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中華民国立法委員選挙区
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中華民国立法委員選挙区(繁: 中華民國立法委員選舉區)では、中華民国の立法委員選挙の選挙区を示す。
現在の立法院の定数は113議席で、73個の「区域立法委員選挙区」(小選挙区制)、2個の「原住民立法委員選挙区」(中選挙区制)と1個の「全国不分区及び僑居国外国民選挙区」(比例代表制)から選出されている[1]。
沿革
要約
視点
中華民国政府は、1947年に公布された中華民国憲法および憲法施行準備手続に従い、1947年3月31日に『立法院立法委員の選挙および罷免に関する法律』(立法院立法委員選舉罷免法)を制定・公布し、1948年に第1回立法委員選挙を実施し、『訓政終了手続法』によって権限の行使を停止した「訓政時期の立法院」から権限を継承した。
しかし、1949年の国共内戦の敗戦により、中華民国政府は台湾へ移転した。多数の立法委員はこの時、中華民国政府とともに台湾に逃れたが、元の選挙区は既に中華人民共和国の統治下にあるため、中国大陸での選挙の実施は困難との理由から総選挙が見送られ、結局、1953年に本来の任期満了時期(3年)を過ぎた後も20年以上にわたって立法委員選挙は行われなかった[2]。1969年に政府は『動員戡乱時期自由地区中央公職人員増選補選弁法』を制定・公布し、台湾省選挙区と台北市選挙区を対象とする立法委員増員選挙を行った[3][4]。
1972年の国民大会第1期第5回会議で『動員戡乱時期臨時条款』の改正が行われ、増額選挙の選挙方式が整備された。これ以降、立法委員選挙は憲法上の制約を受けずに中華民国自由地区で3年ごとに実施するようになった[5][6][7]:90。
1980年の増額選挙に際して『動員戡乱時期公職人員選挙罷免法』が公布された[8]。同法は1991年の『動員戡乱時期臨時条款』廃止と憲法改正立法である『中華民国憲法増修条文』制定を受けた法改正により、題名が『公職人員選挙罷免法』に改称された[9]。また、同時期に制定された『中華民国憲法増修条文』による憲法改正で、中華民国の議員や首長は中華民国自由地区の国民だけによって選出されるようになるため、1992年の立法委員選挙で立法委員は全面的に改選されることとなった[10][7]:95。2008年の立法委員選挙からは小選挙区が主な制度に移行し、立法院の議席数が225議席から113議席に半減し、4年ごとに選挙が行われるようになった[11]。
2019年、中央選挙委員会は一部選挙区の区域変更を決定し、2020年の立法委員選挙から新たな区割りで実施されることになった[12][13]。
現在の議員定数と任期は『中華民国憲法増修条文』第4条および『公職人員選挙罷免法』第35条により規定される。2008年の立法委員選挙以降は小選挙区比例代表並立制(原住民選挙区のみは中選挙区制)を採用しており、立法委員の定数は113人、任期は4年、再選も可能である。具体的な議席の分配は以下の通りである[14][15][16]。
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区域選挙区
要約
視点
1948年の第1期立法委員選挙は単記非移譲式投票の大選挙区制を採用していた。全国47の省・直轄市および蒙古地方、西蔵地方から659人の立法委員が選出された。定数は「人口が300万未満の選挙区からは5人、300万人以上の選挙区は超過分100万人ごとに1人増加」と規定された[7]:87, 98。
1969年の増員選挙では、台北市選挙区、台湾省の2つの選挙区で11人が選出された[4]。
1972年の増額選挙では、台北市選挙区、分割された台湾省の6つの選挙区、福建省選挙区で27人が選出された[18][19]。1975年の増額選挙でも同じ選挙区から28人が選出された。
1979年に高雄市は直轄市に移行したため、1980年の増額選挙では、台北市選挙区、高雄市選挙区、台湾省の6つの選挙区、福建省選挙区で52人が選出された[20][21]。1983年の増額選挙でも同じ選挙区から53人、1986年の増額選挙でも同じ選挙区から55人が選出された。
1989年に『動員戡乱時期公職人員選挙罷免法』が大幅に修正され、同年に行われた増額選挙では台湾省の選挙区は全21県市ごと分割され、定数も59人に固定された。台湾省に属さない台北市と高雄市はそれぞれ2つの選挙区に分割され、定数も20人に固定された[22]。
しかし、中華民国憲法増修条文の制定により動員戡乱時期臨時条款が廃止されたことで、万年国会となっていた立法院が解散され、初の全面改選が行われることとなった。
第2回立法委員選挙では、台湾省の21の選挙区、福建省選挙区はそれぞれ県市名の選挙区となり、119人が選出された。第3回でも同じ選挙区から122人が選出された[23][24]。1997年7月、憲法増修条文第9条第3項の規定に基づき台湾省政府が虚省化され、台湾省議会が解散することとなった。失職する台湾省議会議員の救済策のため、国民大会で憲法増修条文第4条を改正して総議席数を225議席とし、翌年の第4回から適用されることになった。選挙区は台北県を3つに分割し、それぞれ議席の増加分が割り当てられた[25]。第5回と第6回でも各選挙区の定数に微調整を行いながら継承された[26][27]。
2004年8月、立法院は第7回憲法修正案を提出した。この憲法修正案は翌年5月の国民大会代表選挙で選出された300名の国民大会代表による審議の末、2005年6月7日に可決・成立した[28]。この憲法改正後、立法委員の地方選挙区は各選挙区で1人を選出する小選挙区制に移行した。全国で合計73議席が設定され、各県市にまず1議席を配分し、残りの議席は各県市の人口(原住民を除く)に応じて配分し、複数の立法委員を選出すべきである県市では行政区域内の選挙区の区割りの分割を行った[29][7]。また、『公職人員選挙罷免法』第35条に基づき、2008年の第7回立法委員選挙の選挙区の発表日から、人口の変動に応じて10年ごとに選挙区の見直しが行われる。例えば、直近の選挙区再編は2019年に発表され、台南市(5→6)と新竹県(1→2)ではそれぞれ1議席増、高雄市(9→8)と屏東県(3→2)ではそれぞれ1議席減となった。この新しい選挙区は2020年の第10回立法委員選挙で初めて適用された[12][13][30]。
小選挙区の一覧
廃止された選挙区
2020年の選挙区再編により廃止
- 新竹県選挙区
- 台南市第一選挙区 (-2020年)
- 台南市第二選挙区 (-2020年)
- 台南市第三選挙区 (-2020年)
- 台南市第四選挙区 (-2020年)
- 台南市第五選挙区 (-2020年)
- 高雄市第五選挙区 (-2020年)
- 高雄市第六選挙区 (-2020年)
- 高雄市第七選挙区 (-2020年)
- 高雄市第九選挙区 (-2020年)
- 屏東県第一選挙区 (-2020年)
- 屏東県第二選挙区 (-2020年)
- 屏東県第三選挙区 (-2020年)
2008年の選挙制度改制により廃止
- 台北市第一選挙区 (大選挙区)
- 台北市第二選挙区 (大選挙区)
- 台北県第一選挙区 (大選挙区)
- 台北県第二選挙区 (大選挙区)
- 台北県第二選挙区 (大選挙区)
- 桃園県選挙区
- 苗栗県選挙区
- 台中市選挙区
- 台中県選挙区
- 彰化県選挙区
- 南投県選挙区
- 雲林県選挙区
- 嘉義県選挙区
- 台南市選挙区
- 台南県選挙区
- 高雄市第一選挙区 (大選挙区)
- 高雄市第二選挙区 (大選挙区)
- 高雄県選挙区
- 屏東県選挙区
1998年の選挙区分割により廃止
それ以前に廃止された選挙区
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原住民選挙区
原住民立法委員選挙区は、1972年中華民国立法委員選挙で初めて設立された選挙区である。『動員戡乱時期自由地区増加中央民意代表名額選挙弁法』によると、中華民国自由地区の「山胞」からは1人の立法委員が選出される」[7]:91-92[18]。1980年立法委員選挙からは、「平地山胞」と「山地山胞」1人ずつの計2名が選出された[7]:93[20]。1989年立法委員選挙では2人ずつ、1992年立法委員選挙では3人ずつが選出された[7]:94-95[22][23]。1994年に「山胞」が呼称変更により「原住民」に改名されたため、「山胞選挙区」も1995年の第3回立法委員選挙から「原住民選挙区」に改名された[7]:96[24][64]。1998年の第4回立法委員選挙からは「平地原住民」と「山地原住民」が4人ずつ選出されたが、2008年の第7回立法委員選挙からは3人ずつ選出されることとなり、現在に至る[7]:97, 101[14]。
「平地原住民選挙区」と「山地原住民選挙区」は共に中選挙区制となっており、最も得票数が多い3人が当選者となる。中華民国自由地区の全域を区域としているが、これらの選挙区で選挙権を有する条件は『原住民身分法』第2条により「日本統治時代の本籍地は山地/平地行政区にある、かつ戸籍に本人または直系尊属は原住民であることが明記されていること」と厳格に定められている[7]:80[65][66][67]。
全国不分区及び僑居国外国民選挙区
要約
視点
全国不分区及び僑居国外国民選挙区の前身は職能団体・労働団体代表、華僑代表、全国不分区代表である[7]:88。うち職業団体と華僑代表は1948年の1948年中華民国立法委員選挙の時からあり、職業団体の代表は6つの選挙区(農業団体、漁業団体、労働者団体、商工業団体、教育団体、自由業団体)があり、89名の議員が選出された[68]。1972年中華民国立法委員増額選挙では8名、1980年立法委員選挙では16名、1989年立法委員選挙では18名がそれぞれ選出されたが、1992年の第2回立法委員選挙で廃止された[7]:92-96。
華僑代表は第一回中華民国立法委員選挙で世界を15の選挙区に分割され、合計19人の華僑議員選出が計画されたが、実際に選出されたのはその半数以下であった[69][7]:85。1972年中華民国立法委員増額選挙では世界が5つの選挙区に分割されたが、選出方式は総統による指名に変わった[7]:84-85。1980年立法委員選挙以降、選挙区は8つの地域選挙区と1つの「不分区」からなり、第2回立法委員選挙以降の選出方法が比例代表制に変更された。なお、同じ政党の党員がこの選挙区で5人以上で選出される場合、少なくとも1人が女性でなければならないクオータ制も設定された[70][23]。
「全国不分区選挙区」は1992年の第2回立法委員選挙で初めて適用された。『中華民国憲法』によって規定される「中華民国」の法定領土の全域から[71]、比例代表制によって41名の立法委員が選出される。議席数は最大剰余方式(ヘル式)で配分される[7]:85。第7回立法委員選挙からは「全国不分区」と「僑居国外国民」が34人を選出する1つの選挙区に統合され、小選挙区比例代表並立制が導入される(比例代表の選出方式は全国不分区選挙区と同じ)。うち政党得票率が5%以上の政党は全国不分区及び僑居国外国民選挙区の議席を得る(阻止条項)。また、全国不分区及び僑居国外国民選挙区は現在、中華民国の選挙区で唯一クオータ制を採用している選挙区である。つまり各政党の比例代表当選者のうち、女性は半分以上でなければならない。名簿の登載順位によればそうでない場合、下位の女性候補を優先的に当選させる[72][73][74]。
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脚注
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