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聖徳記念絵画館

東京都新宿区にある美術館 ウィキペディアから

聖徳記念絵画館map
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聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)は、東京都新宿区明治神宮外苑にある美術館

概要 聖徳記念絵画館Meiji Memorial Picture Gallery, 施設情報 ...
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正面から見た絵画館
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ライトアップされた夜の絵画館

神宮外苑の中心的な建物で、明治天皇の生涯に昭憲皇太后の在世中の事績を交えつつ各時代を描いた歴史的・文化的にも貴重な壁画を展示している[1][2]。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。令和9年5月末(予定)まで保存修理工事のため休館している。

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歴史

要約
視点

1915年(大正4年)12月15日に明治神宮奉賛会が成立した後、事績のどの場面を画題とするか検討するため、1917年(大正6年)5月25日に明治神宮奉賛会の働きで、画題選定に関する委員及特別顧問規定が設けられた[1]。絵画委員長の正木直彦の紹介で洋画家の五姓田芳柳により、考証や現地取材に基づく「画題考証図」が作成され、これを参考に検討を重ねて1918年(大正7年)9月21日に80題を選出した[1]。そして前半生の40点を日本画家、後半生の40点を洋画家が担当することになった[2]。壁画は縦3m×横2.7mの画面寸法画一主義を採用。

建物は明治天皇の大喪儀が行われた旧青山練兵場の葬場殿跡地で1919年(大正8年)10月3日に着工し、関東大震災による中断を経て1926年(大正15年)10月22日に竣工した。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物である。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な石造建築を見ることができる。

建物の完成に比べ、絵画館に納める壁画の製作は遅れに遅れた。1926年の絵画館竣工時に奉納された壁画は80点のうち下記のわずか5点で、うち日本画は《西南役…》の1点のみだった。

計11点が奉納された1927年(昭和2年)10月1日から、土・日・祝日限定で一般仮公開を開始。ようやく1936年(昭和11年)4月21日になって、最後の以下5点

が奉納され、同日、明治神宮奉賛会総裁閑院宮載仁親王臨席のもと中央ホールで完成記念式典が挙行された。だが式典当日まで加筆を行う画家もおり、[3]児島寅次郎平福百穂小堀鞆音、蔦谷龍岬、吉川霊華石橋和訓長原孝太郎の画家7名は揮毫依頼を受けながら完成を待たずに死去した。翌1937年(昭和12年)4月20日昭和天皇香淳皇后が行幸啓し、翌4月21日から一般本公開を開始。

1944年(昭和19年)12月21日、戦局の悪化に伴い閉館。1945年(昭和20年)9月18日1947年(昭和22年)、進駐軍により接収される。1948年(昭和23年)に再開館したが、戦争関連の壁画18点は非公開となった。この18点は1952年(昭和27年)、サンフランシスコ講和条約の発効以降に復元展示された。

1968年昭和43年)には、明治百年を記念して絵画館学園が館内に開校し、絵画や陶芸などを学ぶ施設も備わった。1984年(昭和59年) からは5カ年計画で、傷みが激しい壁画を修復し、1989年平成元年)には、壁画の防護と永久保存を目的に、延べ250メートルの壁画全面にミュージアムガラスのスクリーンを設置。自然採光に加えて特殊照明も導入した。従来、壁画は手を触れられるほど間近に拝観できたが、現在は壁画面から2メートル隔てて特製強化ガラスによるシールドも設置されている。さらに、正面入口にヨーロッパ風に設計された門扉を追加し、入口上部ステンドグラス3枚を新デザインのものに交換した。 1990年(平成2年)からは夜間のライトアップを実施。 2003年(平成15年)、絵画館は明治神宮宝物殿(1921年築、大江新太郎設計)、桃林荘(建宮敬仁親王の御殿) と共に東京都選定歴史的建造物に指定された。2011年(平成23年)には、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物殿と共に国の重要文化財に指定された。2025年令和7年)4月1日から2027年(令和9年)5月末(予定)まで、壁画と建物を維持するための工事「重要文化財 聖徳記念絵画館 保存修理工事」のため休館[4]

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建物の概要

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神宮外苑造成案(1917年案)。
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現行の1918年案。絵画館は葬場殿跡に配置されている。

設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ[6]、後任の小林政一が完成させた。

外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成とし、当時流行のセセッション風の重厚な意匠でまとめている。内部中央の大広間の装飾は、床に大理石モザイクタイル、壁面に色変わりの大理石石膏彫刻、天井に石膏彫刻を用いている。同時期に建設された明治神宮宝物殿が鉄筋コンクリート造ながら外観は伝統的木造建築のそれを忠実に再現しているのとは対照的に、この絵画館には当時最新式の西洋の技術と意匠が用いられている。これら両建築の様式の違いは、日本の近代化の象徴であるとともに伝統文化の継承者でもあるという明治天皇の二面性を象徴するものだといわれている[7]

建物は2011年(平成23年)に重要文化財に指定。絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

  • 葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある
  • 角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。
  • 丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のイチョウ並木の終点付近にある 
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イチョウ並木

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神宮外苑銀杏並木 (10月)

明治神宮外苑の入り口でもある青山通りからこの建物を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられている。絵画館に近づくにつれより低いイチョウが植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように見えるよう表現されているのも特徴的で、建物自体の荘厳さを高めている[8]

これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので[9]、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本[10]新宿御苑の同じイチョウから種を採取した、いわば「兄弟姉妹」である[11]。設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園錦糸公園山下公園などの建設も指揮した造園家折下吉延[10]。造営の責任者は、当時道路工学の権威であった藤井真透が務めた。

1994年(平成6年)には、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」の一つに選定されており[12]、多くの映画やテレビドラマのロケ地ともなっているほか、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる。変わった所では、『笑点』の大喜利の座布団10枚獲得景品として、並木の下に落ちていた銀杏が贈呈されたことがある。

交通アクセスは、電車は、JR信濃町駅より徒歩10分、地下鉄外苑駅・青山一丁目駅より徒歩5分、車は、首都高速外苑出口から5分。駐車場は396台、1日1回1600円。

ギャラリー

展示壁画

要約
視点

当代一流の画家らが、史実に基づく明治天皇と美子皇后(昭憲皇太后)の遺徳を描いた壁画を年代順に展示。縦約2.7m×横約2.1~2.5m[13]の日本画 (40点)・洋画 (40点)、併せて80点が常設展示されている。《江戸開城談判》、《東京御着輦》、《憲法発布式》など日本史の教科書にも掲載されたおなじみの作品が何点もある。整理番号が振ってあり、1番から40番が日本画、41番から80番までが洋画である。

壁画は、次の表に示すように、当時の華族のほか、国家機関、地方公共団体、民間企業などから奉納された作品である。奉納者は画題と縁故のあるものが多く、例を挙げれば、5番《大政奉還》の奉納者は大政奉還をした江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫であり、21番《岩倉大使欧米派遣》は横浜市が奉納者で、横浜港から乗船する岩倉使節団が描かれている。55番《教育勅語下賜》は東京高等師範学校の卒業生団体が奉納した。

支持体には日本画も含めて特製キャンバスが推奨されたが、実際にはキャンバス和紙の選択制だった。そのため、高橋秋華《御降誕》、山本森之助《中国西国巡幸長崎御入港》、小山栄達《習志野之原演習行幸》、近藤樵仙《皇后宮田植御覧》、近藤樵仙《西南役熊本籠城》の5点は、日本画でありながらキャンバスに描かれている。一方、寺崎武男《軍人勅諭下賜》、和田三造《大葬》の2点は、洋画にも関わらず和紙を用いている。壁画に使われているこれまでにない巨大な和紙は、この壁画のために特別に作られ「神宮紙」と呼ばれる。これは、同時期の早稲田大学図書館壁画《明暗》のために作られた更に巨大な「岡大紙」と共に、戦後の日本画で主流となる雲肌麻紙の直接の源流となった[14]

明治天皇を題材にした壁画の制作は、近代化以降進められていた国史編纂事業と密接に絡んでおり、画題の選定にあたった絵画館委員会のスタッフは、金子堅太郎議長以下、国史編纂事業にかかわっていたメンバーが多く起用された。そのため、画題の選定にあたっては、

  • 天皇・皇后の個人にまつわる出来事より、明治期の国事にまつわる出来事を重視する。
  • 天皇と特定の元勲・功臣との関係性よりも、より広範な国民との関係性を重視する。
  • 画題の種類(宮中、内政、外交など)、地域に偏りが生じないようにする。

という方針がたてられた。大正7年1月、暫定的な「第一成案」(85題)が成立する[15]

第一成案成立後、各画題の考証調査が行われた。参考史料の研究が「維新史料編纂会」の協力の下行われたほか、画題に選ばれた現地の調査も数次にわたって綿密に行われ、通常は立ち入り不可であるところの明治宮殿、御用邸内での取材も許可された。これらの取材をもとに、二世五姓田芳柳が画題考証図(「第二成案」、80題)を制作、大正10年8月に完成した[16]

その後、各画題の担当画家および奉納者の選定が行われたが、国民美術協会など画家の側から、洋画・日本画の別や、五姓田が考証図で構成等を事実上先に決めていることへの反感、奉納者の画家との人脈が優先されることへの反発などの意見が出され、選定が難航する。これを受け、揮毫者選定を行うための「壁画調成委員会」が設けられ、川合玉堂横山大観ら画家がメンバーに加わり、担当画家の選定が行われた。担当画家が決まった後も、下絵の段階で構図を巡って担当画家、明治神宮奉賛会、調成委員会、奉納者らの間で意見の相違が発生し、最終的に五姓田の考証図と異なる構成になった作品もあった。[17]

これらの経緯により壁画制作は長引き、1926年(大正15年)に絵画館が落成した時点で、中身の壁画は80点中5点しか完成していなかった。最終的に80点がそろったのは、昭和11年(1936年)のことである。五姓田による画題考証図は、その後修正を施し、更に《伏見桃山陵》が加えた81点が『明治天皇紀附図』として『明治天皇紀』に加えられた。

日本画
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洋画
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ギャラリー
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開館時間、入館料、アクセス

  • 開館時間:10:00 - 16:30(最終入館16:00) 年末年始(12月29日 - 1月3日)は10:00 - 16:00(最終入館15:30)
  • 休館日:水曜日(祝日の場合は直後の平日)
  • 入館料(施設維持協力金): 500円
アクセス

景観破壊問題

2011年

東京都による眺望保全対象建築物にも指定されている聖徳記念絵画館であるが、その後方にあたる近辺に建設が計画された大型超高層ビルにより、イチョウ並木から絵画館を望む現在の美観が損なわれることが問題になった[18][出典無効]

問題となったのは住友不動産が新宿区内大久保3丁目で計画を進めていた地上45階建て、高さ160mタワーマンション「ラ・トゥール新宿ガーデン(住友不動産新宿ガーデンタワー)」など三棟の大型建築物。これら超高層ビル三棟は2013年(平成25年)の完成が予定され、これらが完成すると、ビルはイチョウ並木から望む絵画館の円形ドームの上部と左後方に大きくはみ出す形で出現することになる[19][リンク切れ]

東京都では歴史的建築物の眺望を保護するため2007年(平成19年)に施行した景観計画で、絵画館を含む東京都心4カ所について、後方2kmまでの景観誘導区域では対象建築物より高く見える建物を建てないよう制限しているものの[20][リンク切れ]、今回の計画地までは2km以上の距離があるため、これによる規制対象にはならなかった[19][リンク切れ]

2024年

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備考

絵画館前の広場は、第二次世界大戦の敗戦以前は庭園となっていたが、敗戦後連合国軍に外苑が接収された後にソフトボール場やテニスコート等が設けられた[21]1952年の接収解除後も、ソフトボール場などはそのまま残り、一般への貸出も行われるようになった[21]

絵画館前の通り(特別区道43-650)には、「ワービット舗装(ワーレナイト・ビチュリシック工法による舗装の略称)」を用いた、大正15年(1926 年)完成の我が国最古級の車道用アスファルト舗装が現存する。平成16年度選奨土木遺産に認定されており、保存のためインターロッキングブロック舗装(ILB舗装)を被せる工事が施されているが、一部は直接見ることができるようになっている[22][23]

絵画館前の道路を利用し、警視庁機動隊観閲式が毎年5月下旬~6月中旬(前身である「警視庁予備隊」の創設日である5月25日に併せて)に実施されている[24][リンク切れ]

1970年3月20日フジテレビの深夜番組『ナイトショー』で、「絵画館前のイチョウ並木に隠された台本を見つけ、番組に届けたら賞金1万円をプレゼント」という宝探しの企画が発表された。これを聴いた視聴者が深夜のイチョウ並木周辺に約100人が殺到、交通事故も起きる騒ぎとなった[25]

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脚注

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参考資料

外部リンク

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