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澤田真吾
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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澤田 真吾(さわだ しんご、1991年11月21日 -) は、将棋棋士。森信雄門下。棋士番号は274。三重県鈴鹿市出身。
棋歴
アマチュア時代
第26回(2001年)・第27回(2002年)の小学生将棋名人戦で、それぞれ小学校4年生・5年生として出場し、2年連続3位となる。第55回(2001年)全日本アマチュア名人戦で三重県代表として小学校4年生で出場する[1]。結果は予選リーグ敗退[1]。
奨励会時代
小学校を卒業する2004年3月から奨励会に6級で入会。2級から1級に上がるまで1年以上かかったが、三段リーグは2期1年で抜け、2009年4月1日、17歳で四段昇段(プロ入り)した。プロ入りの同期は、同門の大石直嗣。二人とも関西奨励会所属である。
プロ入り後
2010年10月14日、第23期竜王戦6組昇級者決定戦・3位決定戦で、千日手指し直しの末千葉幸生に勝ち、初出場にして5組に昇級。
2012年、第54期王位戦予選を勝ち抜き初の王位リーグ出場。丸山忠久・渡辺明など、並み居る強豪を相手に4連勝し、最終局を待たずに残留を確定させた[注 1]。最終局は同じく全勝の佐藤康光と、挑戦者決定戦出場をかけて戦った(結果は負け)。
2013年2月12日、第71期順位戦C級2組9回戦で、村田智弘に勝利し、通算100勝を達成するとともに五段に昇段。当期順位戦では最終局にも勝てば上位3位以内の成績でC級1組に昇級できたが、永瀬拓矢に敗れ見送りとなってしまった。しかし、翌第72期順位戦では、前半戦から好調を維持し、9回戦で村田顕弘に勝った時点で最終局を待たずしてC級1組への昇級を決めた[注 2]。
2014年11月6日、第27期竜王戦4組昇級者決定戦で戸辺誠に勝利し3組に昇級。2期連続昇級を果たし、同日付で六段に昇段した。
2015年3月10日、第73期順位戦C級1組10回戦で浦野真彦に勝利し、9勝1敗の成績でB級2組に昇級。
第58期(2016年度)王位戦挑戦者決定リーグで紅組優勝。2017年6月9日、白組優勝の菅井竜也との挑戦者決定戦に出場したが、91手で敗れ、王位挑戦権は得られなかった。
2020年8月から11月にかけて14連勝を達成し、第48回将棋大賞において連勝賞を受賞した[2][注 3]。
2022年2月2日、第80期順位戦B級2組10回戦で高崎一生に勝利し、最終局を待たずしてB級1組への昇級を決めた。最終的には、9勝1敗・1位の成績であった。
2023年には最終戦で勝てばA級昇級だったが惜しくも敗れてしまい、残留となった。
2024年10月23日に第50期棋王戦コナミグループ杯挑戦者決定戦トーナメントでベスト4に進出。増田康宏、斎藤明日斗に敗れ挑戦することはなかったが上位に常に食い込む実力者であることは間違いない。
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人物
- 将棋を始めたきっかけは、NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』を見て[4]。また将棋を行っていた兄の後を追うように始めたという説もある。
- 日本将棋連盟のサイトでのコメント[5]によると、「得意戦法は特にない」としており、実際、奨励会では居飛車も振り飛車も指していた。また、「序盤が弱点なのでさらに勉強したい」と語っている。
- 将棋界では郷田真隆と並ぶプロレスファンとして知られる[6]。棋士にならなかったら「アメリカのWWEの警備員になっていた」と語るほど思い入れが強い[7]。
- 2017年10月27日、第3期叡王戦六段予選を勝ち上がって本戦出場が決まり、感想戦後のインタビューでユーザーからのコメント質問に答える形で、広島東洋カープファンであることを明らかにした[8]。同時に、25日に決着したクライマックスシリーズファイナルステージで横浜に大逆転敗退を喫してしまったことを非常に悔しがっており、シリーズ制度の改革を訴えた。
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弟子
- 女流棋士
(2023年9月1日現在)
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
将棋大賞
- 第48回(2020年度):連勝賞(14連勝)[2]
在籍クラス
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
年度別成績
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脚注
関連項目
外部リンク
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