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真田圭一

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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真田 圭一(さなだ けいいち、1972年10月6日 - )は、将棋棋士棋士番号は202。千葉県八千代市出身。松田茂役九段門下。

概要 真田圭一 八段, 名前 ...

棋歴

  • 奨励会三段リーグで、初参加から12勝6敗の好成績を2回続けたが昇段に届かず、3回目に13勝5敗で1位の成績を挙げて、1992年4月に19歳でプロ入りをする。
  • 初参加の第6期竜王戦(1993年度)で6組優勝し、5組へ昇級。このとき、すでにタイトル経験者であった郷田真隆を破っている。さらに、本戦(挑戦者決定トーナメント)でも井上慶太大内延介を破る活躍を見せ、準々決勝で佐藤康光六段(当時)に敗れる(佐藤は、この期に羽生善治から竜王位を奪う)。
  • 第52期順位戦(1993年度)C級2組において9勝1敗で1位の成績を挙げ、C級1組へ昇級。段位は五段となる。
  • 第7期竜王戦(1994年度)5組で敗者復活から3位となり、2期連続昇級で4組へ昇級(竜王戦の昇段規定が旧規定のため、連続昇級でも六段昇段とはならなかった)。
△谷川浩司竜王 持駒:銀歩4
987654321 
   
      
       
   
       
     
     
     
     
  • 第10期竜王戦(1997年度)で、郷田、鈴木大介らを破り4組優勝。本戦でも破竹の勢いで、阿部隆塚田泰明先崎学を破って勝ち上がり、屋敷伸之棋聖(当時)と挑戦者決定三番勝負を戦う。これを2勝1敗で制して、谷川浩司竜王(当時)への挑戦権を得る。これにより、段位は六段となった(竜王戦の昇段規定が旧規定のため、七段への飛び昇段とはならなかった)。「茶髪の挑戦者」として話題となった。七番勝負は0-4で敗退したものの、一気に1組へ飛び昇級した。なお、第1局の55手目(右図の局面)に、谷川の角を移動させるために敵陣の1段目に打った▲4一金は、常識破りの手として論議を呼んだ。
  • 第44期王位戦(2003年度)でリーグ入り。森内俊之らに勝利するが、リーグ残留はならず。
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棋風

人物

  • プロ将棋界における茶髪棋士の元祖と言われる。
  • 20代で日本将棋連盟理事に就任(1999年)した経験を持つ。2007年より奨励会幹事に就任。理事経験者が奨励会幹事を務める例は珍しく、逆ならば中川大輔など数人いる。
  • 趣味は野球で、日本将棋連盟野球部に所属。そのせいか野球部所属の奨励会員及川拓馬が四段昇段を決めたとき、マスコミの昇段インタビューのために野球のユニフォームを及川に用意した。及川はそのユニフォームを着用してインタビューや写真撮影に応じた。
  • 夫人は女流棋士真田彩子で、長男(2010年誕生)と長女(2013年誕生)がいる。
  • 第62期王将戦第2局2日目のニコニコ生放送中にあだ名を視聴者に付けてもらうという提案をされ、複数提案されたあだ名の中の「サニキ」というあだ名を選んだ。その理由は今まで聞いた事のない名前だから。

昇段履歴

  • 1985年06月27日 : 6級 = 奨励会入会[要出典]
  • 1985年10月20日 : 5級[要出典]
  • 1986年01月10日 : 4級[要出典]
  • 1986年06月20日 : 3級[要出典]
  • 1986年07月20日 : 2級[要出典]
  • 1986年10月10日 : 1級[要出典]
  • 1988年09月10日 : 初段[要出典]
  • 1988年02月10日 : 二段[要出典]
  • 1990年06月10日 : 三段(1990年度後期より三段リーグ)
  • 1992年04月01日 : 四段 = プロ入り
  • 1994年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1997年10月01日 : 六段(竜王挑戦)[注 1]
  • 2005年03月01日 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝)
  • 2016年10月25日 : 八段(勝数規定/七段昇段後公式戦190勝)[1]
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主な成績

タイトル挑戦

登場回数 1回(タイトル獲得なし)

将棋大賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
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脚注

関連項目

外部リンク

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