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社台牧場
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社台牧場(しゃだいぼくじょう)は北海道白老町にある競走馬の生産牧場である。創業者は吉田善助。
なお、社台牧場と名前が似ている社台ファームは、代表者同士が親戚でありかつては同一組織であったが、現在は全く別の牧場である(後述)[1][2]。
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歴史
白老牧場時代
徳川牧場時代
社台牧場時代
- 1928年 - 当時札幌月寒で牛の牧場を経営していた吉田善助が、徳川牧場を十年年賦で購入。社台牧場を創設し、乳牛飼育とサラブレッドの育成を開始。
- 1929年 - 善助がアメリカから種牡馬としてポリグノータス[4][5]、繁殖牝馬としてデッドインデアン等を輸入。
- 1932年 - デッドインデアンの仔であるヨシキタが第1回東京優駿大競走に出走し、16着に敗れる。
- 1935年 - アメリカから種牡馬ステーツマン[6][7]を輸入。初年度産駒であるルーネラ[8]が後に阪神優駿牝馬を制覇。
- 1939年 - 千葉県富里市に40haの土地を購入し、千葉社台牧場を開設。
- 1945年 - 吉田善助が死去。事実上、白老の代表が長男の吉田善一と二男の吉田善二郎、千葉の代表が三男の吉田善哉となる[3]。
- 1947年 - 白老社台牧場の所有権が吉田善一から吉田善伍(吉田善一の長男)に移る。社名を合名会社社台牧場に変更[3]。
- 1955年 - 吉田善哉が代表である千葉社台牧場が社台牧場から独立。後に社台ファームと改名。
独立後の千葉社台牧場の歴史は社台ファームを参照
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吉田家との関連
- 吉田善助の二男である吉田善二郎は社台牧場から独立して習志野牧場を開設した。
主な生産馬
要約
視点
括弧内は主な勝ち鞍
1920年代
- ユレカ(1929年産:1932年帝室御賞典(札幌))
1930年代
- リードアン(1934年産:1938年中山農林省賞典障碍)
- エスパリオン(1935年産:1940年目黒記念(春)、中山記念(秋))
- ゼンサ(1936年産:1940年目黒記念(秋))
- マルタケ(1936年産:1939年京都農林省賞典四歳呼馬、1941年帝室御賞典(春))[10][11]
- エステイツ(1937年産:1941年中山記念(春)、帝室御賞典(秋))[12]
- ルーネラ(繁殖名ブルーネラ)(1937年産:1940年阪神優駿牝馬)[8]
- ステーツ(1938年産:1942年目黒記念(秋))
- ステーツイブキ(繁殖名イブキヤマ)(1939年産:1943年目黒記念(秋))[13][14]
- ロックステーツ(繁殖名ロックフェル)(1939年産:1942年阪神優駿牝馬)[15]
1940年代
1950年代
- ガイセイ(1950年産:1954年金杯(東))[18]
- カンセイ(繁殖名ジプシーネラ)(1950年産:1953年桜花賞)[19][20]
- ブルレット(1950年産:1953年中山記念)[21][22]
- ナンシーシャイン(1952年産:1955年スプリングステークス、1956年金盃)[23]
- アカツキ(1953年産:1956年クイーンステークス)[24][25]
- ヘキラク(1953年産:1956年皐月賞、1956年クモハタ記念、1957年安田記念)[26][27]
- ミスヤマト(繁殖名ブラックターキン)(1954年産)[28][29]
- ラプソデー(1954年産:1957年菊花賞、1959年安田記念)[30][31]
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2010年代
関連項目
脚注
参考文献
外部リンク
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