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タイキポーラ
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タイキポーラ(欧字名:Taiki Polar、1996年4月28日 - 2025年1月29日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍は2001年のマーメイドステークス。
経歴
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競走馬時代
1999年1月6日、京都競馬場6レースの4歳新馬戦でデビューし7着。11日後、再び京都の4歳新馬戦に出走し初勝利を収めた。オープンで1戦した後、3月に初の重賞挑戦でチューリップ賞に出走し、エイシンルーデンスの6着。5月以降は自己条件に戻り、翌2001年3月の道頓堀ステークスの勝利をもってオープン入りを果たした。
オープン昇格後、2001年5月からは9戦連続で重賞に出走。1戦目の新潟大賞典と2戦目の愛知杯は共に着外に終わった。3戦目となった7月のマーメイドステークスは番手から上り最速の脚でヤマカツスズランを差し切り、重賞挑戦4戦目での初優勝を飾った。11月には初のGI挑戦でエリザベス女王杯に出走。番手でレースを進めるも、直線で失速しブービーの14着惨敗に終わった。そして年明け1月の京都牝馬ステークスを最後に競走馬を引退した。
繁殖牝馬時代
競走馬引退後、生まれ故郷の大樹ファームで繁殖入りした。後にノーザンファームやスガタ牧場、青森の太田ファームでも繋養された[3]。
2007年8月4日、初仔のタイキフーガ(父:グラスワンダー)が地方競馬にて産駒初勝利を挙げた。
2010年3月7日、5番仔のネオポラリス(父:ネオユニヴァース)が3歳新馬戦を勝ち、産駒JRA初勝利を挙げた。
2021年9月10日付で繁殖牝馬を引退[3]。現在は功労馬として青森県十和田市の小笠原富三郎牧場で余生を送った。2025年1月29日、死亡[4]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[5]に基づく。
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繁殖成績
血統表
タイキポーラの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | パーソロン系 |
[§ 2] | ||
父 トウカイテイオー 鹿毛 1988 |
父の父 シンボリルドルフ鹿毛 1981 |
*パーソロン | Milesian | |
Paleo | ||||
スイートルナ | スピードシンボリ | |||
*ダンスタイム | ||||
父の母 トウカイナチユラル鹿毛 1982 |
*ナイスダンサー | Northern Dancer | ||
Nice Princess | ||||
トウカイミドリ | *ファバージ | |||
トウカイクイン | ||||
母 *スターオブザノース 栃栗毛 1986 |
Chief Singer 黒鹿毛 1981 |
Ballad Rock | Bold Lad | |
True Rocket | ||||
Principia | Le Fabuleux | |||
Pia | ||||
母の母 Northern Scene栗毛 1979 |
Habitat | Sir Gaylord | ||
Little Hut | ||||
Algonkin | Tom Rolfe | |||
Durani | ||||
母系(F-No.) | スターオブザノース(IRE)系(FN:1-l) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Bold Ruler 5×5(母内) | [§ 4] | ||
出典 |
- 4代母Duraniの子孫にハギノリアルキング(日経新春杯、目黒記念)、トーセンベニザクラ(フェアリーステークス)、アドマイヤモナーク(ダイヤモンドステークス、日経新春杯)、オマツリオトコ(兵庫ジュニアグランプリ)、トシキャンディ(プロキオンステークス)
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脚注
外部リンク
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