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1996年の福岡ダイエーホークス
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1996年の福岡ダイエーホークスでは、1996年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
この年の福岡ダイエーホークスは、王貞治監督の2年目のシーズンである。
概要
王監督2年目のこの年は日本ハムとの間で大型トレードを行い、リリーフエースの下柳剛を放出して新たに武田一浩を獲得。移籍2年目の工藤公康や若田部健一とともに先発投手陣を形成。打撃陣はケビン・ライマーが退団したが、それ以外の戦力は不変だった。先発陣の強化に成功したチームだが、4月を7勝16敗の借金9 (平和台球場時代の1990年4月の3勝12敗1分と並ぶ福岡移転後の同月ワーストタイ)で終え、5月1日まで6連敗を喫し早くも借金10に達する。5月に入っても不振で、5月9日の対近鉄戦(日生球場)で4連敗目を喫し、直近13試合で2勝11敗で借金13となると、球場を出るバスに乗ろうとした王監督や選手にめがけて生卵が投げつけられる事件が発生。生卵事件に発奮したチームは6月に13勝11敗と勝ち越してようやく最下位を脱出すると、7月も10勝6敗、8月は負け越したものの12勝14敗とまずまずの成績を残した。しかし、9月に入り8日から23日まで引き分けを挟み9連敗するなど失速、同月以降4勝14敗1分と大きく負け越したのが響いて最下位に沈み、王監督の悲願であるAクラス入りはこの年もならなかった。投手陣は武田・工藤らの移籍組の活躍があったものの、チーム防御率は4.04の最下位。打撃陣は4番の小久保裕紀がチームトップの24本塁打を放つ奮闘を見せ、この年から2番の村松有人が盗塁王を獲得するなど、明るい話題もあった一方で1995年に西武から移籍した大ベテランの石毛宏典がこの年限りで引退した(その後1998年に二軍監督として復帰)。対戦成績ではV2のオリックスに12勝14敗と健闘したが、2位日本ハムに9勝17敗と大きく負け越した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | オリックス・ブルーウェーブ | 74 | 50 | 6 | .597 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 68 | 58 | 4 | .540 | 7.0 |
3位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 13.0 |
4位 | 近鉄バファローズ | 62 | 67 | 1 | .481 | 14.5 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 60 | 67 | 3 | .472 | 15.5 |
6位 | 福岡ダイエーホークス | 54 | 74 | 2 | .422 | 22.0 |
オールスターゲーム1996
→詳細は「1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
- 太字はファン投票による選出。
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1996年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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