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増田裕司

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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増田 裕司(ますだ ゆうじ、1971年2月7日 - )は、将棋棋士奈良県御所市出身。森信雄門下。棋士番号は225。

概要 増田裕司 七段, 名前 ...

人物

小学校6年のとき、柔道の奈良県大会で3位となった[1]。しかし、その後、将棋にのめり込むようになる。

村山聖の師匠」としても知られる森信雄の二番目の弟子である。2009年の澤田真吾大石直嗣の同時プロ入りもあって森一門は大所帯となった。一番弟子村山の死去により、増田は一門における筆頭格の弟子となっている。

2008年5月18日に入籍、森信雄一門による披露宴を行った。

棋歴

奨励会入りは14歳、三段リーグ入りは21歳と遅かった。三段リーグには11期・5年半在籍したが、成績が芳しくない状態が続いた。年齢制限となる満26歳の誕生日を迎えて四段昇段を達成できなかったものの、1996年度後期リーグを勝ち越し退会を回避。翌1997年度前期リーグでは最後に3連敗したものの12勝6敗の成績を収め、26歳で四段昇段(プロ入り)をする。

増田の成績にはあまりムラがないがために、活躍が目立っていない。順位戦での成績は三段リーグ時代の低調さから一変し、初参加からの10年間で61勝39敗と安定した成績を残し、次点も2回あった。しかし、C級1組昇級にはあと一歩届かなかった。

第57回NHK杯テレビ将棋トーナメント(2007年度)で、森下卓九段、中原誠十六世名人らに勝ち、ベスト8進出。準々決勝で渡辺明竜王(当時)に敗退。

竜王戦では、2005年(第18期)に5組優勝。2008年(第21期)には4組優勝して3組まで上がった。なお、組の優勝者として、それぞれ本戦トーナメントに進出したが、いずれも初戦で敗退している。その相手は奇しくも、2名とも弟弟子であった(第18期で片上大輔、第21期では糸谷哲郎に敗退)。

2009年9月11日、五段昇段後120勝を挙げ、六段に昇段(第51期王位戦、対・畠山鎮戦)[2]

2008年度の第67期順位戦で、11年目にして初の降級点を喫してしまうと、その後は順位戦で苦戦する。 2010年、第69期順位戦C級2組で3勝7敗に終わり2度目となる降級点を喫する。翌2011年は、7勝3敗で降級点を1に減らす。2012年は3勝7敗に終わるも、順位差でかろうじて降級点を逃れる。2013年、3勝7敗に終わり降級点2となる。続く2014年、第73期順位戦C級2組で3勝7敗に終わり、降級点3となりフリークラスに編入となった。

2024年、達人戦では予選を勝ち上がり本戦進出するも、本戦1回戦で丸山忠久に敗れた。

2025年3月末で順位戦フリークラスの在籍期限の10年が経過し、出場中の棋戦終了時点での引退が決定[3]

2025年4月23日、第38期竜王戦6組昇級者決定戦の齊藤裕也四段との対局に敗れ、この対局を最後に現役引退となった[4]

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棋風

基本的には居飛車党であり、相矢倉角換わりといった本格的な居飛車戦法を指すことが多いが、中飛車四間飛車といった振り飛車戦法も指す。

序盤の定跡や棋理にこだわらない棋風であり、先手番で自分から角交換にいく角換わりを指したり、陽動居飛車(飛車を振って、相手が飛車先の歩を突いた後、また飛車を定位置に戻し、相居飛車にする)や角頭歩戦法も得意[5]

勝負どころの局面になると一手一手の駒音が高くなるという、気合い重視型の棋士でもある。

弟子

棋士となった弟子

さらに見る 名前, 四段昇段日 ...

(2023年4月1日現在)

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績

要約
視点

棋士通算成績:737局 359勝378敗・勝率0.4871[10]

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...

年度別成績

  • 2024年度
    • 年度成績:25局 13勝12敗・勝率0.5200 [13]
    • 通算成績:736局 359勝377敗・勝率0.4877(2025年3月31日対局分まで)[14]
  • 2025年度
    • 年度成績:1局 0勝1敗・勝率0.0000 [15]
    • 通算成績:737局 359勝378敗・勝率0.4871(2025年4月23日対局分まで)[10]
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脚注

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関連項目

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外部リンク

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