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日本の警察で集団的警備力及び機動力を担う部隊 ウィキペディアから
機動隊(きどうたい)は、日本の警察において、集団的警備力及び機動力を有し治安警備及び災害警備等に当たる、各都道府県警察の部隊である。本部の警備部に置かれ、集団警備力の中核を担う警備警察の常設部隊である。
基幹となる機動隊は約8,000人体制、これを補完する増援部隊として広域運用される管区機動隊および第二機動隊が約4,000人体制として整備されている[1]。
主な任務は治安警備、災害警備、雑踏警備、警衛警護、集団警ら及び各種一斉取締りである[2]。「治安警備」とは、国の公安に係る犯罪及び政治運動に伴う犯罪が発生した場合において、部隊活動により犯罪を未然に防止し、犯罪が発生した場合の違法状態を収拾する警備実施活動のことであり、「災害警備」とは、災害が発生した場合に、個人の生命、身体及び財産を保護し、公共の安全と秩序を維持することを目的に行う警察の救助活動等のことである。
機動隊の起源は、1933年(昭和8年)10月1日に内務省管理下の警視庁が設置した特別警備隊に遡る。これは桜田門事件、血盟団事件、五・一五事件など、不穏な社会情勢に対処するために創設されたもので、行幸啓の警衛、国葬や大衆運動の警備、災害時の救助活動等に従事して集団警備力を発揮し、「昭和の新選組」「警官の華」の通称で広く市民からも親しまれた[3][4]。
また第二次世界大戦後期、日本本土空襲が本格化すると、警備・救護の必要性が激増したこともあり、1944年4月12日、勅令第243号により主要な府県に警備隊が設置されることとなった。東京でも、同年4月21日付で警視庁警備隊(6個大隊、計2,550名)が発足し、特別警備隊はこれに発展的に解消して廃止された[5]。
日本の降伏を受けて、1946年1月16日、連合国軍最高司令官総司令部は警備隊の解隊を指示した。これを受けて2月16日には警視庁警備隊も解隊されて、同日設置された防護課(234名)がその役割を引き継いだ。しかし連合国軍占領下の日本では集団犯罪や急進的な社会運動に伴う暴動などが多発しており、このような少人数では対処が難しい状況も多かった[6]。
占領下では警察力の増強は困難であったが、1948年の警察法施行とともに警視庁の増員が認められたことから、この機会に集団警備力の増強が図られることとなり、1948年5月、警視庁予備隊が設置された[6]。また1952年7月には、国家地方警察本部の指令により、「すぐれた指揮官に統率せられ、強固な団結・優れた機動性・十分な装備を有し、徹底した訓練を受けた精鋭部隊の整備強化」を目的として、まず20都府県に機動隊が設置された[7]。
その後、1954年7月27日に制定された警察庁発備第3号「機動隊の設置について」に基づいて全国で機動隊の設置が開始され、1962年までに全ての都道府県警察に設置された。また1957年4月1日には、元祖にあたる警視庁予備隊も、他の地域と同様に警視庁機動隊と改称された[8]。
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60年安保闘争をはじめとする治安状況の悪化を受けて[7]、1966年6月28日付け警察庁乙備発第2号「第二機動隊の設置について」に基づいて予備部隊として第二機動隊の設置が定められ(一部の警察本部では既に設置)[37]、また1969年には都道府県警察相互の部隊応援のための管区機動隊が発足した[7]。
集団警備力によって有事即応体制を保持する常設の基幹部隊[38]。各都道府県警察に置かれており、多くの警察本部では1個隊が編成されているが、警視庁警備部では第1機動隊から第9機動隊及び特科車両隊の計10隊が、大阪府警察と千葉県警察に各3隊、神奈川県警察と福岡県警察に各2隊が編成されている。またこれらの都道府県警察機動隊のほか、機動隊に準じる部隊として、警視庁では東京国際空港テロ対処部隊、千葉県警察では成田国際空港警備隊、福井県警察では嶺南機動隊(原子力施設警備隊)が設置されている[39]。
機動隊の規模・編成は、各都道府県警によって大きく異なっている。もっとも体制が充実している警視庁の場合、計10隊ある各機動隊は隊長(第一機動隊では警視正、他隊では警視)のもと、副隊長2名(うち1名は警視)と隊本部、中隊によって構成されており[40]、おおむね管区機動隊の大隊に相当する[注 1]。隊本部には、庶務担当として庶務係、会計係、教務係が、警備担当として警備係、通信係が、特務担当として特務係、騒音取締係、広報係、技術係、特殊技能係、操車係、整備係の各係が置かれている[42]。隊本部付は警部、また各係の主任は警部補が補職される[43]。
1969年の時点では、基幹中隊は4個を基本としており、また大規模警備の際には特別機動隊2個中隊を追加編入し、計6個中隊を2個大隊に編成して警備にあたっていた[44]。その後、1991年7月より試験的に第5中隊が編成されたのち、1992年4月1日より、基幹中隊が4個から5個に正式に改編された[45]。中隊長には警部が補職され[43]、約70名の隊員で構成される[41]。これらの中隊員は3個小隊に編成されており、これが各種任務での行動単位となることが多い。小隊長は警部補、小隊員は22~24名程度で、伝令・通信手のほか3個分隊に編成されている。分隊長は巡査部長、分隊員は6~7名程度で[41]、更にその下に組長(巡査長または巡査)が配される[43]。
2000年代初頭の時点で、統括隊である第一機動隊は336名、その他特科車両隊までの各隊は約320名体制となっている[46]。
各種事案に対応するため、基本訓練を終えた隊員は、各専門部隊の指定隊員として訓練を受け、部隊を編成している。これらの専門部隊はもともと「機能別部隊」と呼ばれていたもので、爆発物処理班や銃器対策部隊、NBCテロ対応専門部隊、レスキュー部隊、水難救助部隊などがあった[38]。警視庁機動隊では、2001年より、機動隊としての各種警戒警備に加えて、警察署等に分遣されて防犯や犯罪捜査、交通指導取締りなど多様な任務に従事する「多角的運用部隊」の制度を開始しており[47]、警視庁機動隊のすべての小隊には、特殊技能部隊または多角的運用部隊としての機能が付与されるようになっていた[48]。
そして2019年、これらの機能別部隊は専門部隊として再編強化が図られることになった[39]。
なお特殊部隊(SAT)は、警視庁では警備部警備第一課に、大阪府警察でもやはり警備部の警備課に所属しており、機動隊から独立した組織とされているが、道県警察では機動隊に所属している。さらに千葉県警察と大阪府警察の機動隊には、スカイマーシャルが編成されている。
第二機動隊は、常設の「第二機動隊」を保有しない道府県警に置かれる非常勤の予備部隊のことである。隊員は機動隊経験者や若手警察官を中心に一般の制服警察官が兼任しており、平常時は警察署の各部署で通常の警察署員と同様の勤務を行なっている[38]。常設の第二機動隊を保有する神奈川県警察などでは「特別機動隊」と称される[49]。
警視庁の場合、上記のように各機動隊に補充要員として編入される特別機動隊と[44]、各方面本部が管内の警察署員をもって編成する方面機動隊がある[50]。特別機動隊は1961年3月22日に設けられた特別隊員の制度を起源とし、1966年4月1日に予備機動隊員、そして1968年に特別機動隊と改称された[51][注 2]。
一方、警視庁における方面機動隊の制度は、1953年5月27日に設置された方面警察隊を前身とする[54]。指定された警察署長が隊長となり、中隊長に刑事課長代理が指定されることもある[55]。刑事・交通・防犯・外勤警察官の混成部隊である[55]。
1964年東京オリンピックにあたり、警視庁は女子選手村の警備も所掌したことから、婦人警察官を大量動員して警戒にあたったほか、大会会場内での案内や雑踏整理にも投入した。またその後、1966年のザ・ビートルズ日本公演の際にも動員されている。婦人警察官によるソフト路線の警備というアイデアは高い評価を受けたものの、その後、安保闘争・爆弾闘争の時代を迎え、脅威度が高い警備事象が続いたために活躍の機会は乏しかった[56]。
これらが一段落した1972年、警視庁は107名体制で婦人警官警備部隊を発足させたが、これは組織化されたものではなく、寄せ集め集団であった。その後、1977年4月26日には、これをもとに234名体制に増強して、中西道子警部の指揮下に、婦人警察官特別機動隊を発足させた[57]。これは通常の特別機動隊と同様に男子機動隊に所属させるほか、また定期的に広報訓練など女性ならではの警備訓練を行うこととされていた[56]。
婦人警察官特別機動隊は高齢者や障害者など社会的弱者のデモ活動に多く動員されており、市民から「親切でよかった」「孫の嫁には婦警さんを」などの投書が寄せられるなど、良好な結果を収めた[56]。その後、福岡県警察や埼玉県警察など、他の警察本部でも同様の制度が相次いで設置されている[58][59]。
上記の通り、都道府県警察相互の部隊応援のために設置された部隊であり、府県警察に設置されて、当該府県の治安維持に任ずるとともに、必要に応じて管区警察単位に連合・編成されて、第二次的に他の都道府県を応援する役割を帯びている。また管区に参加していない北海道警察でも、同様の性格をもつものとして、道警察警備隊が設置されている[7]。
1996年に再編成が行われ、下記のような編成となった[60][61][62]。
大隊本部においては、大隊長には警視が補職され、副官として警部、大隊長伝令および副官伝令、大隊記録として警部補が1名ずつ配される。各中隊は、中隊長(警部)のもと、伝令1名(巡査部長)および4個小隊から編成されており、定数67名。各小隊は、小隊長(警部補)のもと、伝令(巡査)および3個分隊(巡査部長1名および巡査3~4名)から編成される[63]。
管区機動隊員は、普段は出動や訓練のしやすい形で重要な警察署や執行隊に配置されており[64]、例えば神奈川県警では直轄警察隊に[65]、愛知県警では21署に特別警戒隊として配置されている。また愛媛県警察のように、専務要員として機動隊に組み込まれている場合もある[14]。在隊期間は通常2年であり、年に2回[61]、管区警察学校において1ヶ月間の入校訓練が実施される[66]。
機動隊員として特徴的な装備は次の通りである。
この他に、中隊以上の隊長は指揮棒を、伝令は隊長の居場所の目印として日中は三角旗を、夜間は電気発光の“提灯”を持つ。
警備車両は正式名称以外にも、都道府県警察ごとに異なった呼び方をされていることが多い(特に警視庁機動隊においては、同じ車両でも大隊毎に違う呼び方がされている場合もある)。車両塗色はかつて灰色だったが、1990年代中頃に配備された車両から“青地に白の太帯2本”に変更されている[注 9]。ただし、警視庁の一部の車両は塗色が緑地に白帯で、特に救助関係の車両は白帯疾走する黒豹のマークが入っている[70]。また諸外国の同種車両と異なり、大隊・中隊番号が表示されているのみで、所属警察本部の名前が入っていない。
この他に、警視庁の機動隊は普通の警ら型パトカーも所有しており、連絡や隊員の移動用、要人警護の支援などに使用される。
警察官の職務執行に必要な術技及び体育を「術科」という。各都道府県警察の術科の強化選手はそのほとんどが機動隊に所属している[注 11]。
術科特別訓練員(特練員)に指定されている隊員は柔道、剣道の全日本選手権や全国警察大会などの各種大会で上位入賞を狙うための代表選手になっている。柔道、剣道のチャンピオンや高段者を多く輩出している。
警視庁に設けられている制度。1963年(昭和38年)11月28日付通達第14号「機動隊武道小隊の編成および運営について」に基づき、常設の部隊として警視庁各機動隊に「武道小隊」が編成された。1966年(昭和41年)4月には、武道小隊から選抜する「武道専科」制度が設けられ、武道の指導者を養成している。
括弧内は発足年
警視庁のバレーボール部(「警視庁フォートファイターズ」という愛称も制定されている)はチャレンジリーグに、アメリカンフットボール部「警視庁イーグルス」(第9機動隊に所属するので隊の愛称にちなみこのチーム名)はXリーグに所属して好成績を残している(アメフト部は長らく2部で冷や飯食らいだったが、2013年シーズンに1部へ昇格)。フェンシング部とレスリング部はオリンピック選手を輩出しているほどレベルが高い。野球部は野球経験がある警察官を集め編成。初代監督は、日大三高の投手として甲子園に出場した経験がある警部補が務める。採用試験の際、野球で実績がある受験者を優遇する措置も導入する方針。今後、野球部メンバーが出身校の野球部を訪れるなどして、選手のスカウティングにも力を入れるという。2011年3月9日、日本野球連盟(JABA)によりクラブチーム登録承認された。最終的には都市対抗野球への出場を目指している。
大阪府警察のラグビー部はトップウェストAリーグに所属。陸上部は全日本実業団対抗駅伝大会(ニューイヤー駅伝)出場の常連チームである。
1989年の警察白書によれば、大盾導入など装備強化が図られた1968年以降だけでも、警備実施に伴う警察官の殉職者は11名、負傷者は後遺症の残った者も含め、約2万名に上っている。
今日では警察署や交番からの要請でパトロールや交通取り締まりに駆り出されることも多くなっている[80]。服装は通常の活動服なので、交番勤務員か機動隊員かは見分けがつかないことが多い。道案内を乞うても対応が出来ない街頭警戒の警察官は所轄署員ではなく機動隊からの応援要員である可能性が高いという。ただし、制服の襟に桜を象った金色のバッジをつけ、足は短靴ではなくブーツ風の安全靴を履いている他、地域によっては丸に「機」の文字(警視庁では「二機」「四機」など)の入った腕章をはめており、また携帯しているトランシーバーが交番勤務者に比べて大きい(「部隊活動系」と呼ばれる特別な物を使用している)ので近寄れば容易に識別できることもある。
また機動隊を、遊撃捜査活動やパトカーによる機動警察活動等の多角的な運用に使用している都道府県警察が増えている。2003年の読売新聞特集「治安再生-揺らぐ警察組織」によれば、新人警察官の刑事志望者が減る中でも、災害救助や繁華街の雑踏警備など様々な現場を体験している機動隊員は、その7割が刑事警察官を希望するようになるという。
警察学校を卒業して1年から3年程度で機動隊に転勤する例が多いため、現場の警察署に若手警察官がいなくなってしまうという現象が起きている。特に交番では、警察学校を出たばかりの、仕事をよく知らない新人と、経験はあるが、体力に問題のある中高年ばかり、という組み合わせが多い。また、せっかく仕事を覚え始めた頃に機動隊に転勤になって現場を数年間離れてしまうことから、機動隊を除隊する頃には仕事を忘れてしまい、また一からやり直し、となってしまう問題もある。
その多忙さから最も昇任の難しい職種とされていたが、過激派、学生運動等の退潮と共に機動隊員の昇任試験の合格率が跳ね上がったという情報が各所で存在する。これは、昇任直後の若い隊幹部が、重要防護対象警戒など激務の合間に、隊員に“尻を叩いて”勉強させるからである。隊員は、全寮制のため否応もなく勉強するというのも要因である。しかし、現在は統計上、他の部署と比較して特に合格率が高いということはなく、既に過去の話である。
千葉県警察では、成田空港問題を抱える特殊事情から、新規採用されて警察学校を卒業後は全員がまず機動隊に配属されていた時期があった(現在ではこの運用は行われておらず、他県同様に警ら警察官として地域部に配置され交番勤務となる)。そのため、千葉県警察官の多くが機動隊経験者であり、現在の上級幹部の年代の者が成田空港闘争の最盛期を経験していることが多い。そのため、他の都道府県警察で見られる機動隊経験が無い故の「機動隊アレルギー」を持つ幹部は、千葉県警察では少ないとされる。
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