)には南谷檀林を開檀、立善講寺と命名した。[5] またその際に、加藤清正の息女・瑶林院が夫である徳川頼宣の追善菩提の為に本門寺に奉納した妙見菩薩立像を遷座し妙見堂を建立、檀林の鎮守とした。その後、講堂方丈・玄能寮・板頭寮・首座寮・所化寮[6]・玄文両談合場・食堂・惣門などが続々と建てられ一大法城の体を成した。また檀林の歴代化主には、池上中道不二庵法類の祖である両山25世・守玄院日顗を始め、その門弟である如山法縁縁祖・本妙院日静、両山27世・中延法縁縁祖の常求院日章、両山30世・土富店法縁縁祖の本壽院日利、近代日蓮教学の祖と謳われた具足山立本寺69世・優陀那院日輝などの碩学が就任し、また両山を始め、弘法寺龍水山海長寺長崇山本行寺寂光山龍口寺等の池上五本山や比企谷司務職(長興山本行院 住職)に栄晋する高僧を多数輩出した。このような顕著な事績から日蓮宗関東八檀林の一つ[7]に数えられ隆盛を誇ったが、明治5年(1872年)の学制発布に伴い翌6年(1873年)には廃檀した。

明治21年(1888年)、埼玉県志木市の住人 関根銀次郎・平野定吉・田中万吉 等が日蓮宗寺院の建立を発願し、その意を承けた日珠が照栄院より「朗慶山立善講寺」の山寺号を分与され一寺を建立し末寺となった。その後も、109世の大綱院日明(黒澤圓静)・112世の観是院日教(石川謙静)・113世の本隆院日淳(田中本隆)[8]本門寺に栄晋。114世・日泥(石川恒彦)が永代供養墓「久遠林」を建設して広く一般に門戸を開くなど、三院家の格式に相応しい業績を積み重ね今日に至っている。

年表

  • 文保2年 (1318年)大国阿闍梨日朗が草庵を創建
  • 嘉吉年間(1441~1444年)荒廃した草庵を日鏡が再興
  • 寛文4年 (1664年)瑶林院が夫・徳川頼宣の追善菩提の為に本門寺妙見菩薩立像を奉納
  • 元禄元年(1688年)両山22世・妙悟院日玄が南谷檀林を開檀
  • 天保7年 (1836年)板頭寮を再建
  • 慶応2年 (1866年)妙見堂を再建
  • 明治6年 (1873年)学制の発布に伴い南谷檀林が廃檀
  • 明治21年(1888年)日珠が「朗慶山立善講寺」の山寺号を分与され埼玉県志木市に一寺を建立、末寺となる
  • 昭和56年(1981年)池上七福神に参加
  • 平成12年(2000年)永代供養墓「久遠林」を建設
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伽藍・境内

  • 本堂
昭和14年(1939年)に再建された木造入母屋造瓦葺。広さ約275,9㎡。堂内正面の本尊は一塔両尊四士形式。正面に日蓮像、右手に日朗像を祀る。
  • 書院
天保7年(1836年)に建立された南谷檀林の板頭寮(檀林事務長の寮)で、明治6年(1873年)から昭和14年(1939年)まで本堂として使用した。
  • 庫裡
昭和49年(1974年)に建立されたコンクリート造2階建て。
  • 山門
昭和13年(1938年)に建立された木造瓦葺の四脚門。
  • 妙見堂
慶応2年 (1866年)に再建された檀林の鎮守。安置する妙見菩薩立像は、加藤清正の息女・瑶林院が夫である徳川頼宣の追善菩提の為に本門寺に奉納したもの。毎月15日に例祭、冬至に大祭が営まれ、大祭は本門寺貫首が導師を務める。
  • 久遠林
題目初唱(立教開宗)750年を2年後に控えた平成12年(2000年)に114世・日泥(石川恒彦)によって建立された永代供養墓。“インド仏教以来の伝統を尊重しつつ現代社会の世相に合わせた形態を提唱する”という趣旨の下で運営されている。
  • チャンギー殉難者慰霊碑
昭和58年(1983年)に113世・日淳(田中本隆)によって建立された慰霊碑。第二次世界大戦後、シンガポールのチャンギ刑務所において教誨師として活動した日淳が、BC級戦犯として処刑された日本軍将兵軍属を慰霊する為に建てられた。
  • いぼとり地蔵
始め呑川の南に鎮座した村方の地蔵菩薩像が、度重なる河川の氾濫や改修等に伴って遷座したもの。
  • 樹老人祠
池上七福神の一つ。南谷檀林が盛況であった頃、伊豆から来たある青年僧が“本門寺の貫首と成らん”と願を掛けて妙見堂に籠り断食行を修した。一週間後に朦朧とする中で堂を出ると眼前の大樹の下に一人の老人が立っており、「仏道修行は、猊座(貫首の位)に登り金襴緞子の法衣に身を包む為ではなく、地に降りて人々の頑迷な心の衣を脱がす為に行うものだ」と諭された。目が醒めた青年僧が故郷に帰り再び妙見堂を訪れると、老人が立っていた大樹が倒れていた。彼はその大木で老人の像を彫り妙見堂に祀った。これが樹老人誕生の逸話であるが、後にこの像は失われ現在は改めて刻されたものが祀られている。

文化財

  • 三宝尊像(大田区指定文化財)
  • 日朗聖人坐像(大田区指定文化財)
  • 妙見菩薩立像(大田区指定文化財)
  • 南谷檀林板頭寮遺構(大田区指定文化財)
  • 照栄院文書(大田区指定文化財)
  • 棟札(大田区指定文化財)

歴代住持・檀林化主

さらに見る 歴代 (通歴), 法号 (俗姓・道号) ...
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旧末寺

日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山・旧末寺と呼びならわしている。

  • 朗慶山照栄院(東京都大田区池上)
    • 照栄院 末:朗慶山立善講寺(埼玉県志木市本町)

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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