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1985年の南海ホークス
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1985年の南海ホークス(1985ねんのなんかいホークス)では、1985年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、穴吹義雄監督の3年目のシーズンである。
概要
穴吹監督3年目のチームはAクラス入りが期待されたものの、前年藤原満の背番号7を継いだ久保寺雄二が年明け早々急性心不全で死去するハプニングが発生。久保寺の死去を受け、穴吹監督は「彼のためにもAクラス入りする」と宣言。チームは4月を勝率5割で終え5月反攻が期待されたが、その5月を9勝13敗で負け越すと黒星が先行。最終的には前半戦を5位で終えるものの、8月に7勝17敗と借金10を重ねて日本ハムに代わって最下位に転落。終盤はほとんど勝てなくなり、最終的に44勝76敗10分で3年ぶりの最下位に沈み、穴吹監督は辞任した。投手陣はダブル山内(山内和宏・山内孝徳)がこの年もエースとして奮闘し、山内和は11勝を、山内孝は10勝をそれぞれあげて穴吹監督の期待に応えた。ダブル山内を除く若手投手は3年目の藤本修二が最多敗を記録し、藤本と同期の畠山準はわずか1勝しかできず、井上祐二もわずか2勝にとどまるなど成績が伸び悩み、チーム防御率5.05はリーグ5位に終わった。打撃陣もジェフ・ドイルやクリス・ナイマンなどが奮闘するも149本塁打はリーグ最下位で、得点・安打もリーグ最下位に終わったほか、失策も127個でリーグ最低に終わった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 79 | 45 | 6 | .637 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 60 | 6 | .516 | 15.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 63 | 60 | 7 | .5122 | 15.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 64 | 61 | 5 | .5120 | 15.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 23.0 |
6位 | 南海ホークス | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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オールスターゲーム1985
→詳細は「1985年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- この年の南海ホークスからは監督推薦による選出のみ。
できごと
1月
選手・スタッフ
|
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1985年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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