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藤原直哉 (棋士)

日本の将棋棋士 (1965-) ウィキペディアから

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藤原 直哉(ふじわら なおや、1965年5月27日 - )は、将棋棋士若松政和門下。棋士番号は190。兵庫県神戸市出身。

概要 藤原直哉 七段, 名前 ...

棋歴

小学校3年の頃、父親から将棋を教わる[1]。若松門で奨励会に入ったのは中学2年生の秋であり、遅めのスタートであった。谷川浩司井上慶太は兄弟子である。

奨励会棋戦の第11回「若駒戦」で優勝。決勝日(1989年6月5日)の前に、すでに四段昇段していた。

1988年度後期奨励会三段リーグで、16勝2敗の成績を収め、1989年4月にプロ入り。高田尚平とともに、平成に入ってからの初の四段昇段者である。

第21回(1990年度)新人王戦でベスト4。

第4期(1991年度)竜王戦6組(1990 - 1991年)で、郷田真隆新四段らに勝ち決勝進出[注 1]

第5期(1992年度)竜王戦では、丸山らに勝ち5組優勝[注 2]

第47期(2006年度)王位戦で、リーグ入り。残留には至らなかったものの、当時の名人森内俊之に勝利するなど、健闘した。

その一方で順位戦を不得手とする傾向が見られ、プロ入りから28年間連続でC級2組に在籍し、第63期(2004年度)と第67期(2008年度)でいずれも2勝8敗に終わり降級点を喫した。成績次第ではフリークラスへの降級が危惧される状況で臨んだ第68期(2009年度)では、同様の境遇にあった有吉道夫に勝利するなど、4勝6敗(44人中35位)で降級を回避した。第72期(2013年度)に6勝4敗の成績を挙げ、5年ぶりに降級点を消去した。

しかし翌期以降の順位戦では再び成績が振るわず、第74期(2015年度)でまたもや2勝8敗で降級点を喫し、フリークラス降級の危機に陥った。その状況で迎えた第75期(2016年度)でも苦戦が続き、2017年1月19日の8回戦において、降級点争いの競合相手である森雞二が勝った事により、藤原の当年度におけるの降級点取得(累積3個目)が確定。このことに伴い、第48期(1989年度)から28年間連続[注 3]で順位戦C級2組に在籍した記録も途絶えた[注 4]

フリークラス初年度は一転して好調が続き、降級から10ヶ月が経過した2018年1月末現在で17勝9敗、同年3月末までに4敗する前に1勝を挙げることで、第77期(2018年度)以降のC級2組順位戦に復帰が可能となる見込みであったが、4連敗してしまい初年度の復帰はならなかった[2]。この連敗の中には、第31期竜王戦において、かつての自らの弟子である久保田貴洋アマに敗れた局が含まれる。

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棋風

居飛車党で、矢倉相掛かり系の将棋が多い。全軍躍動の手厚い攻めの棋風である。たまに、振り飛車も指す。

人物・エピソード

  • 由来は不明だが、棋士間で「アダルト」のあだ名がある[3]
  • 後に妻となる女性と九州で極秘デートをした帰り、新幹線のホームで兄弟子の谷川と遭遇した際には、「仕事です」とごまかそうとしたが、谷川に「それはない!」と言われた[4]という。
  • 奨励会三段時代の1986年11月5日に、当時同じ三段だった村山聖と対局して敗れる。村山はこの勝利により四段昇段を決定させた。

連盟での委員会活動

昇段履歴

  • 1979年10月00日:6級 = 奨励会入会
  • 1982年11月00日:初段
  • 1985年09月00日:三段
    (1987年4月から三段リーグ制度)
  • 1989年04月01日:四段 = プロ入り
  • 1994年11月10日:五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝)
  • 2001年07月24日:六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝)
  • 2013年06月19日:七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝、通算370勝)[6]

主な成績

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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