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1998年の読売ジャイアンツ
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1998年の読売ジャイアンツ(1998ねんのよみうりジャイアンツ)では、1998年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、2回目の長嶋茂雄監督体制の6年目(通算で12年目)のシーズンである。
概要
前年優勝のヤクルトとの開幕3連戦で3連勝するなど、開幕5連勝から始まり開幕ダッシュが期待されたが、4月後半に3連敗と4連敗をし開幕ダッシュに失敗。それでもじりじりと貯金を溜め首位横浜の射程圏に付けていくも、7月の横浜が勝率7割以上であるのに対し巨人は7勝12敗と大きく負け越し勝率3割台に沈んだ。投手陣も桑田真澄が最多勝争いをし、斎藤雅樹も前年の不振から巻き返す活躍を見せたが、抑えを期待していたオリックスからトレード移籍の野村貴仁や日本ハムからテスト入団の金石昭人が不振で、先発を務めていた槙原寛己がストッパーに急遽転向する慌てぶり。更にこの年からローテ入りし長嶋監督がエースとして期待していた趙成珉がオールスターゲームで故障離脱し、さらにバルビーノ・ガルベスが7月31日の対阪神戦(甲子園)にて主審の橘高淳による判定への不満を抱いた事により乱闘事件を起こし(ガルベスを止めようとした吉原孝介がこの乱闘で負傷)、セ・リーグから「1998年シーズン残りの出場停止」という処分が下された。代わりに先発に入った入来祐作が活躍するも期待していた若手先発左腕の岡島秀樹や小野仁が背信の投球を繰り返した影響もあり一気に離され[1]、8月からはヤクルトとのAクラス争いに終始し9月以降は15勝6敗と勝ち越してヤクルトを突き放したものの時すでに遅く、チームはシーズンを3位で終了した。またこのシーズンでは、ドラフト1位ルーキーの高橋由伸が7月頃には5番に定着し、3番の松井秀喜・4番の清原和博とのクリーンアップトリオが「MKT砲」と呼ばれた[2]。ガルベスの出場停止、趙の負傷というアクシデント、シーズン3位に終わったことで長嶋の去就が危ぶまれ、一旦はシーズン終了後に辞任と報じられたが、9月12日には一転して続投が決定した。シーズン終了後には、来シーズンからのヘッドコーチに原辰徳の就任が決まった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 横浜ベイスターズ | 79 | 56 | 1 | .585 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 75 | 60 | 1 | .556 | 4.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 73 | 62 | 0 | .541 | 6.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 66 | 69 | 0 | .489 | 13.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 60 | 75 | 0 | .444 | 19.0 |
6位 | 阪神タイガース | 52 | 83 | 0 | .385 | 27.0 |
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オールスターゲーム1998
→詳細は「1998年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
- 太字はファン投票による選出。
主な投手成績
- 色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
主な打撃成績
- 色付きは規定打席(419打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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できごと
8月
9月
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
入団
退団
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
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選手・スタッフ
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表彰選手
ドラフト
→詳細は「1998年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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