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嬉野市
佐賀県の市 ウィキペディアから
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嬉野市(うれしのし)は、佐賀県の西部に位置する市。県内地域区分では杵藤地域に属する[1][2]。嬉野温泉と古い町並み塩田津が所在している。
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地理
要約
視点


ほぼ全域が周囲を比較的緩やかな山に囲まれた盆地で、東部の一部が白石平野に属する。
地形
気候
隣接する自治体
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地域

2013年5月24日撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

2014年5月4日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
嬉野市は嬉野町・塩田町の2町が合併して発足しており、旧自治体を引き継いだ2町を設置し、その下に旧来の大字を続けており、嬉野市○○町大字××の形となっている。さらに大字の後ろに甲~丁の地番符号がつき(真崎を除く)、その後ろに番地がつくようになっている。
また、これとは別に、通常、住所には表記されないが、生活上の単位として集落ごとに行政区が設置されている。おおよそ地番符号ごとに行政区も設置されているため(ただし、川などの地理的な境界を用いている場合もあるため、必ずしも一致しないことがある)、それも併せて示す。
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人口
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
嬉野市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 嬉野市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 嬉野市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
嬉野市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
要約
視点
古代
古墳時代、塩田町に古墳が分布するが嬉野町では古墳が未発見であるため、古墳時代当時塩田町において開発が進んでいたとされる。「国造本紀」によると葛津立国造の名が確認でき、嬉野市一帯は葛津立国と呼称されていたと推測されている[4]。
奈良時代になると嬉野市域は鹿島市・太良町域とあわせ肥前国藤津郡となった。奈良時代に編纂された『肥前国風土記』には、塩田川に関する記述として「比川の源は、郡西南のかたなる託羅峯(たらのみね)より出て、東に流れて海に入る。潮の満時は、流れに逆いて沂洄る。流勢は太だ高し。因りて潮高満川(しほたかみつがわ)と曰う。今は訛りて塩田川と謂う。川源に渕有り、深さはニ丈で、石壁は嶮峻しく周匝は垣の如し、年魚(あゆ)多在り。また、東辺に温泉ありて、能く人の病を癒す。」とある。市内塩田町の地名の由来が、有明海の満潮時に塩田川の水位が高くなるという感潮河川の特性によることが分かる。また温泉は嬉野温泉を、渕は轟の滝を指すとされる[4][5]。
中世
鎌倉時代、元寇襲来の合戦勲章として「宇礼志野(うれしの)」氏の名前が見え、これが地名「うれしの」の初現とされる[5]。なお、地名「うれしの」の由来として、三韓征伐の帰途、この地に立ち寄った神功皇后が、白鶴が湯浴みをして傷を癒した様子を見て、兵士を浸からせたところ傷が治り「あな、うれしの」と発言したとの伝説があるが、神功皇后以外に、高祖太子(『大定寺旧記』)や老婆(『豊玉姫神社の社伝』)が同様に発言した伝説もあり、これらは地名「うれしの」が「嬉野」の文字になった後、類推されたもので、地名「うれしの」とは無関係とされる[5]。むしろ、地名「うれしの」は『万葉集』に多くの用例がある端・末端・先端部を意味する「末(うれ)」、意味を強める助詞「し」、塩田川の水源地帯にある「野」という意味から「末(うれ)し野」と呼ばれていたものが後に変化した地名とされる[6]。
近現代
西嬉野村→嬉野町(初代・2代・3代)
塩田村→塩田町
嬉野市
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行政


歴代市長
議会
市役所所在地
- 塩田庁舎(旧塩田町役場):嬉野市塩田町大字馬場下甲1769番地
- 嬉野庁舎(旧嬉野町役場):嬉野市嬉野町大字下宿乙1185番地
市役所は、人口が多かった旧嬉野町ではなく、旧塩田町におかれた。これは、対等合併前の合併協議会の中で、新しい自治体の名称に嬉野を使うならば本拠地(市役所本庁舎)は塩田町に置くことが合併の条件として協議が進められた経緯がある。また、旧塩田が先に村から町になったという歴史的経緯、加えて、旧嬉野町の役場がどちらかといえば老朽化していて、旧塩田町の役場が合併を基準日として直近に建て替えられ新しく、防災上有利な立場にあったことが影響した。なお、福岡県西方沖地震で旧嬉野町は震度5弱を記録した。
マスコットキャラクター
国政
県政・県の出先機関
出先機関
- 佐賀県茶業試験場
警察
- 鹿島警察署嬉野幹部派出所
- かつては、旧嬉野町にも警察署が置かれていたが、2006年(平成18年)4月1日に佐賀県警察の組織再編により廃止され、塩田町との合併を考慮し同じ藤津地域である鹿島警察署に統合された。これにより、一部の届出は鹿島警察署へ出向かなければならなくなった。なお、市内の駐在所はそのまま残された。
- 駐在所
- 今寺警察官駐在所
- 不動山警察官駐在所
- 吉田警察官駐在所
- 大草野警察官駐在所
- 塩田警察官駐在所
- 五町田警察官駐在所
- 久間警察官駐在所
消防
- 杵藤地区広域市町村圏組合消防本部
- 嬉野消防署
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産業
- 観光
- 嬉野温泉には年間100万人以上の観光客が訪れる。
嬉野市に本社を置く企業
- 佐賀シール工業
- 瀬頭酒造
- 五町田酒造
- 一ノ瀬畜産
嬉野市に工場・事業所を置く企業
- ハヤテレ九州
- ユニバース九州工場
金融機関

通信・放送
嬉野市は、同じ藤津郡でありながら、旧嬉野町は武雄寄り、旧塩田町は鹿島寄りと、まるっきり異なる性格を有していた。そのことが、通信・放送の分野にも現れている。
郵便局
- 嬉野郵便局(集配局、〒843-03xx)
- 塩田郵便局(集配局、〒849-14xx)
- 吉田郵便局
- 久間郵便局
- 大草間郵便局
- 五町田郵便局
- 下宿簡易郵便局
- 不動山簡易郵便局
電話
NTT西日本のMA(単位料金区域)も、旧町により別箇となっている。
- 武雄MA(市内局番20 - 49) - 旧嬉野町
- 鹿島MA(市内局番60 - 79) - 旧塩田町
鹿島MAの番号変更により、市外局番は市内全域で「0954」となったが、上記の通りMAが異なっているため、旧町域をまたいで電話をかける場合は、従来通り市外局番からかける必要がある。
放送
市内には、NHK佐賀放送局とサガテレビが中継局を設置している。
- 嬉野中継局
- 西嬉野中継局(NHKのみ?)
- 塩田中継局
福岡・熊本両県の民放については、有明海に近い旧塩田町の一部ではアンテナを設置して視聴できる地域があるものの、旧嬉野町を含む内陸部など大半のエリアでは直接受信不可。このため、旧町域ごとにケーブルテレビ局があり、市内の大半をカバーする。
- テレビ九州(旧嬉野町)
- 藤津ケーブルビジョン(旧塩田町)
旧嬉野町の一部では烏帽子岳 (佐世保市)からのVHF波が届くエリアもあり、テレビ放送開始初期はこちらにアンテナを向けていたエリアもあったようだが、アナログ放送終了やケーブルテレビの普及による福岡波視聴習慣の定着もあって需要は減っており、テレビ九州も長崎放送の再送信を取り止めた。
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健康・福祉
- 平均年齢 : 47.89歳
- 年少人口(0 - 14)割合:13.31 %
- 生産年齢人口(15 - 64)割合:69.08 %
- 老年人口(65 - )割合:27.01 %
病院
- 国立病院機構嬉野医療センター
- 嬉野温泉病院
教育



高等学校
- 佐賀県立嬉野高等学校 - 嬉野校舎(総合学科キャンパス)および塩田校舎(工業科キャンパス)
中学校
小学校
幼稚園
- 私立
- 嬉野幼稚園
- 和光幼稚園
- 塩田幼稚園
保育所
- 市立
- 嬉野保育所
- 私立
- 下宿保育園
- 井手川内保育園
- 岩屋保育園
- 吉田保育園
- たちばな保育園
- ルンビニ保育園
- みのり保育園
- 本応寺保育園
- 久間子守保育園
特別支援学校
交通



鉄道
明治末期から昭和戦前期にかけては路面電車の肥前電気鉄道や軽便鉄道の祐徳軌道が嬉野町・塩田町町内を通っていたが、いずれも1931年(昭和6年)に廃止された。以来、両町内に鉄道はなく、嬉野市となってからも市内には長らく鉄道路線が存在しなかったが、2022年(令和4年)9月23日の西九州新幹線開業に伴い嬉野温泉駅が設置された。嬉野市内を鉄道路線が通るのは91年ぶりであり、史上初のJR鉄道駅となる。駅は旧嬉野町市街地の東端にあり、嬉野温泉街からは約1 km離れている。
嬉野温泉駅は西九州新幹線の単独駅であり、在来線は市内には通っていない。近隣の各路線へは長崎本線の肥前鹿島駅(鹿島市)、佐世保線の武雄温泉駅(武雄市)、大村線の彼杵駅(長崎県東彼杵郡東彼杵町)がそれぞれ最寄り駅となる。
なお、新幹線の駅があり在来線(JRグループの在来線・第三セクターに転換された新幹線並行在来線)の駅が全くない市町村は、当市と青森県上北郡七戸町(東北新幹線七戸十和田駅)のみである。
バス
以下の各社が運行している。なお「嬉野バスセンター」は旧嬉野町中心部、「嬉野市役所塩田庁舎前」は旧塩田町中心部にある。
乗合タクシー
道路
高速道路
一般国道
県道
道の駅
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文化施設

- 嬉野市文化センター・嬉野図書館
- 嬉野市公会堂
- 肥前吉田焼窯元会館
- 塩田図書館・歴史民俗資料館
- 嬉野市社会文化会館(リバティ)
- 志田焼の里博物館
スポーツ施設

- 嬉野総合運動公園(みゆき公園)
- 嬉野総合運動公園野球場(みゆき球場)
- 嬉野市中央体育館(U-Spo)
- 嬉野社会体育館
- 北部公園野球場
特産品

- 茶
- 嬉野での茶の栽培は吉村新兵衛が江戸時代慶安年間に始めたとされ、茶業発祥の地不動山地区には、国の天然記念物に指定された樹齢300年を越える嬉野の大チャノキ(大茶樹)がある。「嬉野茶」として知られており、近年では伝統的な「釜煎り茶」の技術も復活された。
- 温泉湯どうふ
- 湯豆腐の一種であるが、水ではなく温泉水で特製の豆腐をゆでたものである。温泉水に含有される成分が作用し豆腐がとろりと溶け、湯が白濁した頃に薬味を入れて味わう。「豊玉姫神社」の近くにある「宗庵よこ長」で考案された。町内の多くの温泉旅館・飲食店で味わえる。漫画『美味しんぼ』でも紹介された。
- 陶磁器
- 江戸時代に鍋島藩主の奨励により、1650年~1660年代に嬉野町吉田・皿屋地区で「肥前吉田焼」が興隆した[10]。2007年(平成19年)現在では主に有田系の磁器が皿屋地区で生産されている。また1700年(元禄13年)前後には塩田町で志田焼の生産が開始され、大正から昭和にかけて大量の磁器が工業生産された。1984年(昭和59年)に志田焼最後の工場(志田陶磁器株式会社の生産部門)が閉鎖され生産も停止されたが、この工場は後に同社より塩田町(現嬉野市)へ寄贈され、志田焼の里博物館として整備された。また、窯業遺跡の一部になっている[11]。陶磁器の原材料となる天草陶石は、有明海の川港である塩田津地区で荷揚げされた。塩田津は現在、伝統的建造物群保存地区になっている[12]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事





名所・旧跡等・観光スポット
文化財
(上記以外のもの)
行事
伝統工芸
嬉野市出身・ゆかりの著名人
★は故人
- 前田伸右衛門(蓮池藩の治水の神様)★
- 大川内傳七(海軍軍人)★
- 小原嘉登次(元佐賀県議会議長)★
- 古川泰龍(僧侶)★
- 森正洋(陶磁器デザイナー)★
- 岩永雅也(教育社会学者)
- 岡ゆう子(演歌歌手)
- 大串章(俳人)
- 小原健史(実業家)
- 市丸博司(競馬評論家)
- 佐賀昇博(相撲)
- 前田珠子(作家)
- クリスティー・ヤマグチ(フィギュアスケート選手 - 父方の祖父が旧西嬉野村からアメリカ合衆国カリフォルニア州に移民)[18]
- 西原玲奈(競馬)
- 山口智美(タレント・モデル)
- 一ノ瀬ワタル(俳優)
- 三根梓(女優・ファッションモデル)
- 剣源蔵(空中りんご赤道斬りギネスホルダー)
- 岸川美好(演歌歌手)
- 金原亭駒三(落語家)
- 輪内遼(考古学者 - 滋賀県の遺跡で日本初の発見)[19]
- 貞包里穂(バレーボール選手 - ヴィクトリーナ姫路)
- 荒木眞衣子(テーブルコーディネーター・フードスタイリスト・司会・歌手 )
- 林幸多郎(プロサッカー選手 - 横浜FC)
- 吉田ゆかり(航空自衛官)
脚注
外部リンク
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