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藤吉久美子

日本の女優、ナレーター (1961-) ウィキペディアから

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藤吉 久美子(ふじよし くみこ、1961年昭和36年〉8月5日 - )は、日本女優ナレーター血液型はAB型。劇団青年座映画放送所属。夫は太川陽介

概要 ふじよし くみこ 藤吉 久美子, 生年月日 ...

来歴・人物

要約
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1961年8月5日福岡県三潴郡筑邦町(※現在の久留米市大善寺町)生まれ。久留米市立大善寺小学校、福岡女学院中学校・高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科中退。

祖父と父は医師であり、実家は福岡で代々産婦人科医院を営んでいる[1]。兄と弟も産婦人科医[2]

福岡女学院高等学校時代にモダンダンスに魅了され、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科では舞踏を専攻する。卒業する先輩からの引き継ぎで、劇団☆新感線の舞台「飛龍伝’81」に振り付けスタッフとして携わる。次の公演「広島に原爆を落とす日 ~グッドラックLOVE」(1982年2月)では、演出を務める主宰いのうえひでのりのオファーで、台詞は8行程ながら主要キャストとして出演[3][4]。芝居に全然興味は無かったが、観劇したNHKのプロデューサーから強く勧められ、2年ぶりのNHK大阪制作となる「連続テレビ小説」のオーディションに参加。568人の応募者(658人説も有り[5])の中から、この『よーいドン』のヒロインに選ばれる。同年10月から半年間放送され、波乱万丈な人生を生き抜く健気なヒロインを演じた。クランクアップ後には、沢村貞子らがいる山崎洋子事務所に所属する[6]。朝ドラのヒロインに選ばれたこともあり、大学は中退し、劇団☆新感線も退団した。

1985年昼ドラマしのぶ』で主演、『おやじのヒゲ2』(1987年)では、一転してコミカルな役柄を演じた。その後も数々の作品に出演を。殊にTBSの昼ドラ『温泉へ行こう』(1999年 - 2005年)では、持ち前のバイプレーヤーぶりを発揮し、第1 - 第5シリーズに出演している。

2004年4月2日から2008年3月28日まで、TBSの情報番組『はなまるマーケット』に金曜レギュラーとして出演。同番組でのコーナー「今ドキ!」(2004年4月 - 2005年3月)、「ふじよし洋品店」(2005年4月 - 2006年3月)、「ふじよし洋品店デラックス」(2006年4月 - 12月)を担当した。

私生活では、雑誌「フライデー」(講談社1987年5月8日号)で、「よーいドン」で共演した歌舞伎役者の坂東正之助(現・四代目河原崎権十郎)との抱擁現場をスクープされ、翌年、正之助と結婚。しかし1992年、価値観の相違、梨園になじめないことなどを理由に離婚。1995年タレントで俳優の太川陽介と再婚。交際のきっかけは、NHKドラマ新銀河『大阪で生まれた女やさかい』での共演だった[7]おしどり夫婦として知られ、夫婦での仕事も多い。

2001年、39歳で出産。いわゆる高齢出産の年齢であり、藤吉にとっては初産であることも考慮し帝王切開で男児を出産した。

食育に造詣が深く、2004年に開催された「第1回・食を考える国民フォーラム」ではパネリストとして参加。「正しい食生活を子供に身につけさせるのは親の責任」と、独自の食への考えを語った。藤吉自身はタイ料理が好物。タイ好きが高じて本を上梓したほどである。しかし太川は辛い料理が大嫌いだという。また、ワインにもはまっているという。

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エピソード

  • 所属事務所の大先輩であった沢村貞子を心の師のように思っており、沢村から言われた「生きることを大事にしなさい」「きちんとした生活があるから、きちんとした仕事ができる」という言葉を自身の心の拠り所にしているという[5]

出演

要約
視点

映画

テレビドラマ(連続)

テレビドラマ(ゲスト出演・単発)

舞台

バラエティ・生活情報番組等

他多数

ラジオ

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主な著書・論文・手記

  • 「タイのこと、私のこと」(求龍堂)
  • 「もう一度、愛を信じてみよう―傷ついた心を溶かしてくれた人」(『婦人公論』2001年8月7日号、中央公論新社)
  • 「人に教えたくない店」(『プレジデント』2006年1月16日号、プレジデント社
  • 「今年は私も年賀状ソフトデビュー」(『女性セブン』2005年12月8日号)

脚注

関連項目

外部リンク

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