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1985年の日本ハムファイターズ
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1985年の日本ハムファイターズ(1985ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1985年の日本ハムファイターズにおける動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁監督の1年目のシーズンである。
概要
前年、大沢啓二球団常務の推薦で就任した植村義信監督で失敗し、新たに高田繁が監督に招聘して再スタートを切ったが、高田は元巨人のスター選手とはいえ、ポスターやイヤーブックの表紙に高田を起用するほどスター選手不在のチームは、開幕戦白星の後8連敗を喫し最下位に転落した。前年、打率リーグ最下位の柏原純一はこの年も不振が続き、5月以降はスタメンを津末英明に明け渡し、また前年打率2位のトミー・クルーズも膝の不調から5月中旬に二軍落ちを経験するなど1981年のV戦士は精彩を欠いていた。柏原に代わり6月から4番に座った古屋英夫の奮闘でチーム本塁打は169本と3位ながらもチーム打率は5位だった。一方で、投手陣も移籍2年目の柴田保光が自身初の2桁となる11勝を挙げ、開幕投手に起用された2年目の津野浩や、6月9日にノーヒットノーランを達成した田中幸雄、1年目から8勝を挙げた河野博文などが台頭し、チーム防御率は4.36と優勝した西武に次ぐ2位で勝率.449ながら総得点が総失点を上回り、プロ野球史上最低勝率での達成となった。後半戦に入り、初めて最下位から脱出したチームは8月を13勝8敗と勝ち越して最下位南海を引き離し、辛うじて5位を確保した。シーズン終了後、ディフェンス野球を掲げる高田監督の構想から外れた柏原が金銭トレードで阪神へ、3年目以降振るわなかった木田勇が大洋へそれぞれ放出され、3年連続で3割をマークしたクルーズも契約延長はなく、チームを去っていった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 79 | 45 | 6 | .637 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 60 | 6 | .516 | 15.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 63 | 60 | 7 | .5122 | 15.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 64 | 61 | 5 | .5120 | 15.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 23.0 |
6位 | 南海ホークス | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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オールスターゲーム1985
→詳細は「1985年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票による選出、▲は出場辞退選手発生による補充選手、他は監督推薦による選出。
できごと
選手・スタッフ
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表彰選手
ドラフト
→詳細は「1985年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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