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室岡克彦
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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室岡 克彦(むろおか かつひこ、1959年3月21日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号153。東京都荒川区出身。
戦績
- 奨励会棋戦の第4回「若駒戦」で優勝。決勝が行われた1982年1月11日の前に、すでに四段になっていた。
- 第13回(1986年度)名将戦では、予選を勝ち抜き、本戦でも1回戦で二上達也を破るなど準決勝に進む活躍をした(優勝者の米長邦雄に敗れる)。
- 神谷広志が1987年の2月から8月にわたり樹立した歴代1位(当時)の連勝記録を28で止めた(1987年8月21日・第36期王座戦一次予選3回戦)[注 1]。その1ヶ月後、同期王座戦一次予選の準決勝戦(4回戦)では、後に十八世名人資格者となる森内俊之にプロ棋士人生初の黒星を喫させる快挙を遂げた。(1987年9月28日)なお同期王座戦ではその後の一次予選決勝でも飯田弘之に勝ち二次予選に進出。二次予選では2回戦で真部一男に敗れ、本戦には出場できなかった。
- 棋戦 (将棋)プロ入り3年目の第43期(1984年度)順位戦C級2組[注 2]で9勝1敗の成績(45人中2位)を修め初昇級。以降19年にわたりC級1組に在位した。
- C級2組における降級点が累積2個の状態になった2012年4月1日付でフリークラス宣言をした(満65歳で迎える2024年度の最終対局まで現役を続行可能)。
- 2024年3月31日でフリークラス在籍期限(満65歳)を満了。
- 2024年6月13日に当時71歳の青野照市が引退し、室岡が現役最年長棋士(当時65歳)となるも、その5日後に引退した[注 3](後述)。
- 2024年6月18日、第37期竜王戦6組昇級者決定戦の岡部怜央戦に敗れ、全出場棋戦を終了し引退となった。通算454勝642敗。
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棋風
要約
視点
△持駒 なし
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△持駒 銀香歩
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- 振り飛車党の棋士であり、特に四間飛車の「藤井システム」を指すことが多い。
- 後手の藤井システムに対して、先手の居飛車が持久戦ではなく4筋からの急戦で来た場合、飛車と金の焦点に△4七歩(32手目)と打ち捨てる手を室岡が開発。これは「室岡新手」と呼ばれ、藤井システムに新たな命を吹き込んだ。室岡新手は、たとえば、2006年の名人戦七番勝負第4局で谷川浩司が指しており、藤井システムの本家である藤井猛も採用している。
- 対ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦で、図の▲3三角は室岡が最初に指した手で公式戦1号局は2002年2月21日の銀河戦▲室岡克彦六段-△勝浦修九段戦。1号局は持ち時間の短い棋戦だったということもあり全く注目されなかったが、2006年の名人戦で森内俊之名人が指したことで一躍注目を浴びることになった。▲3三角からは△4四銀▲同角成△同歩▲6六香△7二銀▲8二銀と進むのが定跡化されている手順で、多くの実戦と研究を重ねて終盤まで定跡化が進んでいる。室岡流▲3三角に対して1号局は△8九馬と桂馬を取った。▲6三桂成からの馬の巣抜きを避けて自然な指し手だが、▲4三桂成△7二玉▲5二成香△同金右▲5五香と進んで61手で先手が快勝。▲4三桂成に△5六飛は▲5七香で飛車を捕獲して先手が良い。▲3三角には次に▲6三桂成と王手で成り捨てて9九の馬を巣抜く狙いがあるので、後手はこの筋を避けるために△4四銀と打って角筋を遮断するが、▲同角成とあっさり交換してしまうのが狙いの一手。先手は駒損になり損をしているようだが、△5四銀と受けに投入される手を消していたり、△4四歩と突かせたことで将来▲1三竜と引いた手が、後手の玉頭まで直通するなどプラスになる要素が大きいと見ている。
室岡システム
△持ち駒 なし
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藤井システムと同じく四間飛車の作戦としては図のような形を室岡がよく指しており、「室岡システム」と呼ばれる。図のように△6二金(先手なら▲4八金)を上がる形を指す。
公式戦では図から▲3六歩△6一玉▲3五歩△同歩▲4六銀△3六歩▲2六飛△3二飛▲3五銀△4五歩▲3三角成△同飛▲5七角△3七歩成▲2四歩△3五飛▲同角△3四銀▲4四角△1五銀の例があり、後手が指せる。なお3七歩成に同桂は△4四銀▲3四歩△3五銀▲3三歩成△2六銀で後手十分。この時△6二玉-△7二銀型であると▲2二飛が痛打にならないという工夫。
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人物
- 棋士間での愛称は「ムロさん」。自身のブログ「荒川将棋日記」でも「ムロさん」と自称している。
- 熱心な研究家として棋士仲間からも一目置かれており、自身の研究ノートにおける仮想敵を「全世界」と記した最初の棋士である。[1]
- チェスの研究家としても知られている(ただし、チェスプレーヤーとして活動しているかどうかは不明)。
- 若いころから佐藤康光と非常に親しく、佐藤とよく旅行やゴルフなどを行ったり、将棋の序盤研究資料を佐藤に提供しあうなど佐藤のブレーン的な存在でもあるとされる。また、佐藤の棋力をコンピュータ将棋に照らし合わせて「1秒に10億と3手読む」(「1億と3手」とも)と表現したのも室岡である[2]。
- 2024年に弟子の吉池隆真が四段昇段を果たし、室岡門下初のプロ棋士となる[3]。自身の引退から僅か3か月後のことであった。
昇段履歴
→昇段規定については「将棋の段級」を参照
主な成績
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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脚注
関連項目
外部リンク
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