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須磨寺
神戸市須磨区にある寺院 ウィキペディアから
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須磨寺(すまでら)は、兵庫県神戸市須磨区須磨寺町にある真言宗須磨寺派の大本山の寺院。山号は上野山(じょうやさん)。本尊は聖観音。新西国三十三箇所第24番札所。正式名称は福祥寺である。
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歴史
「須磨寺略歴縁起」によると平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き上げた。その聖観音像を安置するために淳和天皇の勅命によって恵偈山北峰寺が建立された。そして仁和2年(886年)に光孝天皇の勅命によって聞鏡上人が上野山福祥寺を建立し、北峰寺よりその本尊である聖観世音菩薩像を遷して福祥寺の本尊としたのが始まりとされている[1]。しかし、「当山歴代」(県指定文化財)によれば、本尊聖観世音は嘉応元年(1169年)に源頼政が安置したとする。
慶長7年(1602年)には豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本堂を再建している。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災し、塔頭桜寿院本堂と塔頭蓮生院本堂が倒壊するなどの被害を受けたが、後に復興された。
平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚、義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する[1]。源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には正岡子規・松尾芭蕉句碑や、裏には、尾崎放哉の墓がある[1]。
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境内
- 本堂 - 慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。ただし内陣の宮殿は応安元年(1368年)造である。
- 護摩堂 - 1903年(明治36年)再建。
- 十三重石塔(兵庫県指定有形文化財) - 南北朝時代造。1961年(昭和36年)に現在地に移設される。
- 大師堂
- 義経腰掛の松
- 敦盛公首洗池 - 一ノ谷の戦いで熊谷直実に討ち取られた平敦盛の首を洗ったとされている。
- 八角堂 - 2017年(平成29年)10月落慶。経木供養所を建て替えたもの。
- ひとすじ辨財天
- 出世稲荷社 - 鎮守社。
- 鐘楼 - 釣られている梵鐘は「弁慶の鐘」の複製である。
- 寺務所
- 宝物館
- 唐門
- 三重塔 - 1984年(昭和59年)再建。
- 四国八十八箇所石仏群
- 親子地蔵堂
- 敦盛首塚
- 青葉殿
- 奥の院 - 本尊は弘法大師。
- 書院
- 本坊
- 源平の庭
- 桜寿院 - 塔頭。本尊は阿弥陀如来。
- 蓮生院 - 塔頭。1934年(昭和9年)再建。本尊は不動明王。院号は熊谷蓮生坊(熊谷直実)に因む。
- 貞照寺 - 一ノ谷町にあった寺院[2]が、阪神・淡路大震災で被災したため、蓮生院の隣に移転。本尊は弘法大師(鯖大師)[3]。
- 仁王門 - 源頼政が再建。
- 正覚院 - 塔頭。1938年(昭和13年)再建。本尊は愛染明王。西国愛染十七霊場第6番霊場。
- 亜細亜万神殿 - 2016年(平成28年)4月落慶。東南アジアやインドの石仏が安置されている。
- 護摩堂
- 大師堂
- 八角堂(経木供養所)
- 三重塔
- 奥の院
- 仁王門・龍華橋
- 唐門
- 敦盛首塚
- 義経腰掛の松
- 源平の庭
- 正覚院
- 桜寿院
- 蓮生院
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文化財
重要文化財
兵庫県指定有形文化財
神戸市指定有形文化財
文化環境保存区域
- 福祥寺及びその周辺
神戸市文化環境保存区域歴史的建造物
- 本堂
- 護摩堂
- 大師堂
- 鐘楼
- 書院
- 仁王門
その他
前後の札所
周辺情報
- 平重衡捕らわれの遺跡
- 須磨霊泉
- 現光寺
- 松風村雨堂
所在地
- 〒654-0071 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町
交通アクセス
備考
本寺は由緒とかかわらず、B級スポットとして紹介されることが多い。 また、本寺前の民宿には夏の高校野球選手権大会において各地の代表チームの宿泊所として使用されている民宿が多いことでも知られる。
青葉の笛を詠んだ芭蕉だが、実際に拝観料を払って見たかという点は定かではない[4]。
脚注
関連項目
外部リンク
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